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東京高等裁判所 昭和45年(う)3146号 判決 1972年11月21日

目次

(用語例)

主文

理由

〔序〕

〔一〕 被告人内田宇平、同福井久彦、同近藤彰利、同安随房子、同高野隆一、同渡辺昭次、同古屋千在、同山田民雄、同橋本芳富、同浮田洋一、同李正一、同林根祚、同李博関係

〔二〕 被告人内田健次、同浅野昇、同天野新一郎、同田中頼章、同涌井久義、同涌井宏策、同尾身哲司、同南隆、同尾沼巌、同由比信、同片岡暉夫、同北澤春雄、同近藤隆、同小川政昭関係

〔三〕 被告人金慶哲関係

〔四〕 被告人岩田英一、同江口常平関係

〔五〕 被告人矢田忠昭、同権相寧、同小檜山林三、同森田良三、同渡邊義光関係

〔六〕 被告人川端彌太郎、同緑川勝也、同佐藤政春関係

〔七〕 被告人大峰晴関係

〔八〕 被告人伏間ミヨ関係

〔九〕 被告人山崎良一、同山田岩太郎、同藤田八郎、同萩谷明、同長畑喜一、同岡田精吉、同金福根、同柴山康夫、同小島実、同宮尾健治、同熊坂孝、同岡本光雄、同荒井菊男、同金子武治、同渡辺兼雄、同松原忠雄、同土屋マサ子関係

〔一〇〕 被告人朴在魯、同秋准洙、同安永守、同李舜街、同卓太信、同鄭祥祐、同洪仁欽、同李東起、同尹仁奎、同呉公哲、同金雲燮、同朴燦正、同金徳還関係

〔一一〕 被告人小鹿原キヌ子関係

〔一二〕 被告人星谷榮一関係

〔一三〕 被告人中川吉兵衛、同増田敏夫、同中西朗二、同町田信彦、同車台洙、同村越保子、同小池美津子関係

〔一四〕 被告人伊藤新次郎関係

〔一五〕 被告人李成雨関係

〔一六〕 被告人中村浩関係

〔一七〕 被告人戸原駿二、同木村茂雄関係

〔一八〕 被告人林恭護関係

〔一九〕 被告人鵜野恰平関係

〔二〇〕 被告人大塚泰次郎関係

〔二一〕 被告人村野陽太郎関係

〔二二〕 被告人山本朗関係

〔二三〕 被告人申煕朝関係

〔二四〕 被告人吉田稔関係

〔二五〕 被告人古田宏関係

〔二六〕 被告人小原正三関係

〔二七〕 被告人笹川慶治関係

〔二八〕 被告人綿貫幸一関係

〔二九〕 被告人福中照明関係

〔三〇〕 被告人青木肇、同柳健助関係

〔三一〕 被告人竹田武関係

〔三二〕 被告人小池清雄関係

別紙

(用語例)

本判決中で「原審証人の証言」として表示したのは、原審判決裁判所の公判手続更新前における合議体、単独体各裁判所の公判調書中の証人の供述記載部分、ないし証人尋問調書を含む趣旨であり、また「被告人の原審公判期日における供述」として表示したのは、同じく、原審判決裁判所の公判手続更新前における合議体、単独体各裁判所の公判調書中の被告人の供述記載部分を含む趣旨である。

控訴人 被告人

被告人 内田宇平 外九九名

弁護人 上田誠吉 外三三〇名

検察官 飯嶋弘 原弘

主文

一  被告人尹仁奎、同呉公哲、同金雲燮、同朴燦正、同金徳還、同福中照明、同小池清雄を除くその余の被告人九三名に対する各原判決をそれぞれ破棄する。

二1  被告人金慶哲を懲役六月に、同長畑喜一を懲役五月に、同秋准洙、同洪仁欽、同李東起を各懲役六月に、同卓太信、同鄭祥祐を各懲役四月に、同戸原駿二を懲役五月に、同林恭護を懲役六月にそれぞれ処する。

2  右被告人九名に対し、いずれも本裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予する。

3  本件公訴事実中、被告人秋准洙に対する騒擾指揮の点、同金慶哲、同長畑喜一、同洪仁欽、同李東起、同卓太信、同鄭祥祐に対する各騒擾助勢の点について、各被告人はいずれも無罪。

三  被告人尹仁奎、同呉公哲、同金雲燮、同朴燦正、同金徳還、同福中照明、同小池清雄、同金慶哲、同長畑喜一、同秋准洙、同洪仁欽、同李東起、同卓太信、同鄭祥祐、同戸原駿二、同林恭護を除くその余の被告人八四名は、いずれも無罪。

四  被告人尹仁奎、同呉公哲、同金雲燮、同朴燦正、同金徳還、同福中照明、同小池清雄の本件各控訴は、いずれもこれを棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人上田誠吉、同石島泰、同安達十郎、同安藤章、同新井章、同飯塚和夫、同菊池紘、同熊谷悟郎、同坂本修、同島田正雄、同白石光征、同寺本勤、同中田直人、同野田宗典、同原田敬三、同松本善明、同松本津紀雄、同渡辺良夫(被告人岩田英一についてはいずれも解任前の上記各弁護人)、並びに別紙第三記載の各被告人提出の各控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検事飯嶋宏、同原弘提出の答弁書に、それぞれ記載するとおりであるから、ここにいずれかこれを引用するが、これに対する当裁判所の判断は、つぎのとおりである。

〔序〕

第一各被告人(〔一〇〕の暴力行為等処罰に関する法律違反の罪のみの関係被告人を除く)に共通する控訴趣意について

一  弁護人の控訴趣意中、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下昭和二五年東京都公安条例と略称する。)は、憲法二一条に違反し無効であり、したがつて同条例四条に基づく原判示警察官の職務執行は違法である旨の論旨について

右条例が表現の自由を保障した憲法二一条の規定に違反するものでないことは、すでに最高裁判所判例の示すとおりであり(昭和三五年七月二〇日大法廷判決・刑集一四巻九号一二四三頁、なお、同四四年一二月二四日大法廷判決・刑集二三巻一二号一六二五頁参照)。これと異なる所論はにわかに賛成することができないものと考えるので、所論違憲の主張は理由がなく、また、その違憲の主張を前提として右条例四条に基づく原判示警察官の職務執行を違法とする論旨も採ることができない。論旨は理由がない。

二  同、刑法一〇六条の騒擾罪の規定は、そこにいう「多衆」も、「暴行、脅迫」の程度も、無内容かつあいまいであり、しかも、右の「多衆」並びに「暴行、脅迫」の程度を限定する機能をになう「公共の静謐阻害」の概念も、無内容であり、しかも裁判官の恣意の判断を許す極めて危険な抽象かつ漠然たるものであるから、憲法三一条に違反し、その運用のいかんにより同二一条に違反するものであるとの論旨について

刑法一〇六条に「多衆」というのは、一般に説かれているように、一地方における公共の平和を害するに足りる程度の暴行、脅迫をするのに適当な多人数であることを要し、かつ、それで足りるものというべく、はたしてその人数が幾人以上に達することを必要とするかについて、これを判断すべき標準を、右刑法の条規としては明示するところがないのであるが、その人数は、騒擾罪の保護法益たる公共の平和を侵害するに足りる危険の有無の観点から、当該の具体的状況を勘案して自ら決定されることであり、所論の如く、これを無内容の概念ということは相当でない。そしてまた、同条にいう「暴行、脅迫」の程度も、前同様条文自体においてその判断の基準を明示していないが、これまた、一地方における公共の平和を害するに足りるものであることを要するとともに、現実に公共の平和が侵害される結果の発生を必要とするものでなく、その侵害の危険のあるものであれば足りるのである。なお、判例に、「刑法一〇六条は、多衆集合して暴行または脅迫をしたときは、その行為自体に当然地方の静謐または公共の平和を害する危険性を包蔵するものと認めたがゆえに騒擾の罪として処罰するものである。」として、「多衆」若しくは「暴行、脅迫」の程度を限定する意味をもつ「公共の平和を害するに足りる」という概念を無用のものとしているかに解されるもののあること(例えば、昭和二八年五月二一日最高裁判所第一小法廷判決・刑集七巻五号一〇五三頁、大正一二年四月七日大審院判決・刑集二巻三一八頁等)は、論旨に指摘するとおりであるが、これらの判例も、その具体的事実関係に徴すれば、騒擾罪が成立するためには、現実に公共の平和が害されたという結果の発生までを必要とするものでないことを示した趣旨にすぎないものというべく、所論の如く、「多衆」若しくは「暴行、脅迫」の程度を無内容または無限定のものと解した趣旨とは考えられない。つぎに、「公共の平和」という概念は、法秩序が違法な侵害から保障されている状態、すなわち、一般住民の生命、身体、財産等の法益が法秩序により保護されているという状態をいうものであつて、この状態が侵害されることの危険を感じさせる行為が、公共の平和を害する虞れのある行為であり、それを所論の如く無内容であるとか理解できないものであるとかいうのは、独自の見解である。そして、公共の平和を保障するため、他の犯罪から独立に、特に公共の平和自体を保護法益とする騒擾罪の規定を設ける必要があるかどうかということは、結局立法政策の問題というべきである。論旨は、騒擾罪の規定は、その構成要件があいまい無内容であるから、憲法三一条に違反するというものであるが、すでに説明したように、所論の「多衆」若しくは「暴行、脅迫」の程度は、いずれも「公共の平和」の概念により限定され、しかも、前記の如く、右の「公共の平和」の概念も意味内容のあるものとして機能するものである以上、所論の如く、騒擾罪の規定があいまいであるとか、無内容であるとかということを前提とする違憲の非難は当らず(昭和三五年一二月八日最高裁判所第一小法廷判決・刑集一四巻一三号一八一八頁参照)、また「多衆」並びに「暴行、脅迫」の程度を限定する「一地方における公共の平和を害する虞れがある」かどうかということは、集合した人員の数ばかりでなく、集合の時刻、場所、携行した兇器の有無、種類、集合の目的等、当該具体的状況によつて自ら異なるものであることは見易い道理であり、これを一義的に明確な基準を設けて示すことは相当でないというべきであるから、刑法一〇六条の規定が、所論の如く、規範的構成要件要素をもつて記述されているからといつて、所論の如く、憲法三一条に違反するものといえないことは当然である。なお、騒擾罪の規定が、運用のいかんにより、表現の自由を保障した憲法二一条に抵触する危険のあることは、所論のとおりであるが、それは結局同罪の規定の解釈、運用の問題であつて、同罪の規定自体を違憲とする理由とはなし難い。論旨は理由がない。

三  同、本件は、政府が国民を弾圧するため国民を挑発し計画的に引き起した事件であるのみならず、本件の公訴は、労働組合弾圧等の政治的目的に出たもので違法、無効であるから、公訴を棄却すべきであるとの論旨について

所論前段の論旨の理由のないことは、原判決に詳細示すとおりであるから、これをここに引用することとし、また、所論後段の論旨については、記録を精査検討してみても、本件が、所論の如く、労働組合弾圧等の不当な政治的目的による公訴、あるいは、検察官の公訴権乱用にかかる違法な起訴であるとは、とうてい認められない(なお、被告人らの控訴趣意中に、同様の理由により、原判決の違法を主張する部分もあるが、この点の論旨の採るを得ないことは論をまたない。)。そして、公判審理の途中において証拠上とうてい公訴を維持できない被告人がいたからといつて、それはその被告人に対する本件公訴提起が妥当であつたかどうかという問題に帰するのであつて、そのことの故に公訴を違法、無効なものとする論拠とすることはできない。また、本件において、検察官が、警察官側のした違法な行為について公訴を提起せず、被告人らデモ隊側のみを起訴したからといつて、そのことだけをとらえて、ただちに、本件被告人側に対する公訴提起の手続が法律上違法、無効なものとなるものでないことも、原判決にいうとおりである。この点の論旨はすべて独自の主張であつて、論旨は理由がない。

四  同、原判決は証拠能力のない検察官調書により被告人らに対する原判示当該各犯罪事実の成立を認めた点において、憲法三一条、三七条二項、三八条二項に違反し、迅速公平な裁判に違反した点において、同三一条、三七条一項に違反する旨の論旨について

所論前段について検討してみるのに、原判決は、被告人らに対する原判示当該各犯罪事実を認定するについて、検察官に対する被告人及び関係者の供述調書のみによりこれを認定しているものでないことは、原判決の証拠説示に照らし明らかであるから、所論憲法違反の主張は、すでにその前提において失当であるばかりでなく、原判決が、証人または共同被告人が検察官の面前でした供述調書を、被告人らに対する有罪認定の証拠としたことが、憲法三七条二項に違反するものでないことは、つとに最高裁判所判例の趣旨とするところであり(昭和二五年一〇月四日大法廷決定・刑集四巻一〇号一八六六頁参照)、また、原判決が証拠とした当該検察官調書の証拠能力については、各被告人に対する控訴趣意中当該論旨に対する判断として示したとおりであり、それらの調書に記載された供述が、強制、拷問若しくは脅迫によるものであることを疑うべき資料は記録上見出せないのであるから、憲法三八条二項違反の主張も、その前提を欠くものである。

つぎに、所論後段の原判決は迅速公平な裁判に違反するとの主張について検討してみるのに、原審が本件審理に要した期間が所論の如く長期であり、この間被告人らに対し社会生活上不安定な生活を強いたこと、証人の記憶も薄らぎ公判廷の審理を通じ確実な証拠を期待することの困難な事態を招いたことは、極めて遺憾とすべきことであるが、原審の審理の経過、状況は、原判決の「審理の長期化について」と題する項において説示するとおりであり、審理がかくも長期化したことについては、一面やむを得ない事情があつたことも否定し難いところであり、審理が長期化したからといつて、ただちに国の刑罰請求権が消滅し免訴等の裁判により訴訟を打ち切るべきであるとの見解には左袒し難く、長期の審理による証拠の散逸があつたとすれば、そのための不利益を被告人らに転嫁することの許されないことは当然であり、本件において記録を精査してみても、原審が、証人が記憶を喪失したというだけの理由により、所論の如く調書裁判を余儀なくされたとか、証拠の散逸を理由に被告人らに不利益な裁判をしたものとはとうてい認められない。違憲の論旨は理由がない。

五  同、警察官証人の証人不適格性を主張する論旨について

本件において証人として喚問された警察官が、争いの一方当事者的立場にあることは否定し難いところであるが(反面、被告人側証人が被告人と同調的立場にあることもまた同様である。)、それだからといつて、そしてまた、かかる警察官証人のある者が偽証したからといつて、本件において警察官証人はすべて証人適格がないと主張する論旨は、独自の主張であつて、とうてい採用の限りでない。この点の論旨も理由がない。

なお、〔一〇〕の暴力行為等処罰に関する法律違反の罪のみの関係被告人については、以上の論旨に対する判断中同被告人らに関係すると認められる部分については、同一の判断が及ぶものとする。

第二当裁判所の基本的見解

なお、ここで、本事件を審判するについての当裁判所の基本的見解に関して一言しておく。

原判決は、総論第一ないし第四分冊にわたり、騒擾の成否に関する事実上及び法律上の判断として、昭和二七年五月一日に開催された東京都における昭和二七年度第二三回メーデー中央大会にいたるまでの経緯や、右メーデー当日の明治神宮外苑会場から皇居外苑広場ないしその周辺にいたる諸事象に関し、その事態の推移を追い、生起した諸事象の逐一について詳細に認定判示したうえ、当日皇居外苑広場を中心として発生した事態について騒擾罪の成否を問い、これを各被告人に対する各論部分について一括引用しているのである。原判決のかかる判断の方法には、もちろん相応の理由があつたと考えられる。しかし、原判決が騒擾関係の犯罪事実として認定したところは、原判決自体に徴し明らかなように、皇居外苑広場内の桜田濠沿い砂利敷道路、二重橋前砂利敷十字路、銀杏台上の島、若しくは楠公銅像島、または皇居外苑広場外の祝田橋交差点その他の特定の場所における、集団員と警官隊との接触乱闘等の事態に際し、当該各被告人が、その集団員の一員として、原判示の当該場所において、集団員のした暴行、脅迫に加担したという事実である。そして、原判決は、当該各被告人の関与した各場面における集団員と警官隊との接触乱闘等の事態、すなわち、右各集団員のした暴行、脅迫は、包括して一個の騒擾罪を構成するものとして、当該被告人に対し、いずれもこの騒擾罪の罪責を問うているのである。しかし、右各場面における集団の構成員については自ら異動のあつたことは、原判決もまたこれを肯認しているところであるから、原判決が、このように人的構成においてそれぞれ異なる集団員のした暴行、脅迫を、右の如く包括一罪を構成するというためには、これら各場面における集団員が、その人的構成の異動にかかわらず、その各場面を通じ、騒擾罪の主体としてのいわゆる「多衆」として、同一性を維持していたということを前提としているものといわざるを得ない。もつとも、原判決は、この点について、当日、桜田濠沿い砂利敷道路並びに二重橋前砂利敷十字路における警官隊と集団員との接触乱闘を契機として発生した集団員の組織的、一体的な暴行、脅迫は、さらに時を異にし場所を移しながらも、さらに一層規模を大にしたり様相を激化して発展し、事態の鎮圧を見た当日午後六時過頃迄継続したというだけであつて、右の「多衆」、すなわち、集団の同一性については、格別説明するところがないばかりか、各論判決においても、,当該各被告人の関与した集団の構成とか集団の性格とかについて、具体的に判示するところがないのである。

思うに、原判決は、これら各場面において起きた集団員による暴行、脅迫の事態が、その構成員において異なるものがあつたにせよ、それらはいずれも、当日皇居外苑広場における無許可のメーデー集会を志向して同広場に入場し、または入場しようとした原判決にいう集団員により惹起されたものであるとし、これらの集団員は、反権力、反米的思想感情において共通のものがあつたこと、しかも、それらの暴行、脅迫は、時間的に継続し、場所的に近接して、警備の警官隊に対する抗争という形をとつて起きたことから、これら各場面における暴行、脅迫の事態を、連続して生じた一個の社会事象として観察し、法的にもこれを包括して一個の騒擾罪を構成するものと評価したのかも知れない。

しかし、当裁判所としては、当日の原判示各場面における集団員による暴行、脅迫の事態が、連続して起きた一個の社会事象として観察できるということから、ただちに、それが法的にも包括して一個の騒擾罪を構成するという推論には、とうてい賛成することはできない。すでに見た如く、原判示各場面において暴行、脅迫を行なつた集団の構成員について異動があるのにかかわらず、そのうちのある場面における集団員の暴行、脅迫に関与したということだけで、当該被告人に対し、当日のすべての場面における集団員の暴行、脅迫について騒擾罪の罪責を問うためには、これら各場面におけるそれぞれの集団員、なかんずく桜田濠沿い砂利敷道路並びに二重橋前砂利敷十字路において警官隊と接触乱闘に及んだ集団員と、その後の各場面において暴行、脅迫に及んだ各集団員とが、騒擾罪の主体たる「多衆」として、前後同一性を維持していたことが必要である。ところで、本件において、原判示各場面における当該各集団員の暴行、脅迫は、社会的事象としては連続して起きているが、それがあらかじめ定められた騒擾計画に基づくものであつたとか、あるいは、特定の首謀者により画策され、支配されたものであつたとかの事実は、原判決も毫も認定しなかつたところである。したがつて、右集団の同一性を判断するためには、原判示各場面における当該集団の構成員の異動にかかわらず、その各集団の主たる構成員を共通にしていたとか、それらの各集団員が同一の統制集団に属していたとか等の理由により、質的に同一集団を構成し共通の集団意思が存するものと認められ、時間的、場所的に接着してそれぞれ暴行、脅迫が行なわれた場合、あるいは、一の集団による暴行、脅迫が行なわれている事実を認識認容し、これと合同力を形成する意思、または一の集団した暴行、脅迫の事実を認識認容し、その意思を承継し、かつその集団のした暴行、脅迫の事態を利用する意思が存するものと認められる状況のもとに、いずれも、その集団による暴行、脅迫に時間的、場所的に接着して、他の集団による暴行、脅迫が行なわれた場合等の事情を勘案してこれをきめなければならない。

そして、これらの事情を勘案して集団の同一性が肯定された場合、原判示のある場面における集団の暴行、脅迫に関与したにすぎない当該被告人が、他の場面において他の集団のした暴行、脅迫についても罪責を負うことになり、もし、その集団の同一性が否定された場合には、被告人としては、その関与した当該集団の集団員による暴行、脅迫についてのみ相応の罪責を負うにすぎないことになるわけである。そして、個々の被告人について騒擾罪の罪責を問うためには、主観的に、その被告人について、騒擾加担の意思、すなわち、多衆の合同力を恃んで自ら暴行または脅迫をなす意思、ないしは多衆をしてこれをなさしめる意思、あるいはかかる暴行または脅迫に同意を表しその合同力に加わる意思の備わることはもとより、客観的にも、騒擾の主体たる集団の構成員たるの地位を取得しているものと認められる事実がなければならないことは当然である。

そこで、当裁判所は、以上の観点に立つて、もとより裁判所の課題である各被告人の罪責の有無を確定することを主眼とし、原判決が総論で示した、当日の社会事象としての皇居外苑広場を中心として発生した警備警官隊と集団員の乱闘抗争等一連の事象についての法的評価については、

各被告人の罪責の有無の確定に必要な限度内で判断するに止めた。そして、判断の方法としては、各被告人の当該具体的場面における原判決認定の具体的関与行為の有無、関与した集団の構成、その性格、特に、その関与した集団の構成員と他の場面において警官隊と接触乱闘等の暴行、脅迫の行為に及んだ集団員との集団としての同一性の有無、なかんずく、本件騒擾の始期とされた桜田濠沿い砂利敷道路並びに二重橋前砂利敷十字路において警官隊と接触乱闘した原判示集団員との集団としての同一性の有無について検討し、その同一性が否定された場合においては、当該各場面における集団員のした行為の評価に及び、それとの関係において、当該被告人の主観に即し、その故意の内容を検討し、罪責の有無を判断するという方法をとつた。けだし、このように、当該各被告人の関与した各場面における集団員の行為を中心として検討することにより、最も端的に当該各被告人の罪責の有無を確定することができるはずであるからである。しかも、その判断も、専ら原判決の当否の判断の観点から、争点に即してなされたことも、控訴審の性格上当然のことである。そして、かかる方法により被告人らの罪責の有無を可及的早期に確定することこそが、憲法所定の迅速裁判の要請に副う所以であり、二〇年の長期にわたる本事件の控訴審として相当な方法と考えたのである。

なお、弁護人の控訴趣意中桜田濠沿い砂利敷道路における米川宗治第七方面予備隊副隊長の前進命令及びこれに基づく警官隊による集団員排除行為は違法であり、これに対して防禦の行為に出た集団員の行為は騒擾罪を構成せず、また集団員のした暴行、脅迫の行為は一地方の静謐を害するに足りる程度のものとは解されない旨、並びにこれに関連する論旨は、騒擾関係被告人全員について共通する論旨であるが、判断の便宜上、本判決では、原判決において、本件騒擾の開始時点とされている桜田濠沿い砂利敷道路若しくは二重橋前砂利敷十字路における警官隊と集団員との接触乱闘について騒擾罪に問われている〔一〕冒頭掲記の各被告人に対する関係で右論旨に対する判断を示すこととし、その余の騒擾関係被告人に対する論旨の判断として、右〔一〕の各被告人に対する判断として示したところに譲り、当該関係被告人に対する判断としては重ねてその判断を示さなかつたことを付記しておく。

〔一〕  被告人内田宇平、同福井久彦、同近藤彰利、同守随房子、同高野隆一、同渡辺昭次、同古屋千在、同山田民雄、同橋本芳富、同浮田洋一、同李正一、同林根祚、同李博関係

第一弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

一  被告人福井久彦、同近藤彰利、同守随房子関係

所論は、原審が、束原潔、岩上昇、渡辺成男並びに被告人福井久彦及び同近藤彰利の検察官に対する各供述調書を証拠として採用したことは、証拠能力のない証拠を証拠としたもので、訴訟手続に法令違反があるというのである。

しかし、記録を検討してみても、原審が、所論の束原潔、岩上昇、渡辺成男の検察官に対する各供述調書について、それらがいずれも同人らの公判期日における供述に比べて特に信用すべき情況があるものと認めてこれを証拠に採用した措置に、所論の如き違法があるものとは認められない。同人らの右各供述調書中、その供述内容に一部客観的事実に相反するところがあつたとしても、それは右各供述調書の証明力に関することであり、証拠能力に関することがらではない。そして、岩上昇の昭和二七年五月二〇日付検察官に対する供述調書は、調書作成後改ざんされたものであるとの主張については、記録上未だかかる事実を認めることはできない。さらに、論旨は、岩上昇の昭和二七年六月一二日付、同年七月四日付並びに渡辺成男の同年七月一〇日付の各検察官調書は、同人らに対する本件公訴提起後作成されたものであるから証拠能力がないというが、右各供述調書が、所論の如く、同人らに対する公訴提起後作成されたからといつて、ただそのことの故に、右各供述調書が違法な取り調べに基づくものであつて証拠能力を欠くものであるということはできない(昭和三六年一一月二一日最高裁判所第三小法廷決定、刑集一五巻一〇号一七六四頁参照)。つぎに、所論は、渡辺成男の昭和二七年六月二八日付及び同年七月一日付検察官に対する各供述調書は、同人と当時の同人の弁護人であつた上田誠吉との接見の内容を詳細に記載したものであつて、弁護人の秘密交通権を侵害し証拠能力を欠くというのである。渡辺成男の右各検察官調書の内容は論旨に指摘するとおりであるが、それは、同人が検察官に対し本件について自白した後、片岡暉夫やその他の労働組合の仲間の者に迷惑のかかることを懸念する一方、従前の供述はあくまで維持するとの心情を述べる経緯として語られているのであつて、検察官の方から、上田弁護人との接見の状況について、特に同人に対し供述を求めたものとは認められないのであるから、同人が同弁護人との接見の状況を検察官に語つたからといつて、ただちに所論の如く弁護人の秘密交通権を侵害したものであるということはできないし、また、そのことを理由として右各供述調書が証拠能力を欠くものということもできない。さらに、所論は、被告人福井久彦、同近藤彰利の検察官に対する各供述調書は、脅迫若しくは利益誘導に基づくものであつて任意になされたものではないというが、記録を検討してみても、右各供述調書中の同被告人らの各供述が任意になされたものでないことを疑うべく事情は、とうてい認められない。原審が、同被告人らに対する審理の過程を通じて、右各供述調書が同被告人らの任意の供述を録取したものと認めてこれを証拠に採用したことに、未だ所論の如き瑕疵があるものとは認められない。論旨は理由がない。

二  被告人高野隆一、同渡辺昭次関係

1 所論は、原審が、被告人両名に対する起訴状の訴因につき、検察官が起訴後八年を経て申し立てた訴因変更を許可し、右変更訴因によつて有罪の認定をしたことに対し、右訴因変更は実質的には追起訴であり、公訴時効の趣旨を潜脱し、被告人の実質的防禦権を奪うものであるから、許さるべきではなく、原審の右措置は、訴訟手続の法令違反をおかしたものであると主張する。

そこで検討してみるのに、被告人両名に対する昭和二七年五月三一日付起訴状記載の訴因と、昭和三五年一一月二一日付訴因変更訂正申立書記載の訴因とを対比すると(但し、ここでは、訴因変更の適否と関係のない被告人高野隆一に対する起訴状第一の二、訴因変更訂正申立書第一の二の訴因を除外して検討する。)、当初の訴因は、被告人両名の楠公銅像島における警察職員との対峙の際の言動、及びそれ以前における警察職員との乱闘を内容とするのに対し、変更訂正訴因は、右当初の訴因中の警職察員との乱闘内容を訂正したうえ、右楠公銅像島における対峙後さらに銀杏台上の島に進出して警察職員と乱闘に及んだとの事実を追加したものであることが明からであり、検察官は、該追加部分を含め包括して一個の騒擾罪を構成するとの見解の下に、右訴因変更を申し立てたものと認められる。

ところで、騒擾罪は、多衆集合して一地方の静謐を害するに足りる程度の暴行、脅迫を行なうことによつて成立するものであり、社会通念上同一事実と認められる範囲内において、その時期、場所、方法に追加変更を生じたところで、公訴事実の同一性を害するものではないと解すべきところ(昭和二五年六月一七日最高裁判所第三小法廷決定・刑集四巻六号一〇一三頁参照)、前記訴因変更訂正申立書の追加部分が、起訴状の訴因と同一の騒擾罪を構成し、公訴事実の同一性を害するものでないことは、その各具体的記載内容に照らして明らかであり、また前記訴因変更の申立が、起訴後八年余を経てなされたもので、その追加部分に関する限り、右変更申立時を基準とすれば、計数上すでに公訴時効期間を経過していることは所論のとおりであるが、公訴時効完成の有無は、起訴の時を基準として判断すべきであつて、訴因変更の時を基準として判断すべきではないものと解すべきであるから(昭和二九年七月一四日最高裁判所第二小法廷決定・刑集八巻七号一一〇〇頁参照)、右訴因変更をもつて、実質上新たな公訴提起であるとか、公訴時効の趣旨を潜脱するものとかいうことはできない。さらに原審における証拠調の経過に徴しても、右訴因変更により、被告人両名の防禦に実質的な不利益が及んだと認むべき形跡は見出し難い。以上の諸点を総合勘案すれば、原審が検察官の前記訴因変更の申立を許可した措置には、所論のような違法は認められないから、所論は理由がないものというべきである。

2 つぎに論旨は、原判決が挙示引用する被告人高野隆一、同渡辺昭次、渡辺清伍、三島慶三郎、飯沼正一、須田芳彦、長谷川喜三の検察官に対する各供述調書には、いずれも任意性、特信性がなく、また、右のうち被告人高野隆一の昭和二七年六月六日付調書は、同被告人の起訴後に取り調べ作成された不適法な書面であり、以上の各調書にはすべて証拠能力が認められないのに、原審がこれに証拠能力を認め証拠として採用したのは、訴訟手続の法令違反をおかしたものであると主張する。

しかしながら、所論に鑑み記録を精査検討してみても、所論各供述調書の任意性、特信性を疑うべきふしは見出し得ず、また被告人高野隆一の所論昭和二七年六月六日付調書が、同被告人の起訴後(但し第一回公判期日前)に取り調べ作成されたものであることは、所論のとおりであるが、同調書の任意性を疑うべきふしを見出し得ないことは右のとおりであり、起訴後の取り調べ作成にかかるとの一事をもつて証拠能力を欠く不適法な書面ということはできない(第一の一参照)。所論はすべて理由がない。

三  被告人古屋千在、同山田民雄、同橋本芳富、同浮田洋一関係

1 所論は、原判決が当該被告人についてそれぞれ挙示引用する右各被告人、並びに島田義武の検察官に対する各供述調書には、いずれも任意性ないし特信性が認められないのに、原審がこれに証拠能力を認めて証拠として採用したのは、訴訟手続の法令違反であると主張する。

所論に鑑み、記録を精査検討してみても、原審が所論の各供述調書に証拠能力を認めて証拠に採用した措置に、所論のような瑕疵を見出すことはできないから、所論は理由がない。

2 所論は、原判決が被告人浮田洋一に対する関係で挙示引用する同被告人の検察官に対する各供述調書は、少年法の規定を潜脱し、当時少年であつた同被告人を、勾留やむを得ない場合でないのに勾留したうえ取り調べた結果作成された違法なものであつて、証拠能力が認められないのに、原審がこれに証拠能力を認めて証拠として採用したのは、訴訟手続の法令違反であると主張する。

所論に鑑み、記録を精査検討してみても、同被告人に対してなされた所論勾留の処分を、当時同被告人が少年であつたことを理由として違法とすべき事由は認められず、原審が所論の各供述調書に証拠能力を認めて証拠に採用した措置に、所論のような瑕疵を見出すことはできないから、所論は理由がない。

四  被告人李正一、同林根祚、同李博関係

所論は、まず、原判決が証拠として引用した被告人林根祚の検察官に対する各供述調書は、任意になされたものでない疑いがあるばかりでなく、特信性もないものであるから、証拠能力を欠くものというべく、しかも、原審が、同被告人に対する右各検察官調書の署名、指印が、はたして同被告人自身のものであるか否かを本人について確認することなく、これを証拠として採用したことは違法であり、かりに、その証拠能力を肯定するとしても、他に補強証拠のない本件において、原判決が被告人李正一、同李博については共犯者である被告人林根祚の自白のみで、同被告人については本人の自白のみで、右各被告人らに対する原判示各犯罪事実を認定したことは、本人の自白を唯一の証拠として犯罪事実を認定した違法があるというのである。

まず、所論前段について検討してみるのに、記録を調査してみても、原審が、所論の被告人林根祚の検察官に対する各供述調書について、その任意性、特信性を認めた措置に、所論の如き瑕疵が存するものとは、未だ認め難いところであるばかりでなく、同被告人の右検察官に対する各供述調書の署名、指印が本人のものであることについて、原審が直接本人についてこれを確認した形跡のないことは、所論のとおりであるが、右署名、指印が本人のものであることを確認するためには、必ずしも直接これを本人に示し、これを確認しなければならないものではなく、審理の経過に鑑み、相当な手段、方法によりこれを確認すれば足りるものというべく、原審が、かかる方法により、所論の被告人林根祚の検察官に対する各供述調書の同人名義の署名及びその名下の指印について、これを同被告人のものと認めた措置に、所論の如き瑕疵は存しないものというべきである。つぎに、論旨後段について検討すると、共犯者の自白がいわゆる本人の自白に当らないことは、昭和三三年五月二八日最高裁判所大法廷判決(刑集一二巻八号一七一八頁)に示すとおりであるばかりでなく、原判決は、当該被告人らに対する原判示各犯罪事実認定の証拠として、所論の被告人林根祚の検察官に対する各供述調書(自白)のほか、当該被告人らの原判示当該各行為当時における警官隊並びに集団員の行動について、原判決総論において証拠に基づき適法に認定した事実を補強証拠としてあげているのであるから、この点の論旨は、すでにその前提を欠き理由のないことは明らかである。

五  被告人高野隆一関係

所論は、原判決が、被告人高野隆一を原判示東京商工会議所付近における投石関係事実につき騒擾助勢の罪に問擬したのに対し、原判決は右認定の証拠として、同被告人並びに原審相被告人渡辺昭次、及び原審分離組被告人三島慶三郎の検察官に対する各供述調書を掲げているが、共同被告人ないし共犯者たる右渡辺及び三島の各自供調書は、被告人高野の自白の補強証拠となし得ないものであり、原判決には訴訟手続の法令違反があるという。

そこで検討してみるのに、まず、共同審理を受けていない単なる共犯者はもちろん、共同審理を受けている共犯者(共同被告人)であつても、被告人本人との関係においては、被告人以外の者であつて、かかる共犯者または共同被告人の犯罪事実に関する供述は、憲法三八条三項にいわゆる「本人の自白」と同一、ないしこれに準ずるものでないことは、最高裁判所判例の示すとおりであり(第一の四参照)、所論訴訟手続の法令違反の主張は、独自の見解に立脚するもので、その前提を欠き、採用するに由ない。

第二同、事実誤認の主張について

所論は、〔一〕冒頭掲記の被告人らの原判示桜田濠沿い砂利敷道路若しくは二重橋前砂利敷十字路における当該各所為は、いずれも原判決引用の証拠によるも認められないというのであるが、原判決が当該各被告人について挙示引用する証拠によれば、当該各被告人らが、原判示桜田濠沿い砂利敷道路の突出部における警官隊との接触を契機に、該接触部の右方から銀杏台上の島の西縁、さらに同島西北角へと順次波及する形で、警察官に対し暴行、脅迫に及んだ数百名の集団員と共同してなす意思のもとに、原判示当該各具体的所為をなした事実を認定するに難くなく、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、原判決のこの点の事実認定にいずれも誤認を疑うべきかどは認められない。

第三同、桜田濠沿い砂利敷道路における米川宗治第七方面予備隊副隊長の前進命令、及びこれに基づく警官隊による集団員排除行為は違法であり、これに対して防禦の行為に出た集団員の行為は騒擾罪を構成せず、また、集団員のした暴行、脅迫の行為は一地方の静謐を害するに足りる程度のものとは解されないから、騒擾罪は成立しないとの主張について

以下各論点について判断することにする。

一  所論は、昭和二五年東京都公安条例四条は、当時の警察官等職務執行法(以下警職法と略称する。)五条の要件を著しく緩和し、警察権発動に関して定められた限界を逸脱しているから、「地方公共団体は、法律の範囲内で条例を制定することができる。」とする憲法九四条に違反するという。

そこで、警職法五条と右条例四条の関係について検討すると、両者は、ともに公共の秩序を保持するための手段として設けられた警察上の即時強制の措置を定めた規定であるという点においては類似性をもつといえるが、その規定の趣旨、目的及び規制の対象はそれぞれ異なるものといわなければならない。すなわち、前者は、犯罪行為一般を対象として、犯罪がまさに行なわれようとする場合の規制措置を定めたものであるのに対し、後者は、憲法の保障する表現の自由が濫用されて他の法益を侵害する結果が切迫した場合の規制措置を定めたものである。しかも、右条例四条による規制措置は、公共の秩序に対する明白かつ切迫した危険が認められる場合に限り許されるのみならず、それは必要な限度を超えてはならない旨を同条に明記しているのであつて、この趣旨からすれば、右同条による権力発動の要件が、警職法五条に比し、必ずしも緩和されているということはできない。結局、右条例四条は、地方自治法一四条一項、二条二項、同条三項一号に基づくものであり、その規定内容は、当時の警察法一条一項所定の警察の責務内容を超えるものではないから、まさに法律の範囲内で制定されたことが明らかであつて、所論は理由がない。

二  所論は、昭和二五年東京都公安条例四条にいう所要の措置の中には、集団の解散措置は含まれないと主張する。

しかしながら、憲法の保障する集会、集団行進、集団示威運動の自由といえども、無制限なものではなく、それは公共の福祉に反しない限りにおいて保障されるものというべく、集団の行動が暴力を行使する等すでに表現の自由を離れ実質的違法性を帯び、かつ、右集団を解散させる以外には公共の秩序を保持することができないような場合にも、なおその集団を解散させることができないとするいわれはない。結局、右条例四条にいう所要の措置は、公共の秩序に対する明白かつ切迫した危険が認められる場合で、しかもそれが必要な限度を超えない限り、集団行動の参加者に実力を用いることによりその集団を解散させ集団員を排除する措置をも許容するものと解されるのであつて、所論は全く独自の見解というほかなく、採用の限りでない。

三  所論は、昭和二五年東京都公安条例四条にいう所要の措置の中に集団の解散措置が含まれる場合があるとしても、本件排除措置は専ら政治的目的に出たものであるから、適法性をもち得ないと主張するが、記録並びに原裁判所が取り調べた全証拠を検討しても、所論米川副隊長の前進命令に基づく集団員の排除措置が、所論の如く政治的目的に出たものとは毫も認められないから、この点に関する論旨もすでにその前提において理由がない。

四  所論は、米川副隊長及び井上公耳第一方面予備隊第三中隊長には、集団員の排除措置にでる抽象的権限すらなかつたと主張する。

この点につき、原判決は、米川副隊長の指揮する第七方面予備隊計二六八名は、当日午後二時五〇分過頃、当日の警戒総本部長であつた増井正次郎警備第一部長より、第一方面予備隊に協力し皇居外苑広場内の集団員を排除すべき旨、また井上中隊長の指揮する第一方面予備隊第三中隊第一、第二小隊計八一名は、当日午後三時前後頃、倉井潔第一方面本部長より、皇居外苑広場に急行し第一方面予備隊長の指揮下に入るべき旨それぞれ命を受けたとの事実を認定し、これをもつて、米川第七方面予備隊副隊長に対する右命令は、皇居外苑広場内で現に行なわれており、またはさらに規模を大きくして行なわれるであろう集会、集団行進または集団示威運動の参加者に対し、昭和二五年東京都公安条例四条所定の所要の措置をとるべきことを命じたものであり、また、井上第一方面予備隊第三中隊長に対する右命令は、皇居外苑広場内ですでに行動中の第一方面予備隊長の指揮を受け、前示集団行動の参加者に対し、右条例四条所定の所要の措置をとるべきことを命じたものとしているが、原審証人田中栄一(昭和三七年五月一四日及び同年七月一九日原審各公判期日におけるもの)、同倉井潔(昭和二九年七月七日、同月一七日及び昭和三二年三月八日原審各公判期日におけるもの)、同島田純一郎(昭和二九年七月六日、同月二一日及び同年九月三日原審各公判期日におけるもの)、同米川宗治(昭和三二年三月一八日及び同年四月三日原審各公判期日におけるもの)、同井上公耳(昭和三二年三月二〇日原審公判期日におけるもの)の各証言を総合すれば、前示増井警備第一部長よりの米川副隊長に対する命令は、田中警視総監の指示に基づき、増井警備第一部長が米川副隊長に対し、皇居外苑広場へ急行し、広場内の集団員の動きに応じた適切な処置をとるべき旨を命じたものと解されるのであり、また倉井第一方面本部長よりの井上中隊長に対する命令は、第一方面予備隊長の指揮下に入るべく皇居外苑広場への出動を命じたものとみるべきであつて、これらの命令をもつて、ただちに原判決のいうように、右条例四条所定の所要の措置として、警視総監よりの集団員排除命令があつたものと解することはできない。しかしながら、右条例四条の所要の規定する警視総監の権限は、昭和二五年七月三日付警視庁警邏交通部長依命通牒により、緊急の場合には各警察署長(現場指揮者)においてこれを行使することができるよう右の者に委任されているが、かような緊急の場合に備えて警視総監が右権限を部下である警察署長(現場指揮者)に委任するのは、必要かつやむを得ないところと解されるから、右委任を違法若しくは無効とする理由はない(昭和二七年六月一〇日東京高等裁判所判決・高刑集五巻六号九五一頁、昭和三一年七月一〇日同高等裁判所判決・東高時報七巻七号二八三頁参照)。そうだとすれば、現場指揮者として、皇居外苑広場へ急行した米川副隊長としては、緊急の場合には、右委任により、前示警視総監の権限を行使することが許されるのは当然である。したがつて、米川副隊長において集団員の排除措置にでる抽象的権限すらなかつたとの所論は、採ることができない。また、井上中隊長は、前記命令に基づき皇居外苑広場に急行したところ、直属上司たる桜井万里第一方面予備隊副隊長より、米川第七方面予備隊副隊長の指揮下に入りこれに協力せよとの命を受け、以後第七方面予備隊の右翼に位置し、米川副隊長の指揮命令に従つて集団員の排除措置にでることができたものであつて、右事実は、原審証人渡辺政雄の証言(昭和三二年七月一六日及び同年八月三〇日原審各公判期日におけるもの)、並びに前記原審証人井上公耳の証言によつても明らかであるから、結局、米川副隊長の指揮下に入りその命令に基づき行動した井上中隊長が無権限のまま独断専行したとの所論も当らない。なお、この点に関する原判決の判断は相当でないと認められるが、この点の原判決の瑕疵は、未だ判決に影響を及ぼすものとはいえない。

五  所論は、原判決が、米川副隊長の前進命令が発せられる直前の桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていた集団員の行動並びに状況を目して、公共の秩序を維持するため猶予することができない明らかでさしせまつた事態に立ち至つていたものと認定し、右米川命令及びこれに基づく警察官の前進、接触、排除行為を適法としたことは、事実を誤認し、明白かつ現在の危険の法理の解釈適用を誤つたものであるという。

この点につき、原判決が、当時桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていたきわめて多数の集団員の行動及び状況としての原判示の事実(原判決総論第四分冊六八七丁(三)ないし六九〇丁(六))、並びに、原判示中部第一、二群、南部群に属する者について、原判示の諸事情(原判決総論第二分冊三五九丁ないし三六五丁、第四分冊六八六丁裏ないし六八七丁裏の(一))のあつたこと、中部第一群に属していた者については、すでに第一方面予備隊第二中隊、第四中隊、第一中隊との接触乱闘を経験しながら、皇居外苑広場から退去せず、中央自動車道路を挾んで同予備隊らと対峙した後銀杏台上の島に進出したものであること、これらきわめて多数の集団員のうちの相当数の者は、もし警察官が実力を行使して集団の解散を強行して来るにおいては、数をたのみ、所携の棒や竿を使用したり投石したりして警察官に対抗しようとする意図を抱き、あるいは、それらの者の意図を察知し、これを支持認容する意思を有していたこと等、集団員の行動、状況、意思等を勘案して、きわめて多数の集団員中の相当数の者は昭和二五年東京都公安条例四条所定の警告をうけてもとうてい自発的解散に出る見込みがなく、このまま放置するときは、その集団行動の勢いが一層拡大していくことが必至であり、公共の秩序を維持するため猶予することができない明らかでさしせまつた事態に立ち至つていたものと判断できるから、米川命令及びこれに基づく第七方面予備隊本部、第三中隊、第二中隊の一部及び第一方面予備隊第三中隊の前進、接触、排除の措置は、右条例四条所定の所要の措置として適法であると認定したことは、所論のとおりである。

ところで、所論のうち、原判示の桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていたきわめて多数の集団員の行動及び状況として、原判決の認定したところ、及び右集団員中の相当数の者の意思として原判決の認定した事実につき、事実認定の誤りを主張する点は、原判決総論引用の証拠によれば、優に原判示の右各事実を認定することができるのであつて(但し、右相当数の者の集団員全体に対する関係については、後に説明するとおりである。)、記録を精査してみても、右事実の認定に誤認を疑うべきかどは認められない。

しかしながら、原判決引用の証拠によれば、桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていた集団員中、原判示の如く、警察官に対し投石したり、棒や竹竿を振り上げたり、「ポリ公殺せ」等の脅迫にわたる言辞を弄したりしていた者は、これら集団員のうち、前方の部分に位置した集団員の一部に限られていたものであり、また、前記集団員中原判示の如き意思を有していた者も、当時桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて進出し、同所を埋め尽くさんばかりに集まつていたおよそ万にも達すると認められる集団員全体からすれば、その一部にすぎない人数の者であつたといわなければならない。むしろ、本件記録並びに原裁判所が取り調べた証拠によれば、これら集団員全体としては、第二三回メーデー中央大会の会場として皇居外苑広場を使用することを禁止した政府の措置を不当としてこれに抗議する意識のもとに同広場に集まつただけで、共通した目的をもつていたものとは認められないのみか、かえつて、同広場に集まつた目的、所属の組織、団体、並びに同所に集合するにいたつた経緯もそれぞれ異なるものであつて、もとよりその全体を指揮統率するような指揮者もなく、中には広場に入れたことだけで当日の目的はすでに達せられたとして、解散大会を志向して退出の時期を待つていたにすぎない者や、原判決も認定しているように、これら集団員のうち後方や外周にいた者の中には、傍観者的態度の者や、児童、幼児を同伴した女性、物を食べたりして休む者もあつたり、あるいは、前記の如く警察官に対し石を投げる者に対し、付近の集団員の中にあつて、これを制止する者もあつたほどであることが認定できるのである。そして、原判決も、当時同所に集まつた集団員全体を一つの統制集団とみていないことはもちろん、証拠上も、これを一個の統制集団、若しくは一部が全体を支配し得る関係にある集団とは認められないのであり、当時同広場に集まつていた集団員の状況が、前認定の一部の現に暴行、脅迫に及んでいた者や、前認定の如き意思を有していた一部の者の存在により、ただちに集団員全体の動向を左右し得る関係にあつたものとは認め難いところである。

してみれば、原判決が、原判示集団員中の相当数の者は前記条例四条所定の警告をうけてもとうてい自発的解散に出る見込みがなく、このまま放置するときは、その集団行動の勢いが一層拡大していくことが必至であり、集団を解散させ集団員を排除するための要件たる公共の秩序を維持するため明白かつ切迫した事態に立ち至つていたと認定したことは、とうてい首肯し難いものというべきである。

つぎに、米川副隊長が指揮下の部隊に対し前進命令を下す直接の契機となつた。桜田濠沿い砂利敷道路上の対面した警官隊の前面中央部よりやや濠寄りの部分の集団員が、一きわ高い喊声とともに、渦を巻くような形をしたりして幾分ふくれ上るように警官隊の方向へ出てきたとの原判示事実について検討してみるのに、原判決引用の当該関係証拠によれば、右集団員は、そのようにして対面する警官隊に対し積極的に攻撃してきたというのではなく、その部分の集団員が数メートルふくれ上るようにして出て来て、それまで維持していた前面警官隊との距離が原判示のように一五ないし二〇メートルにちぢまつたという事実が認定できるだけであり、他にこの部分の集団員の行動として、前面の警官隊に対し一団となつて攻撃をしかけてくる事態にあつたことを思わせるような特別な動きがあつたものとは認められない。そして、米川副隊長は、前記証拠上明らかなように、このように警官隊との間の距離をちぢめてきた集団員が、さらに前進を続け前面警官隊の方に攻撃をしかけてくる状況にあつたかどうか、そしてまたこの部分の集団員以外のその周辺の集団員の動向はどうであつたかを確認せず、そのまま放置するときは、右集団員は一体となり警官隊に攻撃をかけ、それによる警官隊の被害が甚大となるであろうと速断し、むしろこの機会に、警官隊の方からこれら集団員の方に進んで行き、実力を行使して、これらふくれ上るようにして出てきた集団員はもとより、桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていた集団員を排除すべきであると考え、ただちに指揮下の警官隊に対し前進を命じ、実力による排除措置に及んだのである。右米川副隊長の命令が以上の趣旨に出たものであることは、原判決引用の当該関係証拠によつて認められるとおり、米川副隊長は右命令を発するにあたり特に排除の対象となる集団員を限定することなく、同副隊長ら前進警察官が銀杏台上の島まで一気に前進し、この間ふくれ上るようにして出てきた右集団員以外の者に対してまで無差別に排除に及んだことに徴しても明らかである。してみれば、この米川副隊長の前進命令は、当時の集団員の行動を正確に認識したうえでの判断に立つものといい難いのはもちろん、さきに認定した当時桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていた集団員中の前部に位置していた者の中に、警察官に対し、投石したり、棒や竹竿を振り上げたり、あるいは原判示の脅迫にわたる言辞を弄する等の不穏な状況があつたこと、並びに右集団員中には前示の如き意思を有していた者があつたことを勘案してみても、米川副隊長が前記の如く判断したことに首肯するに足りる相当な理由があつたものとは未だ認め難い。

結局、当時の桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていた集団員の前示状況からすれば、右集団員全体を対象として、前示条例四条に基づく解散を要する程、公共の秩序を維持するため猶予することができない明らかでさしせまつた事態に立ち至つていたものとはとうてい認められないのであり、この場合警官隊としては、警職法五条により、前示のように、集団員中の前部にあつて直接警察官に対して暴行、脅迫の行為に及んでいた者を排除する限度においてしか実力行使は許されなかつたものというべきである(集団員による右の暴行、脅迫の事態は、個個の暴力事犯を構成するにすぎないものであつて、これら暴行、脅迫の行為をとらえて騒擾事態がすでに始まつたものといえないことはもちろんである。)。ところで、本件において米川副隊長のした前記命令、並びにこれに基づく第七方面予備隊の本部、第二、第三中隊、及び第一方面予備隊第三中隊所属警察官の集団員排除措置は、前記の如く、警察官に対し暴行、脅迫の行為に及んでいた者を対象としこれを排除する措置としてなされたものではなく、まさに、前認定のように、桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていた集団員全体、若しくはこれら集団員を一体としてその排除の対象とし、これに対して強制力の行使に及んだものと認めるほかなく、したがつて、かかる米川副隊長の前記命令、並びにこれに基づく命令の執行は、前記説明に照らし、違法というべく、これを適法とした原判決の判断は、事実の誤認に基づくものというほかはない。この点について原判決の判断を正当とする検察官の主張は採用できないが、米川副隊長の前進命令並びにこれに基づく警官隊の実力行使が違法であるからといつて、これに対抗する集団員のいかなる行為も違法性を阻却しなんらの犯罪を構成しないとはいえない筋合であるから、米川命令の違法を理由としてただちに騒擾罪の成立を否定する弁護人の所論も、未だ採るを得ない。

六  所論は、原判決が、米川副隊長ら前進警察官と原判決にいわゆる突出部集団員の接触にともない、その接触部分の右方から銀杏台上の島の西縁を経て同島西北角付近にわたる集団員が、一体となつて、右の前進警察官及び第七方面予備隊第二中隊、第一中隊、第六方面予備隊第一中隊の各警察官に対し、一地方の静謐を害するに足りる程度の暴行、脅迫に及んだとして、集団員らの右行為を騒擾罪に当るとしたのは、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものであると主張する。

そこで検討してみるのに、原判決が、米川副隊長ら前進警察官と突出部集団員との間に、接触開始後たちまち双方押し合つたり、集団員は棒や竹棒を、警察官は警棒をそれぞれ使用して、相手を殴つたり、突いたり、相手を蹴つたりするような乱闘状態が起り、さらに、右接触部分の右方から銀杏台上の島の西縁、同島西北角付近に集まつていた集団員中、右接触部分の方向へ進んだ集団員と右前進を続けようとする警察官との間も、右同様の乱闘状態となつたとの事実を認定して、これらは集団員一体としての暴行に当るとし、続いて、右斜め前方に移動している第七方面予備隊第二中隊の方に進んだ集団員は、旗を掲げ、喊声をあげ、そのうちのかなりの人数の者が棒を持ち、中には、これを振り上げたり、または、突き出したり、あるいは投石などしたりしつつ警官隊の方に近づき、同警官隊の後尾を桜田濠の方へ寄らしめたとの事実、及び当時祝田橋方向に隊形をとつていた第六、第七方面予備隊各第一中隊の方に右と同様の方法で前進した集団員は、第七方面予備隊第一中隊をして、御森林島東南角付近の地点または祝田町警備出張所付近に後退せしめ、また第六方面予備隊第一中隊をも、前進してきた集団員の先頭部分とすれすれの状態で後退せしめるに至つたとの事実を認定して、これまた集団員の一体的暴行、脅迫に当ると判示したうえ、これら数百名に及ぶ集団員は、刑法一〇六条にいう「多衆」に当り、その行なつた暴行、脅迫は、おおむねこれら行動に参加した集団員一体の、換言すれば、これら集団そのものの暴行、脅迫とみて誤りがないものと判断したことは、所論のとおりである。

そして、原判決掲記の各証拠によれば、これら原判示集団員のした原判示の行動はこれを認めるに十分であつて、記録を精査してみてもこの点につき事実誤認を疑うべきかどは認められない。すなわち、前記各証拠により認められる原判示の諸状況、特にこれら暴行、脅迫に及んだ集団員中の前示突出部の集団員を除くその余の集団員においても、米川副隊長ら前進警察官と突出部集団員との接触状況を見得る場所に位置していたばかりでなく、その現実にした行動も、警官隊と突出部集団員との接触直後、これに呼応して、接触部の右方から銀杏台上の島の西縁さらには同島西北角へと順次波及する形で、接触部の警察官、またはその方向へ進む警察官、あるいはそれに連なつて警戒配置についていた警察官を目指して前進したものであつたことに徴すれば、右接触を契機に、これら数百名の集団員が、共同してなす意思のもとに、前示の暴行、脅迫に及んだものと認めるに十分であつて、結局、原判決が、右集団員らの暴行、脅迫を集団そのものの暴行、脅迫と認定した点に、所論の如く、事実誤認の瑕疵、または法令の解釈適用を誤つた違法があるとはいえない。

つぎに、前判示のこれら集団員の暴行、脅迫と公共の静謐阻害の関係につき、原判決は、騒擾罪にいう暴行、脅迫の程度は、一地方の静謐を害するに足りる程度の暴行、脅迫が行なわれたことを要するとの前提に立つて、桜田濠沿い砂利敷道路の突出部集団員、及びその右方から銀杏台上の島の西縁さらには同島西北角にかけての集団員が、米川副隊長らの排除措置を受忍せずに行なつた前示暴行、脅迫は、米川副隊長ら前進警察官百九十数名の大部分の者の排除行為を難渋せしめ、かつ、米川副隊長ら前進警察官の方へ進みつつあつた第七方面予備隊第二中隊の警察官を桜田濠側へ寄らしめたり、原判決にいわゆるたぎり型隊形の頂点付近に警戒配置中であつた第六、第七方面予備隊各第一中隊の警察官をして、勢いに押されたり恐れをなさしめたりしたため後方へ退かしめるほどのものであつたから、その暴行、脅迫の程度は、優に一地方の静謐を害するに足りる程度に達していたものと断定してさしつかえないと判示する。

ところで、騒擾罪にいう暴行、脅迫の程度は、原判決もいうとおり、一地方の静謐を害するに足りる程度のものであることを必要とするところ、本件において前示集団員のした暴行、脅迫が、はたして右の程度の暴行、脅迫に当るといえるかどうかについて検討してみるのに、この点については、原判決総論引用の証拠によれば、以下の事実が認定できるのである。すなわち、米川副隊長の前進命令及びこれに基づく前進警察官の排除行為に対抗して暴行に及んだ集団員は、棒や竹棒をもつて警察官の警棒とわたり合い、互いに殴つたり、突いたり、あるいは投石したりしたが、その中には、警察官の警棒による攻撃に対して専ら防禦目的のもとにこれを迎え撃つたにすぎない者もかなり存していたのみならず、この間に、これら集団員と接触した右警官隊は、たちまちにして桜田濠沿い砂利敷道路上で当面する集団員を排除してある程度祝田橋方向に前進していたこと、米川副隊長の前進命令及びこれに基づく前進警察官の排除行為にやや遅れてこれに加わろうとして前進した第七方面予備隊第二中隊所属の警察官に向かつて暴行、脅迫に及んだ集団員は、旗を掲げ、喊声をあげ、棒を振り上げ、または突き出し、あるいは投石しながら急激に動き出し、同中隊の後部を桜田濠側に寄つていく隊形をとらしめたというにとどまつたこと、第六、第七方面予備隊各第一中隊の警察官の方に向け前進した集団員も、旗を掲げ、喊声をあげ、かなりの人数の者が棒を持ち、中にはこれを振り上げ、または突き出し、あるいは投石などしながら前進していつたが、警官隊との間に直接接触乱闘に及ぶことがなかつたのみか、第七方面予備隊第一中隊の警官隊は、集団員の右前進にともない、自らその警備力を保持するため、意図的に一時後退したふしもみられ、また同中隊の警官隊の方に向かつて進んだ集団員も、深追いすることを避けて自ら警官隊と一定の距離を保つて停止し、また第六方面予備隊第一中隊の警官隊は、瞬間的に隣接の第七方面予備隊第一中隊との連けいを保つため若干後退したにとどまつたこと、当初の前進警官隊と乱闘に及んだ集団員、及び第七方面予備隊第二中隊の後部を桜田濠の方に寄つていく隊形をとらしめた集団員も、前記第六、第七方面予備隊各第一中隊の方に進んだ集団員も、いずれも第一方面予備隊特別班佐藤分隊長らによつて投てきされた催涙ガスや、拳銃の発射音等の影響もあつて、間もなく後退に転じたこと、これら警官隊の左翼に連なつて、馬場先通り砂利敷道路に面し警戒配置についていた第六方面予備隊第四中隊、本部、並びに第一方面予備隊第一、第二中隊に対し、二重橋前砂利敷十字路内に進出して来た集団員らが、投石したり棒を振り上げたりする状況があつたとはいえ、右警官隊はそのまま警戒線を維持していたもので、後退する状況すら見られなかつたこと、以上の事実が認定できるのである。

以上認定の事実に徴すれば、米川副隊長ら前進警官隊に対し暴行、脅迫に及んだ集団員の行為は、前記米川副隊長の前進命令並びにこれに基づく警官隊の排除行為が、すでに見たとおり違法なものである以上、これに対する集団員側の行為も、その限りにおいては適法な警察権の行使を阻害したものといえないばかりか、第六、第七方面予備隊各第一中隊の方向に進んだ集団員の行為も、右警官隊の警備力をほとんど損うことなく、また、第六方面予備隊第四中隊、本部、並びに第一方面予備隊第一、第二中隊に対し、投石したり、棒を振り上げたりした集団員の行為も、これら警察官の警戒配置にはほとんど影響を与えることがなかつたものであつて、結局この方面の集団員の行為も警官隊の警備活動をそれほど阻害したものとは認められないばかりか、右各集団員の使用した道具も、棒、竹棒、石等を超え、さらに危険な火炎びん等の兇器を使用する等過激な手段に及んだものではなかつたことを考え、なお、その暴行、脅迫に及んだ時間も極めて短い時間のことであり、しかもその場所も、一般人の往来が比較的少ない桜田濠沿い砂利敷道路及び二重橋前砂利敷十字路という極めて限定された場所であつて、一般住民の生命、身体、財産に対し直接危害の及ぶ虞れの少ない場所であつたばかりでなく、その暴行、脅迫は、専ら集団員に対する警官隊の規制措置に対抗するためにのみなされたものであつて、一般住民を対象とするものでなかつたことを併せ考えれば、前示集団員のした暴行、脅迫の程度は、警察の機能に著しい支障を与える程度に達していたものと認め難いことはもとよりとして、未だ一般住民の生命、身体、財産に危害を及ぼす虞れのある程度に達していたものとは認め難く、一地方の静謐を害するに足りる程度のものとはいい難いものといわざるを得ない。

なお、この段階における前記集団員の暴行、脅迫を契機として、皇居外苑広場内及びその周辺において、警官隊による強力な排除活動に対抗し、多数の者による暴行が相次いで行なわれ騒然たる事態を招いたことは、記録上明らかであるが、〔一〕冒頭掲記の被告人らの伍していた前記集団員と右の行為に及んだ多数の者との間に集団としての同一性を証拠上認定できない本件においては、これらの事態について同被告人らの罪責を問うことは許されないところである。

はたしてしからば、原判決が、前記集団員の暴行、脅迫が騒擾罪にいう公共の静謐を害するに足りる程度に達していたとして騒擾罪の成立を認めたことは、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つたものといわなければならない。そして、右の瑕疵は、桜田濠沿い砂利敷道路若しくは二重橋前砂利敷十字路における当該各所為について、騒擾罪に問われた被告人内田宇平、同福井久彦、同近藤彰利、同守随房子、同高野隆一、同渡辺昭次、同古屋千在、同山田民雄、同橋本芳富、同浮田洋一、同李正一、同林根祚、同李博に対する関係において、判決に影響を及ぼすことが明らかであるというべきであるから、右被告人らに対する原判決は、その余の控訴趣意に対する判断をまつまでもなく、当然失当として破棄を免れない。

よつて、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、前記被告人らに対する各原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い被告事件についてさらに判決する。

第四一 被告人内田宇平、同福井久彦、同高野隆一、同古屋千在、同李正一を除くその余の〔一〕冒頭掲記の被告人らに対する本件各公訴事実については、これらの被告人らは、前記第三の六の桜田濠沿い砂利敷道路若しくは二重橋前砂利敷十字路における警官隊との接触乱闘に関係しただけであり、その後引き続き行なわれた原判示の集団員と警官隊との接触乱闘、あるいは集団員のした暴行、脅迫に関与したとか、あるいはこれらの事態を予見し、同被告人らの暴行、脅迫意思をこれら集団員に引き継がせたとの事実は、証拠上とうてい認め難いところである。

ところで、原判決は、特段の理由を示すことなく、前記桜田濠沿い砂利敷道路並びに二重橋前砂利敷十字路において生じた原判示集団員と警官隊との接触乱闘を契機として、同日夕刻までの間連続生起した原判示集団員の暴行、脅迫の事態を、「全体として観察することにより」、通じて同一の集団による暴行、脅迫と認定したものと解されるのであるが、記録並びに原判決引用の各証拠によるも、これを同一集団による暴行、脅迫と確認するに足りる資料はない。なかんずく、右桜田濠沿い砂利敷道路並びに二重橋前砂利敷十字路において警官隊と接触乱闘した前記数百名の原判示集団員は、すでに認定した如く、一個所に集結していたものでもなく、また組織的集団であつたとも認められないのであり、これら集団員は、原判示の如く、警官隊による催涙ガス筒の投てき、あるいは拳銃発射により、四散してたちまち後退または逃走し、その機会に第一、第六、第七各方面予備隊が一気に銀杏台上の島に進出し、同所に集まつていた集団員を激しい勢いで排除することになるのであるが、その際同島上の各所でこれら警官隊と接触乱闘に及んだ集団員は、証拠によれば、孤立した警察官を取り囲んで暴行に及んだ者、あるいは逃げおくれて警官隊と接触し乱闘に及んだ者等、その暴行の態様も同一でなかつたばかりか、組織的集団を形成して暴行、脅迫にふんだものとも認め難いところであり、これら暴行、脅迫に及んだ集団員と前記桜田濠沿い砂利敷道路並びに二重橋前砂利敷十字路において警官隊と接触乱闘に及んだ集団員との間に、集団としての同一性を認めるについてはやはり証拠上許されないものというべきである。

以上の次第であるから、同被告人らの罪責を判断するに当つては、右桜田濠沿い砂利敷道路若しくは二重橋前砂利敷十字路における警官隊との接触乱闘に関する各公訴事実について判断すべきところ、本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、同被告人らを有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人らに対し無罪の言渡をする。

二 被告人内田宇平に対する本件公訴事実中、桜田濠沿い砂利敷道路における同被告人の騒擾助勢の訴因については、右一の被告人らに対し判断したところと同一の理由により、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠はない。

つぎに、同被告人に対する公務執行妨害の訴因について検討する。

原判決は、同被告人が原判示公務執行中の第七方面予備隊第二中隊第一小隊所属巡査斉川裕の肩や腕を所携の棒で殴りつけたとの事実を、公務執行妨害罪に問うているのであるが、右斉川巡査の原判示公務の執行が、昭和二五年東京都公安条例四条所定の所要の措置の執行として違法と解すべきことは、すでに第三の五の判断中に示したとおりであり、右斉川巡査の公務の執行としては、記録を検討してみても、原判決の認定判示するところを措いて、他にこれを認定することはできない。してみれば、前記の如く斉川巡査の当時の公務の執行が違法である以上、同被告人の所為を目して、刑法九五条にいう公務執行妨害罪に問擬することは許されない。

そこで進んで、同被告人が前記の如く斉川巡査の肩や腕を所携の棒で殴りつけた行為についての罪責の点を検討してみる。さて、原審における証人斉川裕の証言によれば、「同証人の所属する第七方面予備隊第二中隊は、桜田濠沿い砂利敷で正面のデモ隊と衝突したが、そのデモ隊の中で手をつなぐようにして常に行動している男女のあることが、特に同証人の注意をひいた。その男女は、後で写真で確認した被告人内田宇平と同孝子である。ところで、デモ隊との衝突の経緯は、デモ隊がジリジリ接近してくるので、同証人らの中隊も前進し、デモ隊と接触小ぜりあいになつたが、その際、接触の当初、前記の男の方が、手にしていた角材のような棒で、同証人の肩や腕を殴りつけたが、そのため同証人としては別に負傷を蒙るようなことはなかつた。同証人はこの小ぜりあいで負傷したが、それはこの男以外の他の隊員に殴られたためである。この男が前記の如く同証人を殴つたのは一回以上であるが、何回殴つたか判らない。」というのであつて、同被告人が斉川巡査の腕や肩を殴つたのは、原判示の集団員と警官隊とが殴り合いの乱闘をした際のできごとであることは認定できるのであるが、より具体的に、いかなる状況のもとに同被告人が斉川巡査に殴りかかつたものか、すなわち、同被告人の方で積極的に斉川巡査に殴りかかつていつたものか、それとも同巡査らがいわゆる職務の執行としてデモ隊排除のため警棒を使用した際、この違法な職務の執行に対し、同被告人の身体の安全を守るため、防禦の目的から前記暴行に出たものか、この間の事情を確認するに足りる資料はなく、斉川巡査の所属する警官隊がデモ隊の方に前進して行き前記の如くデモ隊と殴り合いの乱闘になつたことを思えば、同被告人の行為が、同巡査の違法な職務執行に対し、自己の身体の安全を守るための防衛行為であつたことを否定し去るには、なお合理的疑いを残すものであつて、しかも、その暴行の程度も、防衛行為としての程度を超えたものであるか否かを確認し難い本件においては、同被告人の所為を暴行罪として処断することは、なお疑わしいものというべきである。

以上の次第であるから、同被告人に対し、刑訴法三三六条に則り、無罪の言渡をする。

三 被告人福井久彦、同古屋千在、同李正一に対する本件公訴事実中、桜田濠沿い砂利敷道路若しくは二重橋前砂利敷十字路における当該各騒擾の訴因については、前記一の被告人らに対し判断したところと同一の理由により、右被告人ら三名を有罪と断ずるに足りる証拠はない。

つぎに、右桜田濠沿い砂利敷道路並びに二重橋前砂利敷十字路における原判示集団員と警官隊との接触乱闘開始前の同被告人らの当該各騒擾の訴因について検討してみるのに、原判決引用の右被告人らに対する当該各関係証拠によれば、同被告人らにつき原判示の如き当該各具体的所為はこれを認定できるが、原判決は、右被告人福井久彦、同古屋千在の原判示各所為を、集団員の指揮に当つたものと認定している。しかし、原判決の同被告人らに対する各摘示事実とその引用証拠とを対照してみれば、右被告人らの当該各所為は、原判示の当該各集団員に対する指揮を司つたとみるのは相当でなく、むしろ当該集団員の中にあつてこれら集団員の気勢を昂揚させたものというべく、しかも、それは原判決に明らかなとおり、右集団員間に共同暴行、脅迫の意思が形成される事前の段階における行為なのである。ところで、原判決にいう本件騒擾開始前における騒擾助勢の罪の成立を否定すべきことは、後記〔二〕の被告人内田健次外一三名に対する項において説明するとおりであり、被告人李正一についてはもとより、被告人福井久彦、同古屋千在の所為も、これと同一の理由により、いずれも罪とならないものというべきである。その他本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、右各訴因について同被告人らを有罪と断ずるに足りる証拠はない。

よつて、同法三三六条に則り、同被告人らに対し無罪の言渡をする。

四 被告人高野隆一に対する本件公訴事実中、二重橋前砂利敷十字路における騒擾の訴因については、前記一の被告人らに対し判断したところと同一の理由により、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠はない。

つぎに、右二重橋前砂利敷十字路における警官隊との接触乱闘の開始前の同被告人の騒擾の訴因について検討してみるのに、原判決引用の関係各証拠によれば、同被告人につき原判示の如き具体的所為を認定できるが、前記三の被告人福井久彦、同古屋千在に対し判断したところと同一の理由により、右訴因について被告人高野を有罪と断ずるに足りる証拠はない。

さらに、東京商工会議所付近における同被告人の騒擾の訴因について検討してみるのに、原判決の挙示引用する各証拠を総合すれば、同被告人が警官隊の前進にともなつて皇居外苑広場から馬場先門外に出、東京商工会議所付近に到つた際、同所前一帯には、右広場から逃げ出してきた二、三百人のデモ隊員が群がつていて、その中には折から馬場先門辺に集結していた警官隊に向かつて投石をしている者もあり、同被告人はこれら投石者に立ちまじつて右警官隊に対し二回位投石したこと、さらにその後同被告人らが右警官隊の排除をうけ東京駅方向に向かつて歩いて行く途中、右商工会議所横路上に駐車中の外国人自動車に対し一回投石したとの原判示事実は、優に認定できるところである。

しかしながら、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人を除く右投石者らが、はたしていかなる経路をたどつて同所に所在するにいたつたものか、あるいはまた、はたしていかなる集団に属していた者であつたかも確認できないのであり、右投石者らが、皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘に及んだ原判示各集団員に属していたとか、右接触乱闘の事実を認識認容し、その暴行、脅迫の意思を承継し、同人らのした暴行、脅迫の事態を利用する意図をもつて右投石に及んだと認められる状況のもとにおいてその投石行為を行なつたとかの事実を認めるに足りないことはもとより、他にこれら集団員との間に集団の同一性を確認するに足りる資料はない。

なお、同被告人を含む右投石者らと同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

したがつて、右原判決認定の東京商工会議所付近における同被告人の投石行為の罪責を論ずるについては、右の場面における事態に限つてこれを問わなければならない。ところで、原判決が総論において引用する証拠、特に原審証人石井孝一、同小川登の各証言によれば、当時、女性や高校生、中学生をまじえた相当多数の集団員などが、馬場先門交差点内や、同交差点から日比谷交差点方向及び東京都庁方向に通ずる道路のうち東京商工会議所付近に集まつていたので、第三方面予備隊長石井孝一、同副隊長小川登は、部下隊員を指揮してこれら集団員の排除活動に及んだのであるが、これに対して、原判示のとおり、同会議所の前のあたりを中心にして、警察官に対し間断なく投石したり、警察官が前進して行けば竿などで殴りかかる等、警察官の排除活動に対し立ち向かつてくる集団員のあつたことは、原判決に認定するとおりであるが、一方、同被告人の昭和二七年五月二二日付検察官に対する供述調書、三島慶三郎の同年五月二一日付検察官に対する供述調書によれば、同被告人は、右三島慶三郎とともに警官隊に追われて皇居外苑広場から逃げ出し馬場先門を出たところ、東京商工会議所の前から電車軌道一杯に二、三百人のデモ隊員が立ち止つており、その中から馬場先門の所に集結していた警官隊等に対し投石している者がいたので、同被告人も馬場先門にいた右警官隊の方に向かつて二回位投石したのであるが、そのうち右馬場先門に集結していた警官隊が前記集団員の排除活動を開始したことが認定できるのであつて、証拠上、同被告人が原判示の警官隊に対し投石した当時、はたして原判示の東京商工会議所付近において何人位の投石者がいたものか、そしてまたその投石の程度も詳らかにすることを得ないところである。ところで、同被告人の前記検察官に対する供述調書によれば、同被告人は、警官隊の排除活動が開始され、これに対する集団員側の前記投石等の暴行が行なわれる前、すでに同所を離れて東京駅に向かつて歩いていつた事実が認められるのであり、そしてまた、同被告人のこの投石行為の後東京商工会議所付近において集団員が排除活動中の警官隊に対して行なつた投石等の暴行行為が、騒擾罪を構成するかどうかは格別として、同被告人が、これら集団員の行為を予見し、自己の暴行意思をこれら集団員に引き継がせたものと認められる事情も証拠上見出し難いところであつて、同被告人に対しこれら集団員のした行為についてまで罪責を及ぼすことはできないものというべきである。

つぎに、原判示の同被告人の駐車中の外国人自動車に対する投石行為の点について検討してみるのに、右は、同被告人が東京商工会議所前で警官隊に対し投石した後、東京駅に向かつて歩いて行く途中、デモ隊の者が同会議所の建物に沿つて並べてあつた外国人自動車に投石していたので、同被告人もこれに一回投石したというだけであり(前記同被告人の検察官に対する供述調書)、その投石の時期、すなわち、それが前記集団員の排除活動従事中の警官隊に対する投石等の暴行が行なわれた時のもフであるのか、その前の時期のものであるのか、あるいは、同被告人が目撃したという前記自動車に対し投石したデモ隊の者の人数、投石の状況等については、原裁判所が取り調べた証拠上一切不明である。

以上の次第であるのみならず、同被告人が皇居外苑広場内外における原判示各集団員の暴行、脅迫に協力したと認めるに足りる証拠はないのであるから、同被告人の右各投石行為を騒擾助勢の罪に当るとすることは、証拠上なお疑問があるものというべきである。そして本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、右訴因について同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠はない。

よつて、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二〕 被告人内田健次、同浅野昇、同天野新一郎、同田中頼章、同涌井久義、同涌井宏策、同尾身哲司、同南隆、同尾沼巖、同由比信、同片岡暉夫、同北澤春雄、同近藤隆、同小川政昭関係

第一弁護人の控訴趣意中事実誤認の主張について

所論はいずれも、原判決の認定した〔二〕冒頭掲記の当該被告人らの具体的所為について、当該被告人らにおいて、原判示の如き所為に出た事実はないと主張するのであるが、原判決が当該被告人らについて挙示引用する関係各証拠によれば、前記原判決が当該各被告人らにつき認定判示した事実は、優にこれを認定できるものというべきである。所論に鑑み、各関係証拠を検討し、記録を調査してみても、未だ原判決の当該被告人らの具体的所為に関する事実の認定に、所論のごとき瑕疵があるものとはとうてい認められない。なお、所論は、原審が所論の各検察官に対する供述調書に証拠能力を認めた措置を非難しているが、記録によれば、原審が所論各調書に証拠能力を認め、これを有罪認定の証拠としたことを不当とすべき事由は認められない(なお、被告人片岡に対する弁護人の訴訟手続法令違反の論旨については、〔一〕の第一の一参照)。所論は結局、原判決の採用した関係各証拠の証明力について独自の判断を施したうえ、原判決の事実認定を攻撃するものというべく、とうてい採用できない。

第二同、法令の解釈適用の誤り、または事実誤認の主張について

所論はまず、原判決が、その認定判示する本件騒擾発生前の当該被告人らの各所為を騒擾助勢の罪に当るとしたことは、未だ多衆集合して暴行、脅迫を開始していない事前の段階において、騒擾助勢の罪の成立を認めたものであつて、刑法一〇六条二号の解釈適用を誤つた違法があるか、または騒擾罪の成立に必要な共同意思の認定について事実誤認の瑕疵があるというのである(なお、被告人天野、同近藤(隆)、同小川に対する弁護人の理由不備若しくは理由くいちがいがある旨の論旨は、結局事実誤認の主張に帰する。)。

そこで検討してみるのに、刑法一〇六条二号にいう騒擾助勢の罪が成立するためには、多衆集合して暴行または脅迫をなすに際し、多衆にぬきんでて特に騒擾の勢いを助長する行為をする必要のあることは、所論のとおりである。そして、同罪が成立するのは、騒擾開始後、騒擾の現場においてするのが一般であるが、必ずしもその場合のみに限定すべきいわれはない。要は、その者のした行為が、多衆にぬきんでて特に騒擾の勢いを助長する行為と認められれば足りるわけである。したがつて、「多衆が一集団を成し、将に暴行、脅迫を開始せんとするに臨み、其集団に向ひ其決行を促す趣旨の演説を為し、もつてこれを煽動鼓舞し、よつて多衆をして勢を得て目的の場所に向ひ殺到し暴行、脅迫を為すに至らしめた」場合の如きが、未だ騒擾開始前ではあつても、騒擾助勢の罪を構成することは、わが判例のすでに認めてきたところである(大正八年六月二三日大審院判決・刑録二五輯八一一頁、なお昭和二年一〇月二七日同判決・法律新聞二七七五号一三頁参照)。けだし、この場合であつても、前記騒擾助勢の罪の成立要件を充足するに十分であると考えられるからである。しかしながら、このような騒擾開始前における騒擾助勢の罪が成立するためには、その行為の時において、すでに多衆が集合して共同して暴行または脅迫を行なうべく共同意思を形成していることを必要とするものといわなければならない。けだし、多衆が集合している場合であつても、この多衆の間に、一体として暴行または脅迫をなすことの共同意思が成立していない以上、そこに集合した多衆は、未だ騒擾の主体としての多衆を形成しているとはいえないのであるから、この段階においてなされた行為をとらえて、騒擾の勢いを助長するものとはとうてい考えることはできないからである。この段階においてなされた行為は、場合により、暴行または脅迫、あるいはその共犯として処罰されるにすぎないものというべきである。そして、この理は、たとえ、多衆の中の一部の者において暴行、脅迫に及ぶべき旨の意図を有していた場合であれ、あるいはまたその行為者において、そこに集合した多衆が将来共同して暴行または脅迫に出るであろうことを予見しかつこれを認容していた場合であれ、異なるところはない。

いまこれを本件について考えてみるのに、原判決は、その認定判示する本件騒擾開始前になされた当該被告人らの原判示当該所為を、それぞれ騒擾助勢の罪に当るものとしているが、一方また、原判決は、米川第七方面予備隊副隊長ら前進警察官が、桜田濠沿い砂利敷道路に集合していた集団員と接触し、これら前進警察官により排除を受けた集団員やその付近の集団員が一体となつてこれに抵抗し暴行、脅迫を加えた時点において、右集団員の間に、多衆が一体となつて行なう暴行、脅迫の共同意思が成立したとしているのであつて、それ以前において、この集団員が一体となつて警察官に対し積極的に暴行、脅迫を加えようとする状態にあつたもの、すなわち、右の接触乱闘以前において集団員間に暴行、脅迫の共同意思が成立していたとは認められないとしているのである。そして、原判示当該被告人らの所為は、いずれも右警察官と集団員の接触前のもの、すなわち、前記集団員間に暴行、脅迫の共同意思が成立する事前の段階のそれであり、原判示騒擾の主体たる集団の一員としての行為でないことは、原判決の認定事実自体に徴し明らかなところであるから、当該被告人らの原判示所為は、上来説示してきたところに鑑み、いずれも騒擾助勢の罪を構成するに由なきものといわなければならない。

もつとも、原判決は、原判示集団員の中には、「警察官の排除行為があつたならば、数をたのみ、所携の棒や竿等を使用したりして警察官に自ら暴行、脅迫を加えようとする意図を抱いていたり、または、他の者のなすであろうこのような暴行、脅迫を予見しながら、あらかじめこれを支持認容していた」相当数の者がいたと認定判示しているが、そこにいう相当数の者について、それらの者の所在していた場所等を特定して判示していないのであるから、それらの者が、はたして当該被告人らが原判示所為に及んだ当該の場所及びその付近にいた集団員、またはその中に存在していた者であるかどうかも明らかでなく、当該被告人らの原判示所為と前記原判決にいわゆる相当数の者との関係もこれを知ることができない。したがつて、原判示の本件騒擾開始前、原判示の集団員中に原判示の意思を有していた者が相当数いたとしても、そのことをもつて、本件において、当該被告人らに対し、騒擾開始前における騒擾助勢の罪を認める理由とすることのできないことは当然である。

さらにまた、原判決は、「多衆集合して他に対し暴行、脅迫をするかも知れぬと予見し、かつ、かかる事態の発生した際、敢て自らもそれらの者と一体となつて暴行、脅迫をしようとの意図をもつて、その現場で、その対象たる者に対し棒を振り上げたり怒号したりして、多衆の気勢を昂揚せしめた行為は、後に発生した騒擾に際して自ら暴行、脅迫をしない場合であつても、その騒擾の勢を増進せしめたものとして、率先助勢者に該当するものと評価する。」として、騒擾開始前における騒擾助勢の罪の成立を認めているようであるが(被告人金慶哲に対する原判決参照)、〔二〕冒頭掲記の被告人らの具体的所為については、原判決も、それが原判示の当該騒擾集団としての多衆の気勢を昂揚せしめたものであるとの事実は、認定判示していないのである。もつとも、原判決は、被告人内田健次に対する関係において、「同被告人は、多衆に加担する意思を以て、警官隊の方へ二、三回投石したり、長さ三尺位の棒を振り上げて気勢をあげ」と判示し、また、同天野新一郎に対する関係において、「同被告人は、多衆に加担する意思を以て、内田健次に対し、長さ二尺位のプラカードの柄に使用されていたような棒を示し、『これでポリ公を殴つてやる』旨申し向けて気勢を添え」と判示しているのであるが、そこで気勢をあげ、あるいは気勢を添えた対象としての多衆は、原判示の騒擾開始前当該被告人らの周囲に集まつていた集団員をいうものであつて、原判示騒擾主体としての多衆をいうものでないことは、原判決自体に徴し明らかである。そしてまた、騒擾開始前、行為者において、右の如き意図をもつてその行為に出たとしても、多衆が一体となつて暴行、脅迫を行なうべき共同意思成立前の原判決にいう多衆は、すでに説明したように、未だ騒擾罪の主体としての多衆とはいえないのであるから、この段階において多衆の気勢を昂揚せしめた行為というのは、騒擾罪にいう多衆の気勢を昂揚せしめた行為に当らないことはいうをまたないところであり、原判決のかかる解決にはとうてい賛成することができない。

のみならず、本件において、同被告人らの原判示当該各所為が、同被告人らの周囲に集まつていた集団員の気勢をあげ、あるいは気勢を添えたとしても、原判決において、同被告人らを含めてその気勢昂揚の対象となつた当該各集団員が加担すべきものとされている、桜田濠沿い砂利敷道路並びに二重橋前砂利敷十字路において警官隊と接触乱闘に及んだ原判示集団員のした暴行、脅迫が騒擾罪を構成しないことは、すでに前記〔一〕の第三において説明したとおりであり、このように加担の対象となつた集団員の行為が騒擾罪を構成しないのに、その事前の段階においてこれに加担しようとしてした同被告人らの原判示当該各所為が、これと独立に騒擾助勢の罪を構成するいわれのないことは、むしろ当然というべきである。

以上の次第であるから、原判決が、当該被告人らの原判示所為を目して、騒擾助勢の罪に当るとして処断したことは、刑法一〇六条二号の解釈適用を誤つたか、または事実を誤認した瑕疵があるものというべく、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条、三八〇条、三八二条に則り、当該被告人らに対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、当該被告人らに対する本件各公訴事実について、当該被告人らを有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、当該被告人らに対し無罪の言渡をする。

〔三〕 被告人金慶哲関係

第一弁護人の騒擾助勢の罪についての控訴趣意について

一  訴訟手続の法令違反の主張について

所論はまず、原審が原判決に挙示する林根祚の検察官に対する各供述調書に証拠能力を認めた措置を非難するが、記録を検討してみても、原審が右各供述調書に証拠能力を認め、これを有罪認定の証拠としたことを不当とすべき事由は認められない。つぎに所論は、原判決が被告人金慶哲の原判示騒擾助勢の事実を認定するに当つて用いた実質的な証拠は、結局同被告人にとつて共犯者の自白となる林根祚の前記各供述調書のみであり、右は本人の自白として補強証拠を必要とする場合であるのに、原判決は補強証拠のないまま同被告人の有罪を認定したものであるとして非難するが、共犯者の犯罪事実に関する供述は、本人の自白と同一、またはこれに準ずるものではないと解すべきであるから、所論はその前提において採るを得ない(以上については〔一〕の第一の四参照)。以上の次第で訴訟手続の法令違反に関する論旨は、すべて理由がないものというべきである。

二  事実誤認の主張について

所論は、同被告人の具体的所為に関する原判示認定事実について、原判決がその証拠として挙示する林根祚の検察官に対する各供述調書には信用性がなく、他に右事実を認めるべき証拠はないとして、原判決の事実誤認を主張するのであるが、原判決が挙示引用する各証拠によれば、原判示認定事実は優にこれを認定できるものというべきであり、所論に鑑み、原審が取り調べた各関係証拠を検討し記録を精査してみても、未だ原判決の同被告人の具体的所為に関する事実の認定に所論の如き瑕疵があるものとは認められない。所論は結局、原判決の引用した関係各証拠の証明力について独自の判断を施したうえ、原判決の事実認定を攻撃するものというべく、採用することはできない。

三  法令の解釈適用の誤り、または事実誤認の主張について

所論は、原判決がその認定判示する本件騒擾開始前の同被告人の所為を騒擾助勢の罪に当るとしたことは、未だ多衆集合して暴行、脅迫を開始していない事前の段階において、騒擾助勢の罪の成立を認めたものであつて、刑法一〇六条二号の解釈適用を誤つた違法があるか、または騒擾罪の成立に必要な共同意思の認定について事実誤認の瑕疵があるというのである。同被告人の原判示所為が原判決の認定した本件騒擾開始前の行為にかかるものであることは、原判示事実自体に徴して明らかであるところ、右所論に対する当裁判所の判断は、前記〔二〕の被告人内田健次外一三名に対する項において示したところと同一であるから、ここにこれを引用するが、原判決が被告人金慶哲の原判示所為を目して騒擾助勢の罪に当るとして処断したことは、刑法一〇六条二号の解釈適用を誤つたか、または事実を誤認した瑕疵があるものというべく、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

第二弁護人の公務執行妨害、傷害罪についての控訴趣意について

所論は、原判決が、同被告人について、市川庄八郎巡査部長及び佐々木暢巡査に対する公務執行妨害、傷害の、また首藤昭三巡査に対する公務執行妨害の各事実を認定したのは、いずれも事実誤認であると主張するので、以下順次検討する。

一  市川庄八郎巡査部長に対する公務執行妨害、傷害の事実関係について

所論の要旨は、原判決は、「同被告人は、東京都台東区北田原町路上で荒川警察署巡査部長市川庄八郎らに逮捕され、同所からタクシーで同都荒川区所在の右警察署へ向け押送されたが、その途中右車内において、右市川巡査部長の右肩部を靴をはいたままの足で強く蹴飛ばして、その押送の公務の執行を妨害するとともに、同巡査部長に全治まで約二〇日間を要する右肩胛不完全骨折の傷害を負わせた。」との原判示事実を認定したが、原判示の右所為の同被告人が行なつたとするには、まず原判示車内における同被告人及び市川巡査部長の位置関係や姿勢がいかなるものであつたか両者の相互関係が確定されなければならないのに、この点に関する原判決挙示の関係証言や同被告人の供述は区々であつて、何が真実であるか不明であり、またかりに同巡査部長が原判決認定のとおりの位置、姿勢にあつたとしても、同被告人が同巡査部長の肩を蹴飛ばすことは絶対に不可能であつて、原判決は真実あり得ない事実を認定したものというべく、さらに同巡査部長は同被告人に対し右職務執行に際し明らかに許されない実力行使を行なつており、その職務執行は違法であるのに、原判決がこれを適法と判断したのは誤りであるといい、以上の諸点から原判決の事実誤認を主張するにある。

そこで検討してみるのに、原判決が引用する原審証人市川庄八郎、同渡辺連八、同小高宇助の各証言並びに同被告人の原審公判期日における供述は、いずれも原判示車内における各関係人の位置、姿勢につき、同被告人が応援の浅草警察署警察官を左右にして後部客席中央に着席していた旨を原判示どおり一致して述べているほか、市川巡査部長がこれら後部客席に着席していた三名と前部運転席側仕切りとの中間に腰をかがめるような不安定な姿勢で位置していたとの限度では、以上各証言、供述の間にくい違いはない。ただ、同巡査部長が後部客席中央の同被告人から見て左右いずれの側に位置しどの方向を向いていたかについては、原判決引用の前示各証拠のうち、市川証人は、同巡査部長が、同被告人の左側に着席していた浅草警察署警察官の膝に腰をかけるようにし、進行方向に対し体を斜め右にして同被告人を警戒していた旨原判示のように証言して、その実状を原審公判廷で実演しているほか、後部客席の同被告人の右側に着席していた渡辺証人が、ほぼ同旨の事実を述べているのに対し、前部助手席に着席していた小高証人は、同巡査部長の位置は同被告人から見て右側であつた旨を証言し、また同被告人は、同巡査部長は自分の膝に臀部をのせるような形ですわり体は進行方向左側を向いていた旨を供述しており、その間矛盾が見られないではない。しかしながら、これらの関係人の証言、同被告人の供述中、右市川、渡辺両証人の各証言に矛盾する部分は、原判決が措信しなかつたところであり、原判決のこの措置を目して不当とすべきかどは、記録上毫も認めされない。原審が原判決挙示の各証拠を総合し、原判示車内における同被告人及び市川巡査部長の位置関係や姿勢を原判示の如く認定した措置は、これを是認できるものというべきである。

つぎに所論は、市川巡査部長が原判示の如き位置、姿勢にあつたとしても、同被告人が原判示のように同巡査部長の肩を蹴飛ばすことは絶対に不可能であると主張するが、何故に絶対不可能というのかその具体的根拠についてはなんら述べるところがないばかりか、原判決挙示の原審証人市川庄八郎、同渡辺連八、同小高宇助の各証言を総合すれば、原判示タクシーは、所論のようなダツトサンではなく中型車であつたものと推認され、後部客席も、同所に位置した同被告人及び原判示市川巡査部長以下警察官三名が身動きもままらない程に窮屈であつたとは考えられず、右各証言に、原判決引用の原審証人加納治元に対する尋問調書中の証言、及び同人作成の市川庄八郎に対する診断証明書を併せ勘案すれば、同被告人は、後部客席中央の座席に寄りかかつて足を伸ばした状態で、右警察官らに対し、暴言を吐き、つばをかける等して暴れるうち、自己の左前に原判示のような姿勢でいた同巡査部長の右肩を靴ばきのままの足で強く蹴りつけて原判示のような傷害を負わせ、そのため右警察官らにおいて、同被告人の靴を脱がせその足を押えて以後の押送を続けたことが認められ、以上の推移の過程に格別不自然な点もなく、同被告人が原判示認定の如き所為に出ることは絶対に不可能であるとする所論は採用できない。

所論はさらに、原判示市川巡査部長に違法な実力行使があつたと主張するが、原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判示逮捕ないし押送の間に、同巡査部長ら警察官が、同被告人に対し、後ろ手錠をかけ、靴を脱がせ、足や身体を押える等の実力行使をしたことは窺われるが、右は同被告人の激しい抵抗に対処して、被逮捕者を押送するにつき許容される範囲内で必要な強制力を行使したもので、もとよりこれをもつて同巡査部長の同被告人押送の職務執行が違法となるものではない(原判決は、原判示市川巡査部長の職務行為は、警職法七条の趣旨に則り適法であるとしているが、同法の趣旨を援用するまでもなく、右程度の実力行使は、刑訴法上逮捕、押送にともなう実力行使として当然許容されるものと解する。)から、所論は理由がない。

以上のとおりであつて、その他記録及び原審が取り調べたすべての証拠を精査検討しても、原判決の事実認定に誤認のかどは見当らず、所論は結局すべて採用するに由ないものというべきである。

二  佐々木暢巡査に対する公務執行妨害、傷害、首藤昭三巡査に対する公務執行妨害の各事実関係について

所論は、原判決が、「同被告人は荒川警察署玄関前において、同被告人の逃走を防止し署内に引致する目的の公務を執行するため、巡査佐々木暢、同首藤昭三ら約一〇名の同署警察官らが取り巻く状況下で、押送の自動車から降りたが、降りた瞬間、右首藤巡査に頭突きし、同巡査をしてその場に尻もちをつかせ、さらに、これを制止しようとした右佐々木巡査の右脚大腿部を靴をはいたままの足で蹴飛ばし、もつて両巡査の公務執行を妨害するとともに、佐々木巡査に対して全治まで約一五日間を必要とする右脚大腿部打撲傷を負わせた。」との原判示事実を認定したのに対し、原判決の挙示する各証拠は、首藤巡査の関係では、具体的状況が不明のまま単に「頭突き」と「しりもち」だけを強調するにすぎないものであり、また佐々木巡査の関係では、暴行の部位や態様につき互いにくい違つていたり極めてあいまいであつたりするものであつて、すべて信用できず、原判決が同被告人の首藤巡査に対する頭突き、並びに佐々木巡査に対する右足大腿部の足蹴りの右暴行行為を認めたのは、いずれも事実誤認であると主張する。

しかし原判決が挙示する各証拠を総合すれば、同被告人が原判示首藤、佐々木両巡査に対し原判示の如き各暴行を加えた事実は、優にこれを認め得るものというべきである。そこで以下前記所論について順次検討する。

まず原判示首藤巡査の被害関係につき、所論は、原判決の挙示する証拠のうち、首藤巡査と同被告人の中に入つたと証言する原審証人佐々木暢は具体的証言を全くなし得ないし、同証人渡辺連八は「頭突き」そのものを見ていないと証言していると主張するけれども、佐々木証人は、「私が車のドアをあけたとき、同被告人が降りてから首藤巡査をつき飛ばしたようなことがあつた。体ごとぶつけたような記憶がある。それで私がすぐ近くにいたのでその中へ入つたように思う。」と具体的に証言し、さらに渡辺証人は、「車から降りた同被告人は体当りされた状態で一人の警官がしりもちをついた。」「同被告人が車から降りると同時に逃げようとして体をぶつけたので、しりもちをついたのだと思う。ぶつかつたところは見た。」旨証言しているのであつて、以上の各証言に、被害の状況を具体的に述べている原審証人首藤昭三の証言を併せ勘案すれば、所論は採るを得ないものというべきである。

つぎに、原判示佐々木巡査の被害関係につき、所論は、原判決の引用する原審証人佐々木暢の証言内容が大ざつぱであり、かつ被害の部位に関しても、原判決の挙示する原審証人加納治元に対する尋問調書中の証言、及び同人作成の佐々木暢に対する診断証明書の内容と矛盾していると主張するが、右佐々木証人の証言内容は十分具体的であり、かつ右の各証拠はいずれも被害部位を右大腿部とするものであつて、被害の瞬間の被害者の直感と事後の診断の細部とに若干の差異があるからといつて、右佐々木証人の証言の信用性を否定することは不当であり、また所論は、原判決挙示の原審証人小高宇助の証言によると、同被告人は三回連続して佐々木巡査を蹴つたことになり、前記佐々木証人の供述と矛盾すると主張するが、佐々木証人は蹴られた回数にはふれておらず、また小高証人の証言をもつて、ただちに同被告人が佐々木巡査を三回連続して蹴つたものと認めることも妥当でないから、以上両証人の証言の間に矛盾があるとも言えず、さらに所論は、原判決の挙示するその余の首藤昭三、渡辺連八、市川庄八郎各原審証人が、佐々木巡査の被害状況につき明白な証言をなし得ないとし、このことは原判示佐々木巡査の被害が架空であることの証左であるというが、原判決の引用する前記佐々木、小高両証人の証言に徴し、右被害の存在は明らかであり、これと立場や視点を異にする右三証人に明白な証言がないからといつて、これをもつて右被害が架空であることの証左とみるわけにはいかない。

なお所論は、同被告人が荒川警察署玄関前で警察官らによりコンクリート柱に頭を激突させられ怪我をした事実につき、原判決がふれていないのは不当であると主張するが、かりに所論の事実が認められるとしても、右の点が原判示罪となるべき事実の前提をなしたり、またその事実の有無がただちに原判示罪となるべき事実の存否を左右するものとも認められず、したがつて、原判決がこの点にふれなかつたのは当然であつて、非難するには当らない。

以上の次第であつて、その他記録及び原審が取り調べたすべての証拠を精査検討しても原判決の公務執行妨害、傷害の事実認定に事実誤認のふしを見出すことはできず、所論はすべて理由がない(なお、同被告人に対する騒擾助勢の罪の成立が認められないとしても、同被告人に対する逮捕行為がただちに不適法のものとなるわけではないし、また、同被告人に公務執行妨害罪の故意がなかつたものとは、とうてい考えられない。原審が取り調べた証拠及び記録によれば、逮捕状が無効と認められないことはもとより、右逮捕はこれを適法と認めるに十分であり、さらに逮捕にあたつての被疑事実の要旨の告知についても、違法のかどを見出すことはできない。)。

第三以上の次第であつて、原判示騒擾助勢の罪については、前示の如く論旨は理由があるものというべきところ、原判決は、右騒擾助勢の罪と原判示公務執行妨害、傷害の罪とは併合罪の関係にあるものとして一個の刑で処断しているから、同被告人に対する原判決は、破棄を免れない。よつて刑訴法三九七条、三八〇条、三八二条に則り、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

原判決の確定した同被告人に対する原判示公務執行妨害、傷害の各所為中、市川巡査部長の押送の公務、並びに首藤、佐々木両巡査の引致の公務に対する各公務執行妨害の点は、いずれも刑法九五条一項に、市川巡査部長、佐々木巡査に対する各傷害の点は、いずれも同法二〇四条、罰金等臨時措置法(昭和四七年法律第六一号による改正前のもの、以下同法を引用する場合はこの例による。)三条一項一号にそれぞれ該当するが、右は原判示確定裁判のあつた罪と刑法四五条後段の併合罪であるので、同法五〇条により、未だ裁判を経ない前示の各罪につきさらに処断すべきところ、市川巡査部長に対する公務執行妨害と傷害、並びに首藤、佐々木両巡査に対する公務執行妨害と佐々木巡査に対する傷害は、それぞれ一個の行為で二個の罪名に該当する場合であるから、いずれも同法五四条一項前段、一〇条により、一罪として重い各傷害罪につき定めた懲役刑で処断することとし、さらに以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、重い市川巡査部長に対する公務執行妨害、傷害の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で、同被告人を懲役六月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当と考えるから、同法二五条一項により、本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、原審における当該関係訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但し書に従い、これを同被告人に負担させないこととする。

本件公訴事実中騒擾助勢の訴因については、本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、右訴因について同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔四〕 被告人岩田英一、同江口常平関係

弁護人並びに被告人岩田英一、同江口常平の控訴趣意中、事実誤認、若しくは法令の解釈適用の誤りの主張について

所論は、まず、原判決が、被告人岩田の行為として、「(1) 同被告人が、被告人江口らとともに、オート三輪車で祝田橋から皇居外苑広場に入り、さらに、銀杏台島及びこれに接する馬場先通り砂利敷道路に集まつていた集団員が銀杏台上の島に移動する時期に間近い頃、中央自動車道路の方から馬場先通り砂利敷道路に進み、銀杏台島寄りで中央自動車道路より二重橋前砂利敷十字路に近い地点に停車し、その助手台に立つて、付近の集団員らに対し、手を振つたり、叫んだりしてこれを激励し、(2) その後、被告人岩田が、二重橋前砂利敷十字路に配置されていた第七方面予備隊第一中隊第一小隊長真篠文明のところに進み出て、同小隊長との間に原判示のような話し合いをした。」と認定したことについて、同被告人の乗車したオート三輪車が、祝田橋から皇居外苑広場に入り、中央自動車道路を直進してから、馬場先通り砂利敷道路に進み、銀杏台島寄りに停車した時期は、原判決認定の時期よりも後であつて、銀杏台島に集結した南部群集団員が同島から銀杏台上の島へ移動を開始した頃か、あるいは、その最中であり、また、右オート三輪車の停車位置についても、原判決認定の場所とは異なつて、馬場先通り砂利敷道路の皇居前交差点入口付近ないし中央自動車道路寄りであり、そのうえ、同被告人が、その時期、場所において、原判決認定の如く集団員らを激励した事実はなく、また、その後二重橋前砂利敷十字路において、原判示真篠文朋と話し合いをした事実もないといい、これらの点について、原判決の事実誤認を主張し、ついで、原判決が、被告人岩田、同江口らが、楠公銅像島の西北角付近で収容した負傷者を右オート三輪車で病院に送つた後、再び祝田橋から皇居外苑広場に入つた際の付近集団員の状況、並びに、右被告人両名の行為として、「(3) その後警官隊の排除により楠公銅像島に後退させられた集団員が、中央自動車道路を挾んで警官隊と対峙していた午後三時五〇分頃、右オート三輪車が祝田橋から皇居前交差点付近まで進んだ際、被告人岩田は助手台、被告人江口は荷台前部にそれぞれ立ち、楠公銅像島の集団員に対し、被告人岩田は右手を左右に振つて叫び、被告人江口は所持するプラカードを上下に振り、激励した。」と認定したことについて、同被告人らが、第二回目に祝田橋を渡つて皇居外苑広場に入つた時期は、銀杏台上の島の中央自動車道路沿いに楠公銅像島の集団員と対峙していた警官隊が前進を開始し、皇居外苑広場の大部分の集団員が、警官隊の右排除活動によつて、祝田橋と馬場先門より同広場の外に押し出された後であるといい、この点についてもまた、原判決の事実誤認を主張するとともに、さらに、当日の同被告人らの行動は騒擾加担行為と評価されるべきものではないのに、原判決が被告人岩田を騒擾指揮の罪に当るとして、また被告人江口を同助勢の罪に当るとして処断したのは、騒擾加担の意思の点についても、事実を誤認したが、または、法令の解釈適用を誤つたものであると主張する。

一  そこで、所論に鑑み、まず、被告人岩田に対する前記(1) に関する原判決の事実認定の当否について検討してみるのに、銀杏台島及びこれに接する馬場先通り砂利敷道路に集まつていた集団員が原判示の如く銀杏台上の島に移動する時期に間近い頃、被告人岩田や同江口らが乗つた前示オート三輪車が、中央自動車道路の方から馬場先通り砂利敷道路に入り、銀杏台島寄りで、中央自動車道路より二重橋前砂利敷十字路に近い地点に停車し、被告人岩田が、右オート三輪車の助手台に立つて、付近の集団員らに対し、手を振つたり叫んだりし、右集団員らは、これにこたえ、喊声をあげたり手を振つたりしたとの原判示の事実は、原判決引用の証拠、特に、原審証人伊東国彦の証言により、優に認定できるところであり、記録を精査してみても、この点の原判決の事実の認定に誤認を疑うべきかどは認められない。所論は、原判決挙示の原審証人中島栄、同佐藤れいめい、同鈴木中庸の各証言を引用し、原判決の右事実認定を攻撃するのであるが、記録によるも、所論の右各証人の証言が、原判決認定事実と矛盾、そごするものとは認められない。

ところで、原判決は、被告人岩田の右所為をとらえて騒擾指揮の罪に当るものとしているのであるが、同被告人が前記の如く付近集団員に向かつて叫んだ言辞の内容も、証拠上これを明らかにすることができないばかりでなく、その手を振るという挙動にしても、その示すところの意味は必ずしも一義的とはいえず、この挙動をもつて、同被告人に原判示騒擾加担の意思があつたと即断できないことはもちろんである。加えて、同被告人が右所為に及んだのは、原判決の認定する本件騒擾開始前の時期であることは、原判決自体に徴し明らかなところであり、前記集団員において、未だ本件騒擾に対する共同暴行、脅迫の意思の形成されていなかつた時期のことであり、また、証拠によつても、被告人岩田の右所為により、同被告人に応待した集団員はもとより、その余の集団員が、本件騒擾にいたる共同暴行、脅迫の意思を形成するにいたつた事実は認められないのであるから、原判決の判示する諸事情、すなわち、同被告人の地位、並びに同被告人の当日皇居外苑広場内におけるすべての行動、及び前記所為に出るまで同被告人が同広場内において知りえた諸状況を考えてみても、原判決が、同被告人の前記所為をとらえて騒擾指揮の罪に当るものとしたことは、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つた違法があるものといわざるを得ない。

二 つぎに、被告人岩田に対する前記(2) に関する原判決の事実認定の当否について検討してみるのに、なるほど、同被告人の右行為を認定する証拠としては、所論のように、原判決が引用する原審証人真篠文朋の証言(昭和三六年七月二四日及び同月二八日原審各公判期日におけるもの)を措いて他に証拠はない。しかも、右証言によれば、真篠第七方面予備隊第一中隊第一小隊長は、原判示の如き問答をした相手方が同被告人であつたことは当時知らなかつたが、同人がこれを同被告人と目するに至つたのは、当日同人が隊へ帰つてから写真を見せられ、さらに、昭和三〇年一〇月頃、警視庁公安一課で警察官と碁を打つていた同被告人を直接見た結果であるというのである。もつとも、真篠文朋は、右証言において、同人が後に同被告人と目するに至つた当の相手の服装につき、ねずみ色の服を着ており、腕章をつけていたように思う旨供述し、このことは、森山忠雄、佐藤隆治(昭和二七年六月一八日付)の検察官に対する各供述調書、東京地裁昭和三二年押第八八六号のうち第二の七九及び八一の各写真に徴すれば、同被告人の当日の服装と類似するところがあるとはいえ、原判示の集団員と警官隊との接触が始まる前、警官隊の前面付近で、一部の警察官と数名程度の集団員とが、一度ならず話し合いのようなことをしている状況があつたこと(原判決総論(一七六)参照)、また、当時前面の警察官と話し合つた集団員は、真篠小隊長が話し合つた当の相手のみにとどまらないことが原判決の引用する当該関係証拠により明らかであり、さらに、前記中島栄、佐藤れいめいの各証言、並びに被告人岩田、同江口の原審公判期日における各供述によれば、前記一で判示したように、同被告人らの乗車したオート三輪車が馬場先通り砂利敷道路に停車した際には、下車する者もなく、間もなく右オート三輪車は中央自動車道路の方に引き返し、そのまま中央自動車道路を北進して坂下門に向け左折し、銀杏台島を一周したと認められるふしがあり、このことからすれば、被告人岩田が、原判示のような集団員と警官隊との接触が始まる前に、オート三輪車から下車して銀杏台上の島の西縁に赴き、原判示のように、同方向から真篠小隊長の位置(警官隊のうち最も銀杏台上の島に近く隊列の突角地点にいた。)に近づいて話したと認定するについては、疑いがあり、結局、真篠小隊長が話した相手が同被告人であつたと断定するにつき、やはり合理的疑いを容れる余地があるものといわざるを得ない。したがつて、同被告人が前記(2) の原判示所為に及んだとの事実は、これを認めるに由なく、原判決には、この点において、事実を誤認した瑕疵があるものというべきである。

三 つぎに、被告人岩田、同江口に対する前記(3) に関する原判決の事実認定の当否について検討してみるのに、原判決引用の当該関係証拠、特に、原審証人山越健吉の証言、佐藤隆治の昭和二七年六月一八日付検察官調書によれば、楠公銅像島の集団員と銀杏台上の島の警官隊とが、中央自動車道路を挾んで対峙し、右集団員のうち、警官隊に投石し、あるいは中央自動車道路を通行中の米軍関係自動車に対し原判示暴行に及ぶ者のあつた原判示時刻頃、被告人両名が、前記オート三輪車に乗車して祝田橋から皇居前交差点に進んだ際、いずれも楠公銅像島の前記集団員に対し、被告人岩田が右オート三輪車の助手台に立つて右手を左右に振つて叫び、被告人江口がその荷台の前部に立つて所持するプラカードを上下に振つたとの原判示事実を、優に認定することができる。所論は、前記中島栄、佐藤れいめいの原審公判期日における各証言、飯島益の昭和二七年七月三日付検察官調書、原審証人阿部清一の証言並びに被告人江口の原審公判期日における供述を引用して、被告人両名が前記の如くオート三輪車に乗車して祝田橋から皇居前交差点に進んだ時期は、警官隊が中央自動車道路を挾んで対峙していた楠公銅像島の集団員の排除を始めた時点より相当後の時点で、皇居外苑広場内にはすでに大きな混乱はなかつたというのであるが、所論引用の各証拠、特に、飯島益の前記検察官調書、原審証人阿部清一の証言は、原判決が証拠として措信しなかつたところであるばかりでなく、記録によれば、被告人両名が当日前記オート三輪車に乗車して祝田橋から皇居外苑広場に入つたのは、前認定の(1) 及び(3) の時期以外にもあつたことが推認できるのであるから、原判決が右各証拠を採用しなかつた措置を目して不当とすべき筋合はない。所論に鑑み記録を精査してみても、未だこの点の原判決の事実認定に誤認を疑うべきかどは認められない。

ところで、原判決は、被告人両名の前記各所為をとらえて騒擾指揮若しくは同助勢の罪に当るものと認定しているので、この認定の当否について検討する。さて、被告人両人が、原判示時刻頃、オート三輪車に乗車して前記の如く祝田橋から皇居前交差点に向かつたのは、当時銀杏台上の島に進出した警官隊と対峙中の楠公銅像島の原判示集団員に加わり、この集団員と一体となつて暴行、脅迫に出る意思のもとに、これを激励する意図に基づくものであつたとの事実は、原審が取り調べたすべての証拠によるもこれを認定するに由ないばかりでなく、かえつて原審証人皆川秋次郎の証言等によれば、被告人両名は、桜田濠沿い砂利敷十字路、二重橋前砂利敷十字路並びに銀杏台上の島において警官隊と原判示各集団員との接触乱闘があつた直後、馬場先通り砂利敷道路等において、集団員中の負傷者を収容して、東京病院(慈恵医大病院)に運び、さらに負傷者を救護、収容するため同病院から引き返し、前記の如く祝田橋から皇居前交差点に向かい、楠公銅像島等において、負傷者を収容し前記オート三輪車に乗せ、再び同病院に運んだ事実が認められるのであるから、被告人両名の意図としては、専ら右の如く負傷した集団員の救護、収容に当る意思であつたことを推認できるのである。そして、このことは、前記原審証人山越健吉の証言、佐藤隆治の検察官調書によつて認められるように、被告人両名は、特にオート三輪車を停車させる等して原判示所為に及んだものではなく、車を走行させたままの状態で原判示の所為に及んだものであることを考え合わせると、十分首肯できることというべく、一方、被告人両名が、特にこの時期を選んで祝田橋から皇居前交差点に向け前記オート三輪車を走らせたという事実も、証拠上認められないところである。つぎに、被告人両名の所為として認定できるところは、前記事実にすぎないのであり、被告人岩田が付近集団員に向かつて叫んだ言辞の内容も証拠上これを明らかにすることができないばかりでなく、右原審証人山越健吉の証言、佐藤隆治の検察官調書によれば、当時警官隊に対し投石し、あるいは中央自動車道路を通行中の米軍関係自動車に対し原判示の暴行に及んでいた集団員が、被告人両名の存在を認識し、被告人両名の乗車するオート三輪車が同所を通行中右の投石、暴行を中断した事実は認められるが、右投石、暴行の程度について、被告人両名の前記所為の前後を通じて格別の変化があつた事実も認められず、そしてまた、被告人両名の前記所為を契機として、当時楠公銅像島にいた集団員の状況になんらかの変化のあつた事実も認められないのである。してみれば、原判決の判示する諸事実、すなわち、当日被告人両名が皇居外苑広場内において知り得た諸状況、及び被告人両名の地位等を十分勘案してみても、被告人両名の前記所為が、原判決にいう騒擾加担の意思のもとになされた行為と即断することのできないのはもちろん、被告人岩田について、同被告人の前記所為が、警官隊に対し暴行、脅迫に及びまたは及ぼうとする原判示集団員の気勢を高め、あるいはその行動を指示したものということ、被告人江口について、同被告人の前記所為が、同じく右のような集団員の気勢を高める行為に当るものと認定することは、証拠上疑問を容れるものといわなければならない。したがつて、この点において、原判決は、事実を誤認したか、または法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべきである。

以上の次第であつて、前記一ないし三説明の原判決の瑕疵は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は、弁護人及び被告人両名のその余の控訴趣意に対する判断をまつまでもなく破棄を免れない。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、被告人両名に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、被告人両名に対する本件各公訴事実について被告人両名を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、被告人両名に対し無罪の言渡をする。

〔五〕 被告人矢田忠昭、同権相寧、同小檜山林三、同森田良三、同渡邊義光関係

第一被告人小檜山林三の控訴趣意中、原審裁判は時効制度の趣旨にもとる不当な長期裁判であるとの主張については、すでに〔序〕の第一の四において説明したとおりであつて、論旨は理由がない。

第二弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原判決が拳示引用する田代金太郎並びに被告人森田良三の検察官に対する各供述調書には、いずれも任意性、特信性がないのに、原審がこれに証拠能力を認めて原判示事実を認定したのは、訴訟手続の法令違反をおかしたものであるというのであるが、所論に鑑み記録を精査検討してみて、原審が所論の各検察官調書に証拠能力を認めてこれを証拠に採用したことにつき、所論の如き瑕疵があるものとは未だ認められないから、論旨は理由がない。

第三弁護人の控訴趣意中事実誤認の主張について

所論は、原判決は、被告人矢田忠昭、同権相寧、同小檜山林三、同森田良三、同渡邊義光が、皇居外苑広場において、東京土建一般労働組合杉並支部(以下東京土建杉並支部と略称する。)の者達と一団となつて行動したことを前提としたうえ、まず、右一団が楠公銅像島上に集まつた時、及び同島から桜田濠沿い砂利敷道路の方へ向け銀杏台上の島へ西進を始めた際、被告人矢田、同権、同渡邊が警官隊に対する加害意思をあらわすような原判示言動に出た旨を、つぎに、右一団が右砂利敷道路の集団員の前部に進出した際、被告人矢田、同権、同小檜山が、右一団の者など付近集団員に対し、原判示の如き言辞をもつて呼びかけ激励せん動し、また被告人森田が所携のプラカードを壊してその柄を所持した旨を、さらに、右砂利敷道路上で、原判示の如き集団員排除行動に移つた警察官に立ち向かつた同道路上の集団員が全面的に総崩れの形で後退に転ずるに至つた状況の頃まで、右被告人五名がいずれも棒を所持して右集団員に加わり、その際被告人小檜山、同森田は右警察官に向かつて石ないし砂利を投げつけた旨を、それぞれ認定しているが、被告人森田は、皇居外苑広場においては、右東京土建杉並支部の一団にはぐれて別個に行動したものであるばかりでなく、右一団が楠公銅像島に集まり、ついで同島から西進を始めたのは、当時のデモ隊全体の移動に従つたものであり、右移動はもとより警官隊に対する攻撃的意図に出たものではないから、この時点において、被告人矢田、同権、同渡邊に警官隊に対する加害意思をあらわすような言動があつたものとはいえず、さらに桜田濠沿い砂利敷道路においては、右一団を含むデモ隊が解散を志向して待機するうち、警官隊の違法不当な先制攻撃によつて四散させられた状況であり、右被告人五名が積極的に警官隊を攻撃したなどという事実は全くなく、なお被告人森田は、同被告人が右道路上でプラカードを壊して柄だけにして持ち、また警官隊に対し砂利を投げた旨原審公判で自認しているが、前者は、身の危険を感じ防衛的な立場からなしたもの、また後者は、ガスが投げられピストルが炸裂するなかで、身を守るためとつさに無意識になしたにすぎないものであり、以上の諸点において原判決の事実認定は誤つていると主張する。

そこで、以下右所論の当否について、順次検討することとする。

一  被告人森田が皇居外苑広場において東京土建杉並支部の者達と別行動をとつた旨の所論について

被告人森田が原審公判で所論にそう趣旨の供述をしていることは、所論指摘のとおりであるが、原判決が挙示引用する同被告人の右供述を除くその余の各証拠を総合すれば、同被告人が、皇居外苑広場に入つた後、桜田濠沿い砂利敷道路から逃げ出すまでの間、その余の本件被告人四名を含む東京土建杉並支部の者達と一団となつて行動をともにしたものであることが明らかであり、この点について記録上原判決の事実誤認を疑うべきかどは認められない。

二  原判示警官隊による桜田濠沿い砂利敷道路の集団員排除行動開始前における本件被告人五名の原判示各所為に関する事実誤認の所論について

記録並びに原審が取り調べた証拠を検討してみるのに、原判決が、その挙示引用する証拠によつて、原判示警官隊による桜田濠沿い砂利敷道路の集団員排除行動開始前における右被告人五名の原判示各所為を認定した措置は、十分首肯できるものというべきである。しかしながら、右被告人五名の原判示各所為は、いずれも原判決の認定した本件騒擾開始前の行為にかかるものであることは、原判示事実自体に徴し明らかなところであるから、前記〔二〕の被告人内田健次外一三名に対する項において詳しく説明したとおり、本件被告人五名の右原判示騒擾開始前の各所為は、騒擾助勢の罪に当らないものというべきであり、原判決には、法令の解釈適用を誤つたか、事実を誤認した違法があるものというべく、原判決のこの点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は結局理由がある。

三  原判示警官隊による桜田濠沿い砂利敷道路の集団員排除行動開始後における本件被告人五名の原判示各所為に関する事実誤認の所論について

1 被告人森田が砂利を投げつけた旨の原判示所為について

まず、原判決が挙示する各証拠を総合すれば、被告人森田が、原判示東京土建杉並支部の者達とともに、桜田濠沿い砂利敷道路の原判示集団員の前部に進出し、約四〇メートルの距離を隔てて警官隊と対峙するうち、右集団員側から向かつて左側の警察官二〇名位が、同濠寄りに前進して来たこと、その際同被告人は、右警察官に向かつて前進し砂利を投げつけたり棒等で殴りかかつたりする付近の集団員中に立ちまじつて、五、六回にわたり、路上の砂利をつかんで投げつけたことが認められる。

一方、原判決が原判示総論事実認定に引用した証拠によれば、右総論認定のとおり、米川第七方面予備隊副隊長による原判示集団員排除のための実力行使開始の命令に先だち、催涙ガス筒の使用を必要とする事態に備え、その使用場所を桜田門方向に求むべく、第一方面予備隊特別班佐藤第一分隊長が、部下隊員をともなつて、桜田濠沿いに桜田土堤方向に進んで行き、同特別班第二分隊員もこれに続いたが(原審証人佐藤春吉の昭和三〇年九月二八日原審公判期日における証言によれば、以上の特別班員の総数は二〇名と認められる。)、これら警察官の前進を知つた同濠沿いの集団員中には、その前進を阻もうとし、同分隊長らに近づいたり、砂利などを投げつけたり、棒などで殴りかかつたりする者があり、同分隊長は、これら集団員に対して「拳銃を撃つぞ」とか、所持の催涙ガス筒を示して「投げるぞ」とか申し向け、集団員をおさえながら進んだこと、そのようにするうち、右米川副隊長の実力行使開始の命令に基づき集団員排除のため前進した原判示警官隊と、これに当面する原判示集団員との当初の接触が始まり、さらにその接触部分の集団員の右方に連なる桜田濠沿い砂利敷道路上及び銀杏台上の島上の集団員が、その接触開始とほとんど同時に、桜田濠寄りから銀杏台上の島の西北角付近に順次波及する形で急激に動き出したが、その初期の頃、同濠沿いを進んでいた右佐藤分隊長は、右接触の開始を知り、同砂利敷道路上の集団員中直接警察官と接触している集団員よりも後方に向かつて催涙ガス筒一個を投てきし、同分隊長に続いていた他の特別班員も、これに相次ぐ状態で催涙ガス筒の投てきを開始したことが、それぞれ認められる(原判決総論(一八一))。

そして原判決が挙示引用する関係各証拠を、右原判決総論認定の事実と対比しつつ仔細に検討してみると、右原判決総論にいう佐藤分隊長ほか第一方面予備隊特別班員が桜田濠沿いを桜田門方向に進んでいた際、その前進を阻むため妨害行為に及んだ付近の原判示集団員らに立ちまじり、被告人森田が、同濠沿い砂利敷道路上で、同特別班員に向けて砂利を投げつけたものと認むべき余地が多分に存するものというべきである。もつとも原判決の引用する同被告人の昭和二七年六月三日付、同月九日付各検察官調書には、右濠寄りに進んで来た警官隊に対し、同被告人らが砂利を投げつける等の妨害行為に出たうえその場を逃げ出したのは、右警官隊が集団員に向けガスを投げ込み始めた後であり、したがつて、右は前示米川副隊長の命令に基づいて前進した警官隊と集団員との原判示接触開始後の所為であるかのように窺われる供述記載も存するが、右供述記載部分は、前示原判決総論に判示するとおり、佐藤分隊長が所持の催涙ガス筒を示して「投げるぞ」等と申し向け集団員をおさえながら進んだ状況や、同被告人が砂利を投げた後逃走の際にうけた催涙ガス被害の強烈な印象等による記憶の混乱に基づく可能性もないとはいえないばかりか、前示のとおり、桜田濠沿い砂利敷道路上の原判示集団員の前部に、警官隊と約四〇メートルの距離をおいて位置していたものと認められる同被告人及び東京土建杉並支部の田代金太郎のいずれもが、原判決引用の各検察官調書並びに原審公判期日における供述ないし証言中において、前示原判決総論判示の米川副隊長以下の警官隊とこれに当面する同道路上の集団員との原判示接触という顕著な事態に関し、首肯すべき特段の事情もないのに、なんら語るところがないのは、同被告人及び右田代が右接触の事態を自ら体験していないことによるものと推認されることに徴しても、前記の供述記載部分にたやすく信を措くことはできない。

はたしてしからば、同被告人が砂利を投げつけた前示所為の相手方及び時期について、原判示の如く、警官隊が桜田濠沿い砂利敷道路上において集団員排除の行動に移つた際に、右警官隊に対してこれをしたものと断ずるには、なお合理的な疑いが残り、かえつて右所為は、右原判示警官隊による集団員排除行動が開始される前、すなわち原判決にいう本件騒擾開始前の段階において、前示第一方面予備隊特別班員に向けこれをしたものと認むべき余地が多分に存するものというべきである。そして、後者の場合をとらえて騒擾助勢の罪に問擬することの許されないことは、前示二において述べたところと同様であるから、同被告人の前示砂利を投げつけた所為をもつて騒擾助勢の罪に当るものとした原判決には、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つた違法が存するものというべきである。

2 被告人小檜山が投石した旨の原判示所為について

原判決が挙示引用する証拠のうち、同被告人の原判示投石の所為を直接に証明するものは、田代金太郎の昭和二七年六月三日付、及び同月一一日付検察官に対する各供述調書を措いて他にはない。しかもその供述内容は、本件メーデー当日の夜、同人が被告人矢田とともに被告人小檜山宅を訪ねた際、同被告人から、「二重橋前で警官隊からガス弾を投げこまれて乱闘になつた際、石を投げつけてやつたが、追われて馬場先門の方に逃げた。」旨を聞いたというにすぎず、これをもつてしては、はたして同被告人が、皇居外苑広場のどの地点で、いかなる状態にある警官隊に対し、どのような意図のもとに、どのような態様で投石を行なつたのかいつこうに不明であり、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠を検討してみても、右の諸点を明らかにするに足りる証拠は見当らない。してみれば、同被告人について原判示投石の所為を認めた原判決には、事実誤認の瑕疵があるものというべきである。

3 本件被告人五名が、原判示警官隊による排除行動開始後桜田濠沿い砂利敷道路上の原判示集団員が総崩れの形で後退するに至つた頃まで、棒ないしプラカードの柄を所持して右集団員中に加わつていた旨の原判示所為について

原判決が挙示引用する証拠によれば、本件被告人五名が、他の東京土建杉並支部の者達とともに、桜田濠沿い砂利敷道路上の原判示集団員の前部に進出して警官隊と対峙し、その際、いずれも棒ないしプラカードの柄を所持していたことは認められるが、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠を検討してみても、右被告人五名が、原判示警官隊による排除行動開始後、なお右砂利敷道路上にあつて、右警官隊に立ち向かつた原判示集団員の中に加わつていたことを認めるに足りる証拠はない。原判決引用にかかる被告人森田の原審公判期日における供述及び各検察官調書、並びに田代金太郎の原審証言及び右検察官調書のうち、同被告人及び右田代が右砂利敷道路から逃げ出したのは、警官隊による催涙ガス使用後であるかの如き趣旨の供述ないし証言及び供述調書記載部分のたやすく措信できないことは、さきに説示したとおりである。はたしてしからば、右砂利敷道路上の原判示集団員が総崩れの形で全面的後退に転ずる頃まで、本件被告人五名が右集団員中に加わつていた旨の原判示認定には、事実誤認の瑕疵があるものというべきである。

以上のとおり、原判決には、前記1ないし3の諸点において、事実誤認の瑕疵、ないし法令の解釈適用の誤りがあるものというべく、原判決のこの点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は結局理由がある。

よつてその余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条、三八〇条、三八二条に則り、本件被告人五名に対する原判決をいずれも破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、本件被告人五名に対する本件各公訴事実について、同被告人らを有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、本件被告人五名に対し無罪の言渡をする。

〔六〕 被告人川端彌太郎、同緑川勝也、同佐藤政春関係

第一弁護人並びに被告人緑川勝也の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原判決が被告人川端彌太郎、同緑川勝也、同佐藤政春に対する各関係犯罪事実認定の証拠として引用した当該被告人各関係の野田孝太郎、篠貞雄、松戸とよ子、森田ケイ、豊島昭藏(被告人緑川についてのみ)、佐川晋也(被告人佐藤についてのみ)、並びに被告人緑川、同佐藤の検察官に対する各供述調書は、任意性も特信性もないもので、いずれも証拠能力のない供述調書であるのに、原審がこれを有罪認定の証拠として採用したことは、訴訟手続の法令違反であるというのである。

所論に鑑み記録を検討してみるのに、所論指摘の野田孝太郎、篠貞雄、松戸とよ子、森田ケイ(証言時は井上姓)、豊島昭藏は、いずれも原審公判期日において証人として証言した際、同人らの検察官に対する各供述調書は、当時記憶していたことを記憶どおりに述べたもので、検察官に無理に言わされたような事実はなく、証言当時は忘れたことが多いと述べているのであるし、佐川晋也の検察官調書についても、原審がその採用部分について、同人の原審公判期日における証言に比しより信用性があり、かつその供述の任意性があることを認めたものであるから、原審がこれらの各供述調書を証拠として採用した措置に、所論の如き瑕疵があるものとはとうてい認められない。また、被告人佐藤、同緑川の検察官に対する各供述調書について、同被告人らの供述が任意になされたものでないことを疑うべき事情は認められないばかりでなく、原審が右各供述調書について特信性を認めた措置を不当とすべき事情は認められない。それ故、前記各供述調書の証拠能力を攻撃する論旨は理由がない。

第二同、事実誤認の主張について

所論は、被告人川端、同緑川、同佐藤は、桜田濠沿い砂利敷道路に進出していた集団員のやや後方に位置し、警官隊の攻撃開始直後、事態不明のままその場から逃走したものであつて、騒擾加担の意思はなかつたと主張し、原判示の当該被告人の具体的所為に関する原判決の事実認定の当否を争うものである。

まず、原判決は、被告人川端、同佐藤について、同被告人らが、原判決にいう本件騒擾開始前、原判示佐川ガラス労働組合員らとともに楠公銅像島に集合し、さらに中央自動車道路を越えて西進し、桜田濠沿い砂利敷道路に進出し、同所に集結した集団員の前面から一五人目位のところに加わつた時点までの同被告人らの原判示所為を、騒擾助勢の罪を構成すべき事実として認定判示していることは、原判決自体に徴し明らかであるが、原判決は、原判示警官隊が、桜田濠沿い砂利敷道路上において、集団員排除の行動に移り、集団員との間に乱闘が開始された時点をとらえて、本件騒擾の開始時点と認めているのであり、原判決引用の当該関係証拠により認められる同被告人らの行為は、いずれもそれ以前の行為に関するものであるから、前記〔二〕の被告人内田健次外一三名に対する項において詳細説明したとおり、被告人川端、同佐藤の前記原判示騒擾開始前の行為は、騒擾助勢の罪に当らないものというべきである。原判決は、この点において、法令の解釈適用の誤りがあるか、若しくは事実誤認の瑕疵があるものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由がある。

そこで、さらに、原判決にいう騒擾開始後の被告人川端、同緑川、同佐藤の原判示当該具体的行為に関する原判決の事実認定の当否を検討してみる。

一  被告人川端について、前記騒擾開始時点以後の同被告人の行為として原判決の認定するところは、原判示警官隊が桜田濠沿い砂利敷道路上に集結していた集団員の排除行動に移り、やがて警官隊使用の催涙ガスが強く作用したため、周辺の集団員が銀杏台上の島方向に後退する状況となる頃まで、同被告人が同砂利敷道路上の集団員の中に加わつていたという事実である。

そこで、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみるのに、原判決引用の証拠、特に被告人佐藤の昭和二七年五月一四日付、同月一六日付並びに同月一九日付検察官に対する各供述調書、篠貞雄の同年五月一四日付検察官に対する供述調書、及び被告人川端の原審公判期日における供述によれば、同被告人が、その所属の佐川ガラス労働組合の組合員らとともに、桜田濠沿い砂利敷道路に進出し、当時同所に集結し原判示警官隊と対峙していた集団員の前面から一〇人ないし一五人目位の所に加わつたこと、警官隊が催涙ガス筒を投てきしガスが同被告人の身辺に及んだ頃同被告人が逃げ出したこと、右砂利敷道路と銀杏台上の島の西縁の境付近で、同被告人が警官隊の発射したピストルの弾丸一発を左臀部に受け受傷したことは、認定できるが、原判示警官隊と右砂利敷道路上に集結していた前記集団員との接触乱闘中の同被告人の行動について、これを明らかにする資料は、原裁判所が取り調べた証拠中どこにも見当らない。したがつて、同被告人が前記の如く右砂利敷道路へ進出後、同所から逃げ出すまでの間の同被告人の行動は不明というほかなく、これを原判決認定の如く、警官隊が集団員排除の行動に移り、総論認定の警官隊と集団員との接触乱闘開始後警官隊による催涙ガス使用の時点まで、同被告人が、右砂利敷道路上の前記集団員の中に、この集団員と一体となつて右警官隊に暴行を加える意思のもとに加わつていたと認めることには、やはり合理的疑いを容れるものというべく、この点の同被告人に関する原判決の事実の認定には、事実誤認の瑕疵があるものというべく、右の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

二  被告人緑川について、同被告人の行為として原判決の認定するところは、二重橋前砂利敷十字路付近において、警官隊とその前面で対峙していた集団員とが接触を開始した直前頃、同被告人が銀杏台上の島の集団員の後方において、原判示意図のもとに、旗の棒を携え、「やれ、やれ」と連呼しつつ、右集団員の群れの方に駆け進み、集団員の前方の者が警官隊と乱闘を始めている状況を察知しながら、銀杏台上の島上の集団員の後方から、付近の者をかき分け前進したという事実である。

そこで検討してみるのに、原判決引用の証拠、特に、森田ケイの昭和二七年五月二一日付、同月二九日付並びに同年七月三日付(原判決に同月三日付とあるのは七月三日付の誤記である。)検察官に対する各供述調書、被告人緑川の昭和二七年五月一四日付、同月一九日付並びに同月二三日付検察官に対する各供述調書によれば、同被告人が、銀杏台上の島上の集団員の後方で、原判示意図のもとに、所携の旗の棒から旗をはずし、着用の上衣を脱いで、同被告人と同じく佐川ガラス労働組合所属の組合員森田ケイにこれを預けたうえ、右旗の棒を携え、「やれ、やれ」と連呼しつつ、前方で警官隊と対峙していた集団員の群れの方に駆け進んだことは認められるが、それは、原判決もいうように、原判示集団員と警官隊との接触開始前のことであつたことが明認できる。そして、同被告人が、右警官隊と集団員との接触開始後、乱闘中の集団員に加勢する意図のもとに、銀杏台上の島上の集団員の群れの後方から、付近の者をかき分け前進したとの事実については、これを確認するに足りる証拠がなく、かえつて、森田ケイの前記各検察官調書、並びに同被告人の昭和二七年五月二三日付検察官調書によれば、同被告人が前記の如く旗の棒を携え、六、七メートル前進した後、集団員の前方二重橋前砂利敷十字路付近で警官隊と集団員とが乱闘を始めたことを知り、やがて、警官隊が催涙ガス筒を投てき、前方の集団員が逃げ始めたので、同被告人も逃げ出してきた事実を窺い知ることができるが、原判示警官隊と集団員との接触開始後、同被告人が、警官隊と乱闘中の集団員に加担するために、はたしていかなる行為に及んだものであるかは、証拠上これを知ることができない。はたしてしからば、原判決が、同被告人について、原判示警官隊と集団員との接触開始後の行為として原判示の事実を認定したことは、事実誤認の瑕疵があるものというべく、また右接触開始前の同被告人の行為が騒擾助勢の罪を構成すべきものでないことは、すでに被告人川端、同佐藤に対する冒頭説明において示したとおりであり、原判決はこの点において、法令の解釈適用の誤り、若しくは事実誤認の瑕疵があるものというべく、以上の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由がある。

三  被告人佐藤について、前示騒擾開始後の同被告人の行為として原判決の認定するところは、同被告人が、桜田濠沿い砂利敷道路において警官隊と殴り合つている集団員を声援すべく、同砂利敷道路上において、さきに銀杏台上の島において労働者ふうの者から渡された角棒を携え、「この野郎、やつつけろ」とどなつたという事実である。

そこで検討してみるのに、原判決引用の証拠及び原裁判所が取り調べた同被告人関係の証拠を検討してみても、同被告人が、原判示砂利敷道路上において原判示の警官隊と集団員とが殴り合つている際、右集団員を声援すべく、所携の棒を携え、「この野郎、やつつけろ」とどなつたとの事実を認定するに足りる証拠は存しない。もつとも、同被告人の昭和二七年五月一九日付検察官調書の中には、同被告人が、銀杏台上の島の同被告人の同月一四日付検察官調書添付図面(ホ)点まで行つた時、その前方桜田濠沿い砂利敷道路付近で、警官隊とデモ隊とが殴り合つている状況を認め、所携の棒を携え、右砂利敷道路上の前記図面(ヘ)点まで、「この野郎、やつつけろ」と叫びながら、駆け進んだ旨の供述記載があるが、原判示の警官隊と集団員とが接触し乱闘を始めるにいたつたのは、同被告人を含む佐川ガラス労働組合の組合員らが、右砂利敷道路上に集結していた集団員の群れに加わつた後の時期であつたことは、同被告人の昭和二七年五月一四日付検察官調書、野田孝太郎の同年五月二八日付検察官調書、被告人川端の昭和三八年七月二四日原審公判期日における供述により明認できるところであるから、被告人佐藤が前記銀杏台上の島(ホ)点において警官隊と集団員との接触乱闘の事実を知つたとの同被告人の前記検察官に対する供述調書中の供述記載は、とうてい措信し難いものである。そして、同被告人の検察官に対する各供述調書中の供述記載を通して読めば、同被告人が原判示のように棒を携え、どなつたというのは、原判示警官隊と集団員との接触開始前、銀杏台上の島において労働者ふうの者から角棒を手渡され、桜田濠沿い砂利敷道路の方に進んだ途中であつたことを知ることができる。してみれば、同被告人の原判示所為は、これまた原判示騒擾開始前の行為にかかるものというべく、騒擾助勢の罪を構成しないことはすでに説明したとおりであり、右騒擾開始後原判示警官隊と集団員との接触乱闘中の同被告人の行為に関しては、これを確認するに足りる資料がない。してみれば、原判決は、同被告人に対する原判示犯罪事実を認定するについて、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つたものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、被告人川端、同緑川、同佐藤に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、同被告人らに対する本件各公訴事実について同被告人らを有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人らに対し無罪の言渡をする。

〔七〕 被告人大峰晴関係

第一弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原審が束原潔の検察官に対する各供述調書を被告人大峰晴に対する犯罪事実認定の証拠として採用したことは、証拠能力のない証拠を証拠としたもので、訴訟手続に法令違反があるというのである。

しかし、記録を検討してみても、原審が、所論の束原潔の検察官に対する各供述調書について、それが同人の公判期日における供述に比べて特に信用すべき情況があるものと認めて、これを証拠として採用した措置に、所論の如き瑕疵があるものとは認められない。同人の昭和二七年五月一二日付検察官に対する供述調書の供述記載内容中、一部客観的事実に反する部分のあることは所論のとおりであるが、それは右供述調書の証明力に関することであり、証拠能力に関することがらでないことはもちろんである。束原潔自身が、証人として、原審公判期日において、検察官に対しては当時記憶しているところを正直に述べたものであると語つている本件では、所論の理由のないことは明らかである。

第二同、事実誤認の主張について

所論は、同被告人については原判示行為をするに際し騒擾加担の意思がなかつたというのである。

さて、原判決は、同被告人が原判示映演総連の一団に加わり、右一団が桜田濠沿い砂利敷道路に進出し、二重橋前砂利敷十字路付近に配置についていた警官隊と相対する集団員の先頭に位置し、その際、同被告人は、桜田濠沿い砂利敷道路の集団員の先頭から六列目位の位置にいたところ、間もなく原判示の経緯を経て、前記警官隊と集団員とが接触乱闘するに及び、その頃警官隊と接触している集団員の後方にいた同被告人は、付近にいた集団員が右警官隊に投石している状況下、足許の秒利を拾い、集団員と接触していた警官隊の方へ投げつけたとの事実を認定し、同被告人の行為を騒擾助勢の罪に当るとしている。

ところで、原判決引用の証拠によれば、原判示の経緯を経て、原判示集団員と原判示警官隊との間に接触乱闘が起り、当時同被告人の付近にいた集団員のうち原判示のとおり警官隊に対し投石する者があつたこと、同被告人も右接触後足許の秒利を拾い警官隊の方へ投げたことは、これを認定することができる。しかし、同被告人が秒利を投げた状況については、原判決の引用する同被告人の検察官に対する供述調書並びに同被告人の原審公判期日における供述によれば、同被告人は、原判示映演総連の一団に加わり皇居外苑広場に入つた後、楠公銅像島に上がりしばらく休んでいたところ、付近で大会を開こうという呼びかけもあり、同被告人も右映演総連の一団とともに、原判示桜田濠沿い秒利敷道路まで進出し警官隊と対峙するにいたつたが、右映演総連の後方にいた同被告人は、「棒を持つている者は前に出ろ」という呼びかけのあるなかで、その位置にとどまり、付近の状況を傍観しているうち、やがて警官隊とこれに対峙していた集団員とが激しく接触するに及び、同被告人は、右映演総連の一団からいち早く逃げ出し、その逃げる途中で足許の秒利を拾つて無意識に警官隊の方へ投げたという次第であつて、同被告人がはたしてどの位の量の秒利をどの位置から投げたものか、またその時、警官隊をどの場所に認め、警官隊との間にどの位の距離があつたものかも、証拠上これを確認するに由ないものである。そして、その砂利も、前記のとおり無意識に警官隊の方へ投げたというだけであつて、特に、警官隊を目がけて投げたという証拠もない。してみれば、同被告人が砂利を投げた状況と、前示の同被告人が警官隊と付近集団員の接触を見るに及びいち早く自己の属する映演総連の集団の中から逃げ出していることを考え合わせると、同被告人が、原判示の警官隊と接触乱闘している集団員に加わり、この集団員と一体となつて警官隊に暴行を加える意思のもとに、砂利を投げたと認定するについては、特にこれを積極に認めるに足りる証拠のない本件では、合理的疑いを容れるものというべきである。

以上の次第であるから、原判決が、同被告人に対し、騒擾加担の意思を認めて、同被告人の行為を騒擾助勢の罪に当るものと認定したことは、事実を誤認したものというべく、右の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の論旨は結局理由がある。

よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条、三八二条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔八〕 被告人伏間ミヨ関係

第一弁護人並びに被告人伏間ミヨの控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原審が、任意性も特信性も認められない金谷英夫、鴨沢章並びに樋口泰三の検察官に対する各供述調書を証拠とした点において、訴訟手続の法令違反があるというのである。

そこで、所論に鑑み記録を検討してみるのに、金谷英夫は、証人として原審公判期日において、検察官に対して述べたことは大綱において真実である旨を語り、鳴沢章、樋口泰三についても、所論の如く、当時勾留中であつた同人らが、身柄の釈放と引き換えに検察官に対し不任意の供述をしたというが如き事実は認められない。記録に徴し、原審が右金谷、鴨沢並びに樋口の検察官に対する各供述調書を証拠として採用したことに、未だ所論の如く証拠能力のない証拠を採用したとの瑕疵が存するものとは認められない。この点の論旨は理由がない。

第二同、事実誤認の主張について

所論は、原判決が同被告人の行為として認定している事実について、同被告人としては、解散大会を期待して原判示桜田濠沿い砂利敷道路に進出し、警官隊が突然デモ隊の方に押しよせてきたので、驚いてその場から逃げ出したもので、原判示の如く、同被告人所属の農林統計協会の組合員らに、「しつかりやれ」「がんばれ」等と連呼し、あるいは「あんな者はやつてしまえ、云々」と大声で呼びかけた事実はないというのである。

所論に鑑み、記録並びに原裁判所が取り調べた関係証拠を検討してみるのに、まず、同被告人が、原判示桜田濠沿い砂利敷道路に進出し、同所で警官隊と相対していたデモ隊の中に加わり、原判示の警官隊とデモ隊員との接触の直前頃、同被告人と同行し同所で隊列を組んでいた同被告人所属の農林統計協会の組合員らに対し、棒を持ちながら、「しつかりやれ」「がんばれ」と連呼した事実は、原判決引用の証拠、特に鴨沢章の昭和二七年五月一四日付検察官調書(同調書に福島とあるのは伏間の誤記と解される。)により明認できるところであつて、記録を調べてみても、この点の原判決の事実認定に誤認を疑うべきかどは認められない。したがつて、この点の事実誤認を主張する論旨は採ることができないが、同被告人の右所為は、原判決の認定した本件騒擾開始前の行為にかかるものであることは、原判示事実自体に徴し明らかなところであるから、前記〔二〕の被告人内田健次外一三名に対する項において詳しく説明したとおり、被告人伏間の前記原判示騒擾開始前の行為は、騒擾助勢の罪に当らないものというべきである。原判決には、この点において、法令の解釈適用を誤つたか、若しくは事実誤認の瑕疵が存するものといわなければならず、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由がある。

つぎに、原判示の警官隊と集団員との接触乱闘開始後の同被告人の行為についての原判決の事実認定の当否について検討してみる。

記録並びに原判決引用の関係証拠を検討してみるのに、原判示場所で同被告人の所属する農林統計協会の組合員らの付近で、原判示集団員と警官隊とが接触乱闘していた際、同被告人が右組合員らに対し、原判示の如く呼びかけたとの事実については、樋口泰三の昭和二七年五月一五日付検察官に対する供述調書を除いてこれを認定できる資料は皆無であり、右樋口泰三の検察官調書によれば、この事実を認定できる如くである。しかし、右調書には、「自分が見たのは伏間で、盛んに右腕を振り上げ、前方でデモ隊と乱闘を始めている警官隊に向かつて、僕達に『あんなものはやつてしまえ』『味方はやられているのだ』と大声をあげて勢をつけていた。もうその頃は祝田橋の方に逃げ出した頃で、ただちりぢりになつて祝田橋へ逃げてくる途中、伏間さんが、その付近にいた一般のデモ隊の人達に、逃げおくれて警官隊にやられている方を指さして、興奮の余り、『あの人達はやられているのだ。助けようじやないか』と喚いていたのを見て、女ながら大したものと思つた。」旨の供述記載があり、この供述調書には、同被告人の所属していた農林統計協会の組合員らの付近における原判示集団員と警官隊との接触乱闘の状況については、なんら語るところがなく、また、同被告人が呼びかけたという農林統計協会の組合員、特に、被告人南隆、同由比信、同尾沼巌、鴨沢章らの行動についても、同人らはどこで何をしていたか判らないというだけであつて、被告人伏間が、原判示集団員と警官隊とが農林統計協会の組合員らの付近で接触乱闘していた際、農林統計協会の組合員らに対し原判示の如く呼びかけたものとするには、その当時の状況が何も語られていないのは不自然であるばかりでなく、右樋口の検察官調書によつて認められる同被告人の呼びかけ行為というのは、前記の如く祝田橋の方に逃げ出した頃と祝田橋へ逃げてくる途中の二回あつたものか、それとも同被告人の呼びかけ行為は一回だけであり、右供述調書の前段は、樋口が目撃したという同被告人の行為の概要を示し、後段においてこれを具体的に示したものであるのかも、実は右樋口の検察官に対する供述記載だけをもつてしては、一義的には読みとれないのである。つぎに、鴨沢章の検察官に対する供述調書には、前記警官隊と集団員との接触乱闘開始前の同被告人の行動について、かなり詳細な供述記載があるのに、それに引き続く接触乱闘開始後の同被告人の行動について、首肯すべき理由もないのに、なんら語るところがないのも不自然である。証拠の内容は以上のとおりである。してみれば、同被告人の呼びかけ行為が、何時、いかなる状況の下において、だれに対して、そしてまたいかなる意思のもとになされたものであるかについて、これを明確にすることは困難であり、前記樋口泰三の検察官調書のみにより、この点を原判示の如く認定することには、合理的疑いを容れるものといわざるを得ない。同被告人が、警官隊と接触乱闘した原判示集団員に加わり、これと一体となつて警官隊に暴行を働く意思のもとに、原判示呼びかけ行為を行なつたと認定するには、やはり証拠不十分といわざるを得ないばかりでなく、二重橋前砂利敷十字路付近から銀杏台上の島上にかけての原判示各集団員の暴行、脅迫に協力したと認めるに足りる証拠もない。はたしてしからば、原判決はこの点において事実を誤認したものというべく、右の事実の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八〇条、三八二条に則り、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断するに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔九〕 被告人山崎良一、同山田岩太郎、同藤田八郎、同萩谷明、同長畑喜一、同岡田精吉、同金福根、同柴山康夫、同小島実、同宮尾健治、同熊坂孝、同岡本光雄、同荒井菊男、同金子武治、同渡辺兼雄、同松原忠雄、同土屋マサ子関係

第一騒擾助勢の罪に関する控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

一  弁護人の被告人山崎良一、同山田岩太郎、同藤田八郎、同萩谷明、同長畑喜一、同岡田精吉、同金福根、同柴山康夫、同小島実、同宮尾健治(以上の被告人一〇名を以下蒲田職安関係被告人らと総称する。)に関する所論は、原判決が右各被告人らについて挙示引用する被告人宮尾、同小島、同萩谷の検察官に対する各供述調書の任意性、特信性は、いずれも疑わしく、なお、そのうち被告人宮尾の昭和二七年七月一日付供述調書は、同被告人の起訴後作成された違法なものであり、また被告人小島の同年五月一五日付供述調書につき、原判決はその第二九項及び同調書にとつて不可欠な添付図面をことさら除外して引用しており、さらに被告人萩谷の供述調書添付図面の作成日付は、調書自体の作成日付と一致しておらず、以上の諸点からして、右各供述調書にはいずれも証拠能力がないのは、原審がこれを証拠として採用し、蒲田職安関係被告人らにつき、原判示各事実を認定したのは、訴訟手続の法令違反をおかしたものであるというのであり、被告人長畑、同柴山、同小島の各所論も、弁護人の右所論と同旨に帰するものと解される。

よつて検討してみるのに、まず、記録によれば、原審において、検察官が、被告人小島に対する関係で、原判決の挙示引用する同被告人及び被告人萩谷の検察官に対する所論各供述調書、並びに被告人宮尾の検察官に対する所論各供述調書のうち昭和二七年五月一〇日付及び同月一一日付分の取り調べを、また被告人宮尾に対する関係で、原判決の挙示引用する被告人小島、同萩谷の検察官に対する所論各供述調書の取り調べをそれぞれ請求したのに対し、被告人小島、同宮尾の原審各弁護人は、いずれも右各供述調書のすべてにつき、これを証拠とすることに同意し、右被告人両名もこれについてなんら異議を述べていないことが明らかであり、かかる場合、特段の事情も窺われないのに、控訴審に至つて、にわかに所論のように右各供述調書の証拠能力を争う旨の主張をすることは、許されないものというべきである。さらに、被告人宮尾に対する関係で、原判決の挙示引用する同被告人の検察官に対する所論各供述調書の、また被告人小島、同宮尾を除くその余の被告人八名に対する関係で、原判決の挙示引用する被告人宮尾、同小島、同萩谷の所論各供述調書の各証拠能力を争う旨の所論に鑑み、記録を精査検討してみても、原審が所論の各供述書に証拠能力を認め、これを証拠に採用したことにつき、所論の如き瑕疵があるものとは、未だ認められない。なお、被告人宮尾の検察官に対する所論昭和二七年七月一日付供述調書が、同被告人の起訴後(但し第一回公判期日前)に取り調べ作成されたものでであることは所論のとおりであるが、右取り調べが公訴維持の必要上なされたものであることは、右調書の内容に照らして明らかであるうえ、右調書に任意性を認め得ること前示のとおりである以上、起訴後の取り調べにかかるとの一事をもつて、右調書の証拠能力を否定すべきいわれはない(〔一〕の第一の一参照)。つぎに、原判決は、被告人小島の検察官に対する所論昭和二七年五月一五日付供述調書について、その第二九項を除外して証拠の標目に掲記し、またその添付図面を証拠の標目に明示して挙げていないが、右図面は右供述調書と一体となりその供述中に引用されているのであるから、原判決の意とするところは、右供述調書中原判決に掲記した供述記載部分と一体をなす右図面の記載までを除外した趣旨とは、とうてい解されない。さらに、被告人萩谷の検察官に対する所論昭和二七年五月一二日付、同月一六日付各供述調書添付の各図面の作成日付が、右各調書の作成日付のそれぞれ前日となつており、両者一致していないことも所論のとおりであるが、かかる不一致があるからといつても、ただそのことだけで末だ右各調書の証拠能力を否定するには足りないものというべきである。論旨は結局すべて理由がない。

二  被告人金子武治、同松原忠雄、同土屋マサ子は、同被告人らは、昭和二七年五月六日朝、道路交通取締法違反容疑により、現行犯逮捕され、ついでその拘束中の同夜に至つて、騒擾罪容疑により逮捕されたものであるといい、右は当初騒擾罪容疑で逮捕するに足りる証拠がないため、道路交通取締法違反の名目でいわゆる別件逮捕をしたもので、刑訴法上違法であり、原判決にはこの点において訴訟手続の法令違反があると主張する。

しかしながら、右被告人らに対する身柄関係記録によれば、同被告人らは、いずれも昭和二七年五月六日午前八時一〇分、東京都大田区仲蒲田三の一〇番地先道路上において、騒擾被疑事件により緊急逮捕され、同日東京地方裁判所裁判官より緊急逮捕令状が発付されていることが明らかであり、所論にいわゆる別件逮捕が行なわれたものとは認められないから、論旨は理由がない。

第二騒擾助勢の罪に関する控訴趣意中、事実誤認の主張について

一  蒲田職安関係被告人らに関する控訴趣意について

1 弁護人及び被告人山田(岩)は、同被告人は、本件当日、蒲田職安の隊列に遅れて祝田橋から皇居外苑広場へ入つた後、馬場先門を経て都庁内議員控室へ直行したものであるとし、また弁護人及び被告人金(福)は、同被告人は、本件当日、明治神宮外苑のメーデー会場で蒲田職安の一団と別れ、以後右一団とは行動をともにしていないとし、それぞれ、原判決が、右被告人両名について、銀杏台上の島における原判示各所為に至るまでの間、終始蒲田職安の一団と行動をともにした旨認定したのは、事実を誤認したものであると主張する(なお弁護人は、この点について、原判決の審理不尽及び訴訟手続の法令違反をも主張するが、その実質は、結局叙上事実誤認の主張に帰するものと認められる。)。

そこで所論に鑑み検討してみるのに、右被告人両名に対する原判決の挙示引用する各証拠によれば、右被告人両名が、原判示当日、いずれも原判示銀杏台上の島における原判示各所為の時点に至るまで、原判示蒲田職安の一団と行動をともにしていた事実を認めるに十分であり、所論は採用するに由ない。

2 弁護人は、蒲田職安関係被告人らにつき、原判決が、「桜田濠沿い砂利敷道路上において、警察官と集団員とが、最初の接触を開始するや、これとほとんど同時に、該接触部分の右方にいた集団員が、桜田濠寄りから銀杏台上の島の西北角付近に順次波及する形で、その前方から急激に動き出し、各前面の警官隊の方向に進み始めた。」旨の原判決総論認定事実を引用し、「その際、銀杏台上の島の西北角付近に並んでいた蒲田職安の一団も、前方にあがつた喊声に呼応し、前面の警察官の方へ突進して行つたが、蒲田職安関係被告人らは、いずれもその一団の一人として、蒲田職安の自由労務者を含む他の集団員が、警察官に対して暴行を加える目的で進むものであることを認識しながら、これらの者と一体となつて警察官に暴行を加える意図のもとに、被告人小島は所携の板切れを、被告人宮尾は所携の棒をそれぞれ携え、その余の被告人八名はそれぞれ所携の棒を振り上げて、前面の警察官の方へ突進して行き、なお被告人山崎は、その際、付近にいた蒲田職安の自由労務者らに対して、『皆気をつけろ』と叫んだ。」旨を認定判示したのに対し、原審が、蒲田職安関係被告人らの原判示各具体的所為に関する証拠として原判決中に挙示引用する被告人宮尾、同小島、同萩谷の検察官に対する各供述調書は、いずれも証拠価値に乏しく、また被告人山田(岩)、同藤田、同金(福)、同柴山に対する原判決中に挙示引用する原審証人小幡充親の証言は、措信できないことが明白であり、その他蒲田職安関係被告人らの原判示各所為を認めるに足りる証拠は存在しないから、原判決の前記認定は、事実を誤認したものであると主張する(なお、弁護人は、この点について、原判決の審理不尽及び訴訟手続の法令違反をも主張するが、その実質は、結局叙上事実誤認の主張に帰するものと認められる。)。被告人萩谷を除くその余の被告人九名の事実誤認の各所論も、弁護人の右所論と同旨に帰するものと解される。

そこで検討してみるのに、まず、原審が原判決総論事実認定に挙示引用した証拠によれば、原判決に引用している前掲総論認定事実を優に認めることができる。一方、原判決が挙示引用する被告人宮尾、同小島、同萩谷の検察官に対する各供述調書によれば、前掲原判決引用の総論部分判示のように、桜田濠沿い砂利敷道路における集団員と警官隊との最初の接触が開始され、これが該接触部分の右方に順次波及した際、蒲田職安関係被告人らは、いずれも銀杏台上の島にあつて、前方二重橋砂利敷十字路方面に集団員の喊声があがつたことを知り、その方面の集団員の方に赴くべく、その余の蒲田職安の自由労務者らと一団となり、それぞれ原判示のように、棒または板切れを携えまたは振り上げて、前面の方向へ向かつて走り出し、なお、その際、被告人山崎が原判示のような叫び声を発した事実を認めることができる。

ところで、さきに〔一〕の第三の六において認定したとおり、この段階において右警官隊と直接接触乱闘に及んだ集団員は当時桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集まつていたおよそ万にも達する集団員中、右桜田濠沿い砂利敷道路から二重橋前砂利敷十字路にわたり警戒配置中の警官隊に相対面していた前部の数百名の者にとどまつていたものであり、しかも、原判決が挙示引用する前記被告人宮尾、同萩谷の検察官に対する各供述調書、並びに原判決が引用する前掲総論部分の認定証拠として原判決総論が挙示している東京地裁昭和三四年証第一五九〇号の四六、四七の写真二枚、及びこれに添付された各答申書を総合すれば、蒲田職安関係被告人らを含む同職安自由労務者らの一団が、原判示のように、銀杏台上の島において前面の方向へ向かつて前進を始めた当初の位置は、同島の中心からやや北西に寄つた付近の同島の内部に属する地点であり、その際、前記警官隊と直接接触乱闘中の集団員から同被告人ら一団の右所在位置までのその周囲を含め前部一帯には、多数の他の集団の者達が幅広く厚い群れをなし同島を埋めつくして密集しており、同地点から前方の喊声をあげ警官隊と接触乱闘中の集団員までは、かなりの距離を隔てていて、同被告人らがその接触乱闘の状況を直接目撃することのできない状況にあつたばかりでなく、同被告人らの周囲を含め前部一帯に密集していた集団員も、同被告人らと同様に前方にあがつた喊声を契機として一様に前進したわけでなく、なお傍観者的態度をもつてその位置にとどまり事態の推移を見物していたにすぎない者も多数存し、これらの者は、警官隊と集団員との接触に際し、集団員に加担し警官隊に対し暴行、脅迫を行なう意思のなかつた者であることが認められるのであり、これらの者が集団員の前部で警官隊と接触乱闘中の前記数百名の者と同被告人らとの間に介在していたのであるから、同被告人らが前進を開始した時点において、同被告人らを含めてその周囲及び前部一帯に密集していた者が、前方にあがつた喊声を契機として、前方警官隊と接触乱闘中の集団員と共同して警官隊に対し暴行、脅迫を加えるべく集合して一個の集団を形成したものとはただちに認定し難いばかりでなく、同被告人らが前進を始めて間もなく、未だ同島芝生内にある間に、催涙ガスの白煙が前方に立ちのぼり、前方から逃げ戻つてくる者があるに及び、同被告人らを含む蒲田職安関係の一団も混乱雑踏の中を後退逃走に転じたものであることが認められる。以上の経緯に徴すれば、蒲田職安関係被告人らが、原判決引用にかかる前掲原判決総論部分に示された最初の接触部分ないし順次波及部分の、現に警官隊と接触乱闘する原判示集団員に加わつてこれと一個の集団を形成するに至つたものと認めること、さらにはこれら集団員に率先して騒擾の勢いを増大する行為をしたものと認めることには、なお多分に合理的な疑いの余地が残るものといわざるを得ない。なお、原審証人小幡充親の証言の信憑性に重大な疑問があることは、後記二の2において説明するとおりである。

してみれば、原判決が他に特段の事実を示すこともなく、たやすく同被告人らの原判示所為を騒擾助勢の罪に問擬したことは、前記原判決総論判示の警官隊と接触乱闘する集団員の行為が騒擾罪に当るか否かにかかわりなく(右集団員の行為が騒擾罪を構成するものと認められないことは、〔一〕の第三で述べたとおりである。)、すでにその前提において、事実誤認、または法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、しかも右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は結局理由がある。

二  被告人熊坂孝、同岡本光雄、同荒井菊男、同金子武治、同渡辺兼雄、同松原忠雄、同土屋マサ子に関する控訴趣意について

1 弁護人は、被告人荒井は、本件当日、南部群統制集団中に加わつていて皇居外苑広場に入らなかつたものであるとし、また被告人渡辺(兼)、同松原は、同被告人らは、本件当日中部コースを行進し、馬場先門から右広場に入つたものであるとし、いずれも銀杏台上の島における原判示警察官と集団員との衝突にはなんら関係していないのに、原判決が右被告人三名について、右衝突の際、いずれも原判示のように銀杏台上の島に位置した旨認定したのは、事実を誤認したものである旨をそれぞれ主張し、なお、弁護人は、被告人荒井に対する右の関係において、原審は審理不尽の違法をおかしている旨をも主張する(弁護人は、さらに、被告人荒井に対する関係で、原判決の訴訟手続の法令違反を主張するが、その実質は、結局叙上事実誤認の主張に帰するものと認められる。)。

そこで所論に鑑み検討してみるのに、被告人荒井に対する原判決の挙示引用する各証拠によれば、同被告人が原判示当日原判示南部群先頭集団とともに皇居外苑広場に入つた事実を認めるに十分であつて、原審が審理を尽くしていないものとは言い難いばかりでなく、この点に関し原判決が原判示「被告人の主張についての判断」の項で示した判断内容は、優にこれを是認することができる。したがつて、弁護人の所論は、この限度において理由がないものというべきである。さらに進んで、右被告人三名が、原判示警察官と集団員との接触乱闘の際、銀杏台上の島に位置してこれに加わつたか否かについては、同被告人らの原判示具体的所為の存否に関する次項掲記の所論と不可分の関係にあるので、これに対する判断の中において一括して検討することとする。

2 弁護人は、被告人熊坂、同岡本、同荒井、同金子、同渡辺(兼)、同松原、同土屋(以上の被告人七名を以下大田労連関係被告人らと総称する。)につき、原判決が、蒲田職安関係被告人らに対すると同様の前掲総論認定事実を引用し、「その際、銀杏台上の島の北縁付近に位置していた大田労連関係被告人らは、いずれも、これら集団員多衆が一体となつて、前面の警察官に対して暴行、脅迫を加える意図から、前進して行くものであることを認識しつつ、自らもこれら多衆と一体となつて、警察官に暴行、脅迫をする意思で、前面の警察官の方へ突進した。」旨を認定判示したのに対し、原審が右被告人らの原判示各具体的所為に関する証拠として原判決中に挙示引用する原審証人小幡充親の証言は、右被告人らの原判示各所為を含め、十三、四名の具体的動静をつぶさに見聞したというのであるが、その際の同証人の位置も不明で、記憶の混乱もあり、原判示の状況下で右の如き詳細を見聞することは不可能というべきであつて、右証言にはなんらの証明力もないことが明白であり、その他右被告人らの原判示各犯行を認めるに足りる証拠は存在しないから、原判決の前記認定は、事実を誤認したものであると主張する(なお、弁護人は、この点について、原判決の審理不尽及び訴訟手続の法令違反をも主張するが、その実質は、結局叙上事実誤認の主張に帰するものと認められる。)。被告人熊坂、同岡本、同金子、同渡辺(兼)、同松原、同土屋の事実誤認の各所論も、弁護人の右所論と同旨に帰するものと解される。

そこで検討してみるのに、右大田労連関係被告人らの原判示各具体的所為を直接に証明する証拠は、原判決の挙示引用する原審証人小幡充親の証言を措いて他にはないものというべきであり、したがつて右被告人らに関する原判示所為が認定できるか否かは、専ら右小幡証言の信憑性いかんにかかることとなる。ところで、右小幡証言は、原判決が詳細に掲記引用しているように、原判示当日、皇居外苑広場桜田濠寄りの道路上で起きたデモ隊と警官隊との最初の接触乱闘の経緯に関する目撃内容を仔細に語るとともに、右接触乱闘が開始された瞬間の頃、南部群を含む一団のデモ隊が、全体として警察官の方向へ向かつて突進したが、その中に、荒井菊男、熊坂孝、原田節子、岡本光雄、金子武治、金福根、柴山康夫、山田岩太郎、土屋マサ子、渡辺兼雄、松原忠雄、小島実、藤田八郎、朴桂順、志賀隆清らの駆け出して行く姿、棒を振り上げて突進して行く姿を、瞬間的にはつきりと見た旨を述べている。しかしながら、記録及び原審が取り調べたすべての証拠、なかんずく、蒲田職安関係被告人らに関する前記第二の一の2の判断の際に引用した被告人宮尾、同萩谷の検察官に対する各供述調書、並びに東京地裁昭和三四年証第一五九〇号の四六、四七の写真二枚、及びこれに添付された各答申書を総合すれば、右の判断中において述べたように、蒲田職安関係の自由労務者の一団が前面の方向へ向かつて進み始めた当初の位置は、銀杏台上の島の中心からやや北西に寄つた付近の同島の内部に属する地点であり、その際警官隊と直接接触乱闘中の集団員から右蒲田職安関係の自由労務者の一団の右所在位置までのその周囲を含め前部一帯には、多数の他の集団の者達が幅広く厚い群れをなし同島を埋めつくして密集していたうえ、前面の警察官やこれと現に接触乱闘する集団員まではかなりの距離を隔てていたため、右接触乱闘の状況を直接目撃することは、とうてい不可能な状況であつたと認められるのであり、それにもかかわらず、小幡証人が、一方において、桜田濠寄りの道路上における警官隊とデモ隊との最初の接触乱闘の具体的経緯を仔細に目撃すると同時に、他方、その接触乱闘が始まつた瞬間の頃に、被告人山田(岩)、同藤田、同金(福)、同柴山、同小島ら蒲田職安関係被告人を含む南部のデモ隊が、前にいる警察官の方向へ向かつて突進して行く姿をはつきりと見た旨を証言しているのは、甚だ不可解なことと言わざるを得ない。のみならず、その際における同証人及び同証人が目撃したという前記荒井菊男外一四名らの各所在位置、並びに両者の相互関係については、極めてあいまいで漠然としており、証言の終始を通じてついにこれを確定するに由ない状況であるばかりか、前記の如く集団員が密集している状況下で、同証人の証言するように、一五名にも及ぶ多数の者の突進して行く姿を瞬間的に識別特定して確認することは、他に特段の事情の認められない以上、著しく困難なことというべきであり、しかも同証人が右のように南部のデモ隊の突進する状況を目撃確認したとの事実を裏づけるべき資料は、記録及び原審が取り調べたすべての証拠を通じてみても、他に全くこれを見出すことができないのである。

はたしてしからば、右蒲田職安関係被告人らとともに、被告人熊坂、同岡本、同荒井、同金子、同渡辺(兼)、同松原、同土屋が警察官の方向へ突進するのを目撃した旨の小幡証言の信憑性には、重大な疑問があり右証言を実質的な唯一の証拠として、右被告人七名の原判示所為を認めた原判決には、事実誤認の疑いがあるものというべく、しかも右の点は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は理由がある。

3 弁護人は、被告人熊坂につき、原判決が、「桜田濠沿い砂利敷道路上において、警察官と集団員とが乱闘した混乱状態の中で、同被告人は後退しながら警察官の方に向かつて投石した。」旨を認定判示したのに対し、原審が同被告人の右原判示所為に関する証拠として原判決中に挙示引用する原審証人田村信三郎の証言内容は、極めてあいまいで信用できず、その他同被告人の原判示犯行を認めるに足りる証拠は存在しないから、原判決の前記認定は事実を誤認したものであると主張する(なお、弁護人は、この点について、原判決の審理不尽及び訴訟手続の法令違反をも主張するが、その実質は、結局叙上事実誤認の主張に帰するものと認められる。)。被告人熊坂の事実誤認の所論も、弁護人の右所論と同旨に帰するものと解される。

そこで検討してみるのに、同被告人の原判示所為を直接に証明する証拠は、結局において、原判決の挙示引用する原審証人田村信三郎の証言につきるものというべく、同被告人に関する原判示所為が認定できるか否かは、専ら右田村証言の信憑性いかんにかかるものというべきところ、右証言内容を仔細に検討してみると、同証人は、警官隊とデモ隊との乱闘が始まり、同被告人の周囲を多数のデモ隊が動き回つていた混乱した時期の中で、同被告人が手を上下に振り後退して来ているのを瞬間的に見て、投石したと直観したというにすぎず、同被告人から石が飛ぶのは見ていないし、同被告人が警察官の方向を向いていたのか背を向けていたのかもわからないというのであり、右証言によつて、同被告人の原判示投石の事実を認めることはもとより、同被告人が警官隊に対抗して暴行、脅迫をした原判示集団員に属していたとの事実を認めることも、困難というのほかなく、右証言を実質的な唯一の証拠として同被告人の原判示所為を認めた原判決には、事実誤認の疑いがあるものというべきであり、しかも右の点は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

第三被告人長畑喜一の公務執行妨害罪に関する控訴趣意について

弁護人の所論は、原判決は、「蒲田警察署警部補松沢喜久雄は、同署巡査高原秀雄ら約一〇名の警察官を指揮し、騒擾関係容疑で朴桂順を同人方家屋内で逮捕したが、その際、同家屋内土間に立てかけてあつた竹棒一本を同事件の証拠物として差押えるようその発見者たる右高原巡査に指示したところ、被告人長畑は、同家屋内の居室からその土間に飛び出して来て、松沢警部補の右指示によりすでにその竹棒を所持していた高原巡査に暴行を加え、同巡査の右証拠物差押えについての公務の執行を妨害した。」として、同被告人につき公務執行妨害罪を認定したが、右は専ら信用性の極めて乏しい松沢喜久雄、高原秀雄両警官証人の原審証言を信用して事実を認定したもので、その認定内容はあいまいで漠然としており、原判決は未だ審理を尽くしたものとはとうてい言えないし、かかる無価値の証拠で事実認定を行なつたことは訴訟手続の法令違反にあたり、ひいては事実誤認の瑕疵があるものというべく、さらに本件の如き場合には、警察官は住居主たる同被告人に対して事情を説明したうえ朴桂順の逮捕行為に着手すべきであり、また差押えの際には、その対象物が第三者所有のものか否かを確認しなければならないのにそれを怠たり、同被告人を無視し、また所有者の確認をしないまま、逮捕、差押えに着手し、これに抗議した同被告人に対し、むしろ警察官側から暴行を加えたものであつて、以上の警察官の行為は適法な職務執行とはいえず、原判決はこの点においても法令の解釈適用を誤り事実誤認をおかしているというのであり、同被告人の主張するところも、竹棒差押えの職務の適法性について、うす暗い土間で棒の先端の僅かゴマ粒大の血痕付着が目に入るか疑わしく、しかも右血痕なるものが実はペンキであつたとすれば、右は差押えという公務には当らないと主張する点を付加するほか、結局弁護人の右所論と同旨に帰着する、よつて以下右論旨について順次判断する。

一  職務執行の適法性を争い、法令の解釈適用の誤り、並びに事実誤認を主張する論旨について

まず原判決は、被告人長畑が、本件当時、朴桂順と東京都大田区入新井所在の家屋で同居していたとしたうえ、原判示警部補松沢喜久雄が、原判示巡査高原秀雄ら警察官を指揮し右家屋に赴き、逮捕状の緊急執行として右朴桂順を同家屋内で逮捕したと認定しており、以上の事実は原判決引用の原審証人松沢喜久雄、同高原秀雄の各証言により認められるところであるが、右各証言及び原判決挙示の司法警察員松沢喜久雄作成の差押調書(見取図を含む)を総合すれば、原判示の右家屋は、入口を入つてすぐ右側が土間、左側が三畳の同被告入居室、土間のつき当り奥六畳が朴桂順の居室となつており、各居室の出入口がそれぞれ右土間側にあり、右家屋入口及び土間は、右両者共用の関係にあると認められるところ、前記逮捕にあたり、原判示警察官らは、右家屋入口から土間に入り、朴桂順居室出入口をノツクしたうえ、出てきた同人をその場で逮捕したもので、その間同被告人の方で右警察官の同家屋への立ち入りについて異議を述べた如き形跡は毫も認められないばかりでなく、所論の如く、前記警察官が朴桂順を逮捕するについて、たとえ同被告人が右家屋の管理者であるにせよ、同被告人に対し逮捕の事情を告げなければならないものでもない。してみれば、同被告人に対し事前に事情を説明することなく朴桂順を逮捕した原判示警察官の職務執行(そして、それが原判示竹棒差押えの職務執行の適法性の前提となることは、いうまでもない。)には、なんら前記所論のような違法のかごは認められない。

そこで進んで右の逮捕を前提とする原判示竹棒差押えの職務執行の適否について検討してみるのに、刑訴法二二〇条一項二号によれば、およそ被疑者を逮捕する場合に、その事件の捜査上必要があるときは、たとえそれが当該被疑者以外の第三者の所有に属する物であつても、逮捕現場でこれを差押えることができるものと解すべきところ、原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判示警部補松沢喜久雄らが原判示竹棒を差押えようとした経緯は、原判示のとおり、「松沢警部補は、朴桂順を同人方家屋内で逮捕した際、同家屋入口につづく同家屋内土間の隅に立てかけられてあつた長さ約一・〇七メートル位の一本の竹の棒(東京地裁昭和三六年押第五八三号の一号)の一端にはめ込まれている長さ約〇・二四メートル位の木の棒の先端にゴマ粒大の血痕様斑点が付着しているのを認め、この物が本件騒擾事件の証拠物であると判断して、当該竹棒の発見者たる高原巡査に対して、その竹棒を同事件の証拠物として差押えるように指示した。しかるところ、その際、同被告人は、前示土間から奥に向かつて左側にある同家屋内の居室からその土間に飛び出して来て、『それは俺のものだ。持つて行くと承知しねえぞ。』とどなり、松沢警部補の右指示により、すでにその竹棒を所持していた高原巡査に暴行を加え右差押えを妨害した。」という事実関係にあり、なお右血痕様斑点は唯一点のみにとどまらず、木部先端にぽつぽつと付着していたものであり、また原判示竹棒は、本件現場の同被告人の面前において、最終的には同被告人所有のものとして差押えられ、差押調書にもその旨記載されていることが、それぞれ認められる。はたしてしからば、右警察官らが、右竹棒を騒擾関係証拠物にあたると判断したのは、数点に及ぶゴマ粒大血痕様斑点の付着とともに、先端に木棒をはめ込んで旗竿の継ぎ竿用に仕立てたその形状にも注目したためであることが明らかであり、同被告人が独自の見解に基づき、僅少なゴマ粒大血痕付着のみがその根拠であつたと前提して右差押えの適法性を攻撃するのは失当であり、なお同被告人所論のとおり、検察官が、昭和三六年四月六日の原審公判期日に、鑑定の結果右血痕様斑点が血痕ではなかつた旨を陳述していることは、記録上明らかであるが、後日に至つてはじめて判明した右のような事情は、未だもつて前記差押えの適法性を左右するには足りず、さらに前叙のとおり、原判示竹棒は、同被告人が差押えの終始を自己の面前で見聞了知している中で、最終的には同被告人所有にかかるものとして差押えられたものであり、弁護人所論の如く、所有者の確認もないまま本件差押えがなされたとして非難するのは当らない。

以上の次第で、原判示竹棒差押えの行為は、適法な職務執行とはいえず、原判決は法令の解釈適用を誤り事実誤認をおかしているとする論旨は、すべて理由がないものというべきである(なお、朴桂順に対する騒擾罪の成立が認められないとしても、同人に対する逮捕が当然に違法無効となるわけではなく、したがつてまた、右逮捕にともなう差押えを妨げた本件公務執行妨害罪の成立に消長を来すものというを得ないことはもとよりである。そして、原判決が取り調べた証拠及び記録によれば、右逮捕はこれを適法有効と認めるに十分である。)。

二  職務執行妨害行為に関する原審認定について審理不尽、訴訟手続の法令違反、事実誤認を主張する論旨について

原判決は、原判示竹棒を証拠物として差押えようとした高原巡査の職務の執行を妨害した被告人長畑の暴行内容につき、「竹棒を所持していた高原巡査の後襟首を片手で掴んで同巡査の身体をゆさぶり、他の片手でその竹棒を掴んで奪い返そうとし、奪われまいとして同被告人の手を払いのけようとする同巡査に対して、その手を引つ掻いたり、身体を蹴つたりする暴行を加えた。」と判示しているが、以上は十分具体的で事実関係も定されており、公務執行妨害罪の構成要件たる暴行の判示として欠けるところはなく、その内容があいまいで漠然としているとの所論非難は当らないばかりか、右原判示事実は、原判決挙示の原審証人松沢喜久雄、同高原秀雄の各証言により優に認定できるところであり、右各証言を精査検討してみても、これら証言が具体性、明確性に欠けかつ互いに矛盾しているものとは認められず、これら証言には信用性がないとして原審の採証措置を攻撃する所論は、たやすく首肯できない。なお所論は、原判決は松沢警部補が高原巡査に対し竹棒差押えを指示した後に原判示の如き同被告人の所為があつたかのように認定するが、証拠上この点も判然としないと主張し、また暴行はむしろ竹棒差押えに抗議した同被告人に対して警察官側から加えられたものであると主張するけれども、前記松沢、高原両証人の各証言を総合すれば、原判示のとおり、松沢警部補による竹棒差押えの指示がなされた後に、高原巡査に対する同被告人の暴行が加えられたものであることが明らかであり、また同被告人の右暴行に対抗して、その妨害を排除し、さらには公務執行妨害現行犯人として同被告人を逮捕するため、警察官側からの実力行使があつたことは認められるが、所論のように、無抵抗の被告人に対し、警察官側が一方的に暴行を加えたとの事実は、これを認めるに由ない。

以上のとおりで、原判示職務執行妨害行為の認定について審理不尽、訴訟手続の法令違反、事実誤認があるとする論旨もすべて理由がない。

第四以上の次第であつて

一  被告人長畑に対する原判示騒擾助勢の罪については、前示の如く論旨は理由があるものというべきところ、原判決は、右騒擾助勢の罪と原判示公務執行妨害罪とは併合罪の関係にあるものとして一個の刑で処断しているから、同被告人に対する原判決は破棄を免れない。よつて刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

原判決の確定した同被告人の原判示公務執行妨害の所為は、刑法九五条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で同被告人を懲役五月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当と考えるから、同法二五条一項により、本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、原審における当該関係訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但し書に従い、これを同被告人に負担させないこととする。

同被告人に対する公訴事実中騒擾助勢の点については、本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

二  被告人山崎、同山田(岩)、同藤田、同萩谷、同岡田、同金(福)、同柴山、同小島、同宮尾に対しては、同法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、また被告人熊坂、同岡本、同荒井、同金子、同渡辺(兼)、同松原、同土屋に対しては、同法三九七条、三八二条に則り、いずれも原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、各被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、右被告人一六名に対する本件各公訴事実について、同被告人らを有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、右被告人一六名に対し、いずれも無罪の言渡をする。

〔一〇〕 被告人朴在魯、同秋准洙、同安永守、同李舜街、同卓太信、同鄭祥祐、同洪仁欽、同李東起、同尹仁奎、同呉公哲、同金雲燮、同朴燦正、同金徳還関係

第一弁護人の被告人朴在魯、同秋准洙、同安永守、同李舜街に対する各騒擾指揮の罪、並びに被告人卓太信、同鄭祥祐、同洪仁欽、同李東起に対する各騒擾助勢の罪に関する控訴趣意について(以上の被告人八名を以下枝川町関係被告人らと総称する。)

所論は、原審は、枝川町関係被告人らについて、原判示のとおり、騒擾指揮ないし騒擾助勢の事実を認定し、その根拠として数多くの証拠を列挙しているが、同被告人ら罪責を決すべき皇居外苑広場における各被告人の具体的所為に関する証拠としては、結局原判決が引用する裴斗萬の検察官に対する各供述調書がその唯一のものであるというべきところ、右調書は任意性を欠き証拠能力がないものであるばかりか、その内容は、矛盾に充ちたものであつてとうてい信用性が認められないのに、これを無批判にとり入れ、同被告人らに対する罪となるべき事実を右調書の記載内容そのままに認定した原判決は、事実を誤認したものであるというのである。

そこで所論に鑑み検討してみるのに、まず所論は、裴斗萬の前示検察官調書の内容は、捜査官が、同人の供述と引換に同人が法廷に出なくてすむようにしてやること、すなわち同人を起訴せず、また本件から一切関係がなくなるよう取り扱つてやることをもつて取引したものであるから信用性がないと主張するのであるが、所論がその根拠として引用する原審証大裴斗萬こと徳川浩司の証言(昭和三七年六月一六日の原審証人尋問期日におけるもの)によつても、同人が捜査官から法廷に出なくてよい旨を聞いたかどうかははつきりせず、釈放後同人の一存でこれで済んだと思つたというにすぎないのであり、他に所論を裏づけるべきなんらの資料もないから、所論はとうてい採用できない。

つぎに所論は、本件当時裴斗萬は、東京都江東区深川枝川町居住者との面識ないし交際がほとんどなかつたのに、同人の前示検察官調書に右同町居住の多くの人々の名前が詳しく挙げられているのは納得できないと主張するのであるが、同人の原審証言(昭和三七年六月一六日及び同年七月二日の各原審証人尋問期日におけるもの)及び同人の昭和二七年六月三日付検察官調書によれば、同人は昭和二〇年九月以降引き続き右枝川町一丁目九番地に居住し、同町居住の枝川町関係被告人ら(但し被告人李舜街を除く。)を含む多数の朝鮮人とは、日常挨拶を交す程度の面識をもち、また本件メーデーの頃枝川町に移つて来たという被告人李舜街については、右検察官調書作成の際に、検察官から示された外国人登録原簿の写真によつて同被告人の同一性と氏名とを確認のうえ供述したこと、さらに裴斗萬は、本件メーデーに際し、枝川町関係被告人らを含む右枝川町居住の朝鮮人の一団に属して、明治神宮外苑会場から皇居外苑広場まで終始行動をともにしていることが明らかであり、以上の諸点を併せ考えれば、所論の非難は当らないものというべきである。

さらに所論は、裴斗萬の昭和二七年六月三日付検察官調書の添付図面には、被告人朴在魯、同秋准洙、同安永守、同李舜街らの号令で警官隊との乱闘に突撃した地点として、銀杏台上の島上に6なる記載があつて、同島桜田濠側の縁一面に突撃したように図示されているが、他方裴斗萬が恐ろしくなつて逃げ出した地点として7なる記載があり、同人は同島に行く途中で逃げ出したことになつていて、図面上一度も同島に上つていないことになつているのであり、右7点に関する記載よりすれば、6点に関する記載は、同人が経験しないことを述べていることになるのみならず、かりに同人が同島に上つたとしても、同人の原審証言(昭和三七年六月一六日及び同年七月二日の各原審証人尋問期日におけるもの)によると、それは同島上にいたデモ隊集団の最後尾に行つたものと見ざるを得ず、しかも右証言は、折から他のデモ隊が雪崩をうつて後退して来たため、自分が逃げるのに精一杯で他人の行動を目撃認識する余裕はなかつたと述べているのに、同人の前示検察官調書には、「朴在魯が最先頭に立つて手を振り上げ突込むように合図しながら進んで行き、安永守、秋准洙、李舜街などが先頭に立つて突込んで行つた。突込んだ連中は、すでに乱闘しておるデモ隊に加わつて警官隊と殴り合い等していた。」旨、同人が現実に目撃していないことの明らかな事実が詳しく記載されているのであり、以上のような数々の矛盾の存することに徴しても、原判決が挙示引用する同人の検察官調書には信用性がないものというべきであると主張する。そこで所論に鑑み、同人の各検察官調書、原審証言、その他原判決が挙示引用する関係各証拠について、順次検討することとする。

一  裴斗萬の昭和二七年六月三日付検察官調書について

本調書添付第三図(以下単に図面と略称する。)には、同人の説明により検事が代筆し、これを同人が確認したものとして、枝川町朝鮮人の一団の皇居外苑広場における行動経緯が、要点についての簡単な説明付きで図示されているが、本調書の内容を検討してみるのに、その二九項ないし三三項、及び右図面には、皇居外苑広場に入つた枝川町朝鮮人の一団は、中央自動車道路を経て銀杏台島に上り、同島芝生上で先着デモ隊の左側、図面5点に、皇居に向かつて三列縦隊で整列したこと(図面によれば、同島上枝川町朝鮮人の一団の左側にも、なお他のデモ隊が並んでいたように図示されている。)、そうするうちに銀杏台上の島の図面6点で、その二重橋寄り前方で警備中の警官隊と対峙していたデモ隊が、右警官隊と乱闘を始めかけたので、被告人朴在魯、同安永守、同秋准洙、同李舜街などの指揮者が、枝川町朝鮮人の一団に対し、「今前でやられているから突込め」と号令したこと、その項右の一団は特攻隊員四、五十名であり、右の号令で若い者などが棒等を持つて前方の乱闘をやつているデモ隊に加勢して警官隊と乱闘するため突込んで行き落伍する者はなかつたが、裴斗萬だけは、その途中馬場先通り砂利敷道路のほぼ中央、図面7点に来た項、恐ろしくなり、うまくスクラムが解けたので、馬場先門方向へ逃げ出したこと、このようにして突撃する時には、被告人朴在魯が最先頭に立つて手を振り上げ突込むように合図しながら進んで行き、被告人安永守、同秋准洙、同李舜街などが先頭に立つて突込んでいたが、突込んだ連中は、すでに乱闘をしておるデモ隊に加わつて警官隊と殴り合い等していたこと等の記載が存し、なお右添付図面には、前記5ないし7の各地点につき、5点は、「枝川町デモ隊が最初整列した地点」、6点は、「朴、安、秋、李等の号令で警官隊との乱闘に突撃した地点」、7点は、「私がおそろしくなつて逃げ出した地点」との説明がそれぞれ付記され、また警官隊側と集団員側とが桜田濠沿い砂利敷道路を挾んで相対峙した状況が図示されている。

ところで、右枝川町朝鮮人の一団が、本件メーデーの南部コースを行進したうえ、南部群先頭集団に後続する朝鮮人集団に属して銀杏台島に到つたものであることは、原判決引用の証拠上認定できるが、原判決が原判示総論事実認定に引用した証拠によれば、その後桜田濠沿い砂利敷道路上で、警官隊と集団員との間に原判示接触乱闘が始まる少し前頃、銀杏島上の集団員は、順次馬場先通り砂利敷道路を渡つて銀杏台上の島の方に移動を開始し、右接触乱闘の始まつた頃には、これら集団員の大部分の者は銀杏台上の島に上つたり、または右砂利敷道路の銀杏台上の島付近に達したりしていたが、なおこれに後続して右砂利敷道路を銀杏台上の島の方向に移動中の者もあつたという状況にあつたこと(原判決総論(一七一))、また原判示接触乱闘開始直前の警官隊と集団員との位置関係は、まず警官隊側が、二重橋前砂利敷十字路上で、銀杏台上の島の角付近を角度のゆるやかな頂点として、馬場先門方向と桜田土堤方向とにおおむね正対する二つの辺をもつかぎ型の隊形をなし(原判決総論(一六七))、これに対して集団員側は、右銀杏台島から移動した集団員をも含め、銀杏台上の島から桜田濠沿い砂利敷道路にかけて、警官隊から見て前面が不整形な弧状をなして連なる幅広い形をとつて密集し、前示かぎ型隊形の警官隊と相対峙したこと(原判決総論(一七三)ないし(一七五))、さらに右の原判示接触乱闘は、桜田濠沿い砂利敷道路上の集団員の前面中央部よりやや濠寄り部分と、これに対応する警官隊との接触乱闘に始まり、これが桜田濠寄りから銀杏台上の島の西北角付近に順次波及したものであること(原判決総論(一七七)ないし(一八〇))、以上の事実が認められる。

はたしてしからば、裴斗萬が、本調書中において、桜田濠沿い砂利敷道路を挾み、銀杏台上の島の同道路側縁の線に集団員側が、また同道路の桜田濠沿いの線に警官隊側が、それぞれ横に長い直線状に相対峙していたように図示し、さらに枝川町朝鮮人の一団が、銀杏台島上の整列地点から、銀杏台上の島上の図面6の地点を目指して直接に突進して行つたように供述しているのは、首肯し難いところである。のみならず、裴斗萬を除く右枝川町朝鮮人の一団が右6点に突進した頃には、未だ同所付近においては集団員と警官隊との乱闘が行なわれていたものとは証拠上とうてい認め難いところであるばかりでなく、馬場先通り砂利敷道路中央の本調書図面7点付近から、当時集団員の密集していたことの証拠上明らかな銀杏台上の島上の同図面6点周辺に突進した右一団を、他の集団員と区別して目撃認識することは、他に特段の事情の認められない本件では、著しく困難なことといわざるを得ない。以上の理由で、枝川町関係被告人らの具体的所為に関する本調書の記載内容には、とうてい信憑性を認め難いものというべきである。

二  裴斗萬の昭和二七年六月一九日付検察官調書について

本調書の内容を検討してみるのに、その四項には、枝川町朝鮮人の一団は、まず銀杏台島芝生上で、先着朝鮮人デモ隊の左側に二重橋に向かつて三列縦隊で停止した後、その隊列のまま銀杏台上の島の方へ向かつて左を向き、横にスクラムを組み直したうえ、被告人朴在魯、同安永守、同秋准洙、同李舜街らの指示で、同島の方に向かつて移動したこと、右移動の理由は、すでに同島上にあつて、同島西方の濠の前辺りに警戒線をひいていた警官隊と対峙していた他のデモ隊を応援して、右警官隊を濠の中へ突き落す作戦ではないかと考えたこと、その時、前の方のデモ隊が警官隊と衝突し乱闘を始め、白いガスが盛んに飛び始め、右指揮者らが「今、前でやられているから、これを応援して突込め。」と号令をかけ、一同は声をあげて警官隊に向かつて突撃したこと、突撃の先頭には被告人朴在魯が立ち、手を振つて突撃の合図をし、その後に被告人安永守、同秋准洙、同李舜街が従い、その直ぐ後には赤旗と北鮮旗の責任者四名が従い、これに続いてその他の者が突撃したが、この時にはほとんどすべての者が棒を持つていたこと等の記載が存する。

以上の記載によれば、枝川町朝鮮人の一団が、銀杏台島芝生上から横隊となつてスクラムを組み、銀杏台上の島上のデモ隊を応援すべく、同島の方に向かつて移動したその時に、前の方のデモ隊が警官隊と衝突し乱闘を始め、ガスが盛んに飛び始め、右一団も指揮者の号令により警官隊に向かつて突撃したこととなるかの如くである。しかしながら、右調書にいう銀杏台上の島の方に向かつて移動したその時とは、右一団が同島に上つた後の時点を言うのか、同島に向け馬場先通り砂利敷道路を移動中の時を指すのか、必ずしも明確でなく、また同島に上つた後の時点を意味するとしても、はたして同島のどの辺に上つた趣旨か明らかではなく、さらに、前の方のデモ隊とは、どの位置にあつたデモ隊を意味し、それがどの位置の警官隊とどのような乱闘を始めたのか、そして右一団の突撃とは、具体的にどのような言動を言い、それが警官隊や周囲集団員に対しいかなる影響を及ぼし、どのように発展したものか等、いつこうに不明で漠然としているばかりでなく、当の供述者たる裴斗萬本人は、以上の顛末、殊に右一団の突撃をいかなる位置にあつて目撃し、また同人自身はその際いかなる行動に及んだものであるかについて、本調書上いささかも語るところがなく、専ら顧みて他を言うことのみに終始しておる状況であり、しかも本調書を、さきに詳しく検討した同人の昭和二七年六月三日付検察官調書と対比すると、デモ隊と警官隊との乱闘が始まつた時期と位置、枝川町朝鮮人の一団が銀杏台島から銀杏台上の島へ向かつた動機、指揮者の突撃命令があり、これに従つて右一団が突撃をした時期と位置、同人が右一団を離脱した時期と位置等幾多の点に、重要な供述変更のなされていることが明らかであり、そうである以上、右調書の僅か半月後に作成された本調書において、何故にわかにかかる多くの重要な供述変更をみるに至つたかの合理的理由の説明が、本調書上に明示されてしかるべきものと思われるのに、調書上この点に触れた記載はさらになく、かえつて、その一項冒頭に、メーデーの騒ぎに参加した時の状況は丸物検事に述べたとおりであるといい(昭和二七年六月三日付調書は同検事の作成にかかる。)、また警官隊に突撃した状況を述べた四項末尾に、その時の状況はこれまで申したとおりであると述べられているのは、たやすく納得し難いところである。以上の次第で、本調書をもつてしては、未だ原判示枝川町関係被告人らの具体的所為を裏付けるには足りないものといわざるを得ない。

三  原審証人裴斗萬こと徳川浩司の証言(昭和三七年六月一六日の原審証人尋問期日におけるもの)について

原判決が枝川町関係被告人らの具体的所為の証拠として引用するのは、本証言二二丁ないし三一丁の部分であるが、右証言部分には、裴斗萬ら枝川町朝鮮人の一団は、祝田橋から皇居外苑広場に入り、自動車通りを進んで、左二つ目の芝生へ行き、列を組んだまま宮城の方を向いて止つたこと、すると左側のデモ隊が気勢をあげ、一番左側の方から濠の前に並んでいた警官隊へ突込んで行つたこと、そのとき被告人朴在魯ほか一、二名の指揮者が、「前のデモ隊がやられているから突込め」という号令をかけたので、裴斗萬らの一団も、左側のデモ隊について隊列を組んだままどんどんと左側へ寄り、さらに前のデモ隊についてどんどんと前へ進んで行つたこと、右の一団は気勢をあげ一固まりになつて突込んで行つたが、警官隊側からの白い煙により皆退却したこと等の供述が存する。

そこで検討してみるのに、右証言部分によれば、原判決総論判示の接触乱闘は、銀杏台島上になおかなりのデモ隊が滞留していた状態において始まつたことになり、さきに裴斗萬の昭和二七年六月三日付検察官調書について検討したと同様の疑問が残り、また所論も指摘するとおり、被告人朴在魯らの「突込め」の号令は、枝川町朝鮮人の一団に対する銀杏台島から銀杏台上の島方向への移動を指示したにすぎないものとなつて甚だ不自然であり、さらに右移動の結果、はたして右一団が銀杏台上の島へ上つたのかどうか、上つたとしてそれはどの辺の位置であつたのかにつき、右証言は漠然として明確を欠き、しかも、その後右一団が前のデモ隊について警官隊へ突込んで行つたというのであるが、前のデモ隊は、どの位置にあり、どの程度の人数で、どのような態勢にあつたのか、相手方たる警官隊は、どの位置にあつて、どのような対抗状況を示していたのか、右一団は、どの位の距離を、どのような状態で前進し、はたして暴行、脅迫の挙に出たことがあつたのか等の諸点については、一切不明であるばかりでなく、本証言中原判決の引用部分に引き続く三二丁ないし三三丁の供述部分によれば、裴斗萬は、突込みかけ皆と一諸に行くことは行つたが、同人が行くときには、白い煙が来て前の人たちが後退して来たので、これ幸いとはだしになつて逃げた、そのときは自分が逃げるのに精一杯で人が何をやつたか気がつかず、はつきり断定できないけれども、同人が逃げ始めるとき同人の周囲にいた人は、「前へ突込んで行つた人もいるかもわかりませんし、退却して…………ほとんど退却したんじやないかと思います。」というのであつて、以上の諸点に鑑みれば、原判決の引用する本証言は、未だ枝川町関係被告人らの原判示所為を証明するには足りないものというべきである。

四  その他の原判決引用証拠について

その他原判決が挙示引用する証拠のうち、鄭渕竜(昭和二七年六月二四日付)、洪漢伊(同年同月九日付)、卞仙伊(同年同月一三日付)の検察官に対する各供述調書によれば、祝田橋から皇居外苑広場へ入つた右三名を含む枝川町朝鮮人の一団が、銀杏台島へ到着した後、さらに銀杏台上の島へ移動した事実は、これを認めることができる。しかしながら、鄭渕竜の右検察官調書によれば、右移動先は銀杏台上の島の東北隅であつて、その付近には催涙弾が盛んに飛び交い、右一団は前のデモ隊を応援するため前になだれたというのであるが、その内容も漠としているばかりか、同人はただちに楠公銅像島へ逃げ出したというものであり、また洪漢伊の右検察官調書によれば、前記移動先は銀杏台上の島中央やや北寄り部分で、同人は群衆の後方にいたため、白煙のあがるのは見えたが、警官隊との乱闘の模様は見えず、やがて大勢の者が同人の方に向かつて逃げて来たので、同人も逃げたというものであり、さらに卞仙伊の右検察官調書によれば、前記移動先は銀杏台上の島のほぼ中央地点であるが、同人は移動直後ただちに隊列から離脱して楠公銅像島へ出たというのであり、以上によつても、枝川町朝鮮人の一団が、銀杏台島から移動して銀杏台上の島のどの地点に位置したのか、また同島に到つた時期が原判示接触乱闘との関係でいつにあたるのか、さらに、右接触乱闘の際、右一団がいかなる行動に及んだのか等については、一切不明というほかはなく、以上の各検察官調書によつては、とうてい枝川町関係被告人らの原判示所為を認めるに由なく、その他原判決が挙示引用する各証拠を検討してみても、未だ同被告人らの原判示所為を認めるに足りるものは、なんら見出し難い。

以上原判決が挙示引用する一切の証拠を逐一個別に検討したのであるが、これらの証拠を総合勘案してみても、被告人朴在魯、同科准洙、同安永守、同李舜街が、はたして原判示集団員と警官隊との接触乱闘との関係上、どの時期、どの地点において、枝川町朝鮮人の一団に対し、原判示の如く「突込め」の号令をしたものか、そしてまた、被告人卓太信、同鄭祥祐、同洪仁欽、同李東起らを含む右一団が、その号令に基づき、原判示のとおり原判示集団員と乱闘中の警官隊へ向かつて突進していつたものかどうかについては、これを確認するに由なく、未だ原判決が判示する枝川町関係被告人らの具体的所為を認定するについては、なお多分に合理的な疑いを容れる余地があるものといわざるを得ず、原判決が、同被告人らに対し、原判示のとおりの事実を認定して、同被告人らを騒擾指揮ないし率先助勢の罪に当るとしたことは、事実を誤認したものというべく、右の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の論旨は結局理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

第二弁護人の被告人秋准洙、同尹仁奎、同卓太信、同呉公哲、同鄭祥祐、同金雲燮、同朴燦正、同洪仁欽、同李東起、同金徳還(以上の被告人一〇名を以下枝川民戦系被告人らと総称する。)に対する各暴力行為等処罰に関する法律違反の罪に関する控訴趣意について

弁護人の控訴趣意の要旨は、原判決は、原判示鄭昌建方における枝川民戦系被告人らの行為について、「同被告人らは、多数の民戦(在日朝鮮統一民主戦線の略称)系朝鮮人らと互いに意思を通じ共同して、若し民団(大韓民国居留民団の略称)脱退についての要求に応じなければ、鄭昌建の生命、身体に対して危害を加えるべき気勢を示し、同人を畏怖せしめ、もつて多衆の威力を示し同人を脅迫した。」と認定したが、同被告人らの真意は、専ら原判示鄭昌建に対して民団からの脱退を勧誘すべく、真面目な交渉を真剣に進めようとするにあり、もとより同人を脅迫しようとする意思もなければ、また同人を畏怖させるに足りる害悪の告知をしたこともなく、一部心ない発言が外庭よりあつたかも知れないが、それは同被告人らの行為とは関係のない無責任な野次にすぎず、同被告人らは、むしろ、交渉の妨害となるような歌や悪口に対しては、その制止にまわつているのであつて、右の者らと意思を通じ共同して危害を加えるべき気勢を示したことはなく、当時未だ脅迫にあたるような事態は生じていなかつたものであるといい、以上の点に関する原判決の事実誤認と法令の解釈適用の誤りを主張するにある。

そこで検討してみるのに、所論は、原判決が挙示引用する数多くの証拠の中から、原審証人金一万、同平野勝三、同鄭昌建(昭和三六年三月三〇日の原審公判期日におけるもの)、同町井康祐(同年同月一六日及び同月二〇日の原審各公判期日におけるもの)の各証言中、その極めて一部分のみを、証言全体との関連を十分に顧慮しないまま抽出引用して、原判決の事実認定を攻撃しているのであるが、右各証拠を含め原判決が挙示引用するすべての証拠を、なかんずく、被害の顛末を具体的かつ詳細に生々しく吐露している原判示鄭昌建、並びに同人の妻町井トミ、及び同人らの養子町井康祐の供述するところ(原判決挙示の証拠中5ないし9の分)を中心として、仔細に検討し、これを総合勘案すれば、以下の諸事実、すなわち

一  同被告人らは、原判示の日時頃、原判示の枝川町居住民戦傘下の朝鮮人数十名とともに、中学生を加えた隊列を組み、大挙して原判示鄭昌建方に赴いたが、右は当日のメーデー参加による昂場した気分の余勢を駆り、当時右民戦と反目抗争中であつた民団の有力者たる右鄭昌建に迫つて、同人を民団から脱退させようとする意図に出たものであること、

二  同被告人らを含む右の一団は、原判示鄭昌建方に到るや、ちゆうちよする同人をして、右同人方母屋から事務室に出向かせ、一団中の約一〇名の者が、右事務室内において、右鄭昌建、並びに同人の妻町井トミ、及び同人らの養子町井康祐と相対したうえ、原判示の如き過激な態度で、右鄭昌建に対し、民団からの即時脱退方を交々執拗にかつ一方的に迫つて強く即答を求めたが、その間怒鳴つたりテーブルを叩いたりして気勢を添えるものもあり、いわゆる吊し上げのような状況を呈したこと、

三  原判示鄭昌建方に到つた同被告人らを含む右一団のうち、右事務室に入つた者を除くその余の者達は、同事務室外の同人方庭先にあつて、しきりに革命歌を合唱して気勢をあげ、同人が母屋から右事務室へ赴くため右庭を通過しようとするや、これに対して原判示の如き罵声を投げかけ、ついで右事務室内において前示の問答が始まつた際、右庭先の合唱が喧しく右問答の声が聞きとりにくいところから、事務室内に入つた者よりの合図で一時右合唱を止めたが、やがて右鄭昌建が容易に所期の応答に出ようとしない状況が右事務室内から伝えられるや、同人に対する事務室内における前示の如き激しい追及と相呼応して、再び原判示のような内容の合唱を始め、かつ非難の怒声や罵声を発するに至つたこと、

四  叙上の経過により、原判示鄭昌建は、ついには相対する大勢の者から袋叩きにされるのではないかと観念するに至つたが、前示町井トミの指示をうけた林正浩の連絡により、事態鎮圧のため同人方に到着した警官隊の姿を見るに及んで、ようやく同被告人らはその追及を止めたこと、

等の事実を優に認定し得るものというべく、以上によれば、同被告人らが、原判示の鄭昌建方事務室内外の多数民戦系朝鮮人らと互いに意思を通じ共同して、右鄭昌建に対し、多衆の威力を示し、その生命、身体に対して危害を加えるべき気勢を示して脅迫したものと認めるに十分であり、同人方外庭における歌や発言も、所論のように、同被告人らの行為と無関係な野次にすぎないということはとうていできず、本件が正当な目的のための真面目な許容された団体交渉であつたとか、鄭昌建が畏怖したとするもそれは将来の不確定な事態に対する畏怖というべく、同被告人らの害悪告知によるそれでなかつたとかの所論は、いずれも独自の主張というべく、その他記録及び原審が取り調べたすべての証拠を検討しても、同被告人らの原判示右所為を認定し、同被告人らを暴力行為等処罰に関する法律違反の罪に問擬した原判決には、所論のような事実誤認ないし法令適用の誤りを見出すことはできない。

これを要するに、同被告人らの暴力行為等処罰に関する法律違反の罪についての弁護人の論旨は、すべて理由がない。

第三以上の次第であつて

一  被告人朴在魯、同秋准洙、同安永守、同李舜街に対する原判示各騒擾指揮の罪、並びに被告人卓太信、同鄭祥祐、同洪仁欽、同李東起に対する原判示各騒擾助勢の罪については、前示の如く論旨は理由がある。

1 ところで、原判決は、被告人秋准洙、同卓太信、同鄭祥祐、同洪仁欽、同李東起に対する右各罪と同被告人らに対する各原判示暴力行為等処罰に関する法律違反の罪とは、いずれも併合罪の関係にあるものとして、それぞれ一個の刑で処断しているから、右被告人五名について、原判決は破棄を免れない。よつて刑訴法三九七条、三八二条に則り、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、各被告事件についてさらに判決する。

原判決の確定した右被告人五名の原判示暴力行為等処罰に関する法律違反の各所為は、いずれも暴力行為等処罰に関する法律一条(刑法二二二条)、罰金等臨時措置法三条一項二号に該当するので、所定刑中各懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で、被告人秋准洙、同洪仁欽、同李東起を各懲役六月に、被告人卓太信、同鄭祥祐を各懲役四月にそれぞれ処し、いずれも情状刑の執行を猶予するのを相当と考えるから、刑法二五条一項により、本裁判確定の日から各一年間右各刑の執行を猶予することとし、原審における当該関係各訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但し書に従い、これを右被告人五名に負担させないこととする。

右被告人五名に対する各公訴事実中、被告人秋准洙に対する騒擾指揮の点、被告人卓太信、同鄭祥祐、同洪仁欽、同李東起に対する各騒擾助勢の点については、本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、右被告人五名を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、右被告人五名に対し無罪の言渡をする。

つぎに、被告人朴在魯、同安永守、同李舜街に対しては、同法三九七条、三八二条に則り、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、各被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠に当裁判所の証拠調の結果を併せ考えてみても、右被告人三名に対する本件各公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、右被告人三名に対し無罪の言渡をする。

二  被告人尹仁奎、同呉公哲、同金雲燮、同朴燦正、同金徳還に対する各原判示暴力行為等処罰に関する法律違反の罪についての本件各控訴は、すべて理由がないから、刑訴法三九六条に則り、いずれもこれを棄却する。

〔一一〕 被告人小鹿原キヌ子関係

弁護人及び被告人小鹿原キヌ子の各控訴趣意について

所論は、原判決は、被告人小鹿原キヌ子がラムネのあきびんを警官隊目がけて投げつけたと認定し、これを前提として、同被告人の右行為を騒擾附和随行の罪に当るとしたが、同被告人がラムネのあきびんを警官隊の方に投げたのは、警棒、催涙ガス、拳銃等を用いての警官隊の集団員排除活動に対する自己のうつ憤晴らしのためであつて、これを警官隊に命中させる予見もなく、また命中するような状況で投げたものでもないから、暴行に当らず、原判決の前記認定には事実の誤認があるというのである。

そこで検討してみるのに、同被告人が、本件当日、皇居外苑広場にいて、知り合いの前田毅からラムネをもらい、これを飲み終つたうえ、そのあきびんを警官隊の方に投げたことは、所論も争わないところであるが、さらに、原判決の挙示引用する各関係証拠を総合すれば、同被告人は、本件当日、祝田橋から皇居外苑広場に入つて、銀杏台上の島南縁の桜田土堤下道路沿い地点に到り、同所において、二重橋前砂利敷十字路付近から銀杏台上の島上にかけて起きた原判示警官隊と集団員との接触乱闘の状況を、自らは右抗争の渦中から離れてこれを望見していたこと、やがて警官隊の催涙ガス筒投てきもあり、集団員が原判示のとおり総崩れとなつて中央自動車道路方向へ後退し始めるや、同被告人も恐怖を覚えて夢中でその場を逃れ桜田土堤に登り、同土堤上でさらに状況を望見するうち、銀杏台上の島の南縁から中間付近へかけての地帯で集団員に対し拳銃を擬する警察官を目撃し、また拳銃発射音をも耳にするに及び、驚いて楠公銅像島西南角方面に逃げるべく、右土堤から駆けおりたこと、その途中同被告人は、右土堤下付近で顔見知りの原判示前田毅に出会い、同人からラムネ一本をもらい受け、これを持つて楠公銅像島西南角まで逃げて行き、同所で右ラムネを飲んだが、当時なお銀杏台上の島の南縁から中間にかけてのあたりで、警官隊が盛んに集団員を追い散らしている状況であり、同被告人はこれを見て、集団員に対し催涙ガス筒を投げ、挙銃を射ち、警棒で殴打する等している警官隊に対する憎しみと興奮の念に駆られる余り、自己の周囲の者の動静等にもなんら意を払うこともないまま、中央自動車道路を横切つて銀杏台上の島東南角の同道路沿い地点まで駆けて行き、所携の右ラムネのあきびんを、同島の南縁から中間あたりにかけての一帯で行動中の原判示警官隊の方に投げつけるや、右びんの行方を見きわめることもないまま、ただちに反転し、急いで楠公銅像島南縁中間あたりまで逃げたこと等の諸事実を認めることができる。

以上の諸事実を総合勘案すると、まず、同被告人が右ラムネのあきびんを警官隊の方に投げつけるに至るまでの間、同被告人において、原判示二重橋前砂利敷十字路付近の接触に始まり銀杏台上の島に及んだ警官隊と集団員との接触乱闘につき、右集団員と一体となつてその乱闘に加わつたことは、これを認めるに由ないものというべきであり、つぎに、同被告人が、原判示二重橋前砂利敷十字路付近から銀杏台上の島に及ぶ警官隊と集団員との接触乱闘の推移をその周辺にあつて望見した後、右現場から逃げ出す途中、同被告人としては、集団員が共同して警官隊に対し暴行、脅迫に及んでいるが如き事態については毫も認識認容することなく、前示警官隊の行動に対し怒りを覚えた余り、一時的、個人的な激情、昂奮に発して、銀杏台上の島の南縁から中間あたりにかけた一帯で盛んに集団員を追い散らしていた警察官の方にラムネびんを投げつけたというだけであり、しかもその警察官の範囲は余りにも広範で漠然としており、警察官と同被告人との距離はどの程度であつたのか、ラムネびんはどのあたりまで届いたのか等一切不明であり、その他原判決の引用するすべての証拠を検討してみても、同被告人が、二重橋前砂利敷十字路付近から銀杏台上の島上にかけての原判示各集団員の警官隊に対する接触乱闘に加担する意思をもつて原判示ラムネのあきびんを投げつけたものと認めるには足りないばかりか、原判示各集団員の暴行、脅迫に協力したものとも認められず、同被告人の所為をもつて騒擾附和随行の罪に当るものと評価することはできない。論旨は結局理由がある。

はたしてしからば、原判決は事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つたものというべく、原判決のこの点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決は破棄を免れない。

よつて刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔一二〕 被告人星谷榮一関係

第一弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原判決は、被告人星谷榮一が原判示の日時、場所において、騒擾に加わつている多衆に加担する意思をもつて、路上の石を捨い、原判示の警官隊の方へこれを投げつけ、もつて騒擾に際して率先助勢したものであると認定したが、右原判示事実認定の証拠は、同被告人の昭和二七年五月二一日付検察官に対する供述調書(第二回)、及び同年六月三日付少年調査官補に対する供述調書の各自白、並びに原審証人石堀昭一の証言のみであるところ、右自白は強制、利益誘導によるもので証拠とすることができないものであり、また右証言は未だ同被告人の原判示投石行為に関する右自白を補強するに足りず、原判決は同被告人の右自白のみで右投石の事実を認定したものであると主張し、原判決には以上の点において訴訟手続の法令違反があるというのである。

そこで所論に鑑み検討してみるのに、まず同被告人の検察官に対する所論供述調書については、記録を精査検討してみても、原審が右調書に証拠能力ありとしてこれを証拠に採用したことにつき、所論の如き瑕疵があるものとは未だ認められないから、論旨は理由がない。しかしながら、同被告人の少年調査官補に対する所論供述調書は、非行少年の保護を目的とし非公開で進められる家庭裁判所における少年保護手続の段階において、対象少年の要保護性の有無、程度を科学的、専門的立場から調査する少年調査官補の職責に基づき、その資料を護得するため、少年との信頼関係を前提として面接調査した結果作成されたものであり、その間黙秘権の告知がなされた形跡も窺われず、かかる調書を、犯罪者の処罰を目的とする刑事裁判手続において、犯罪事実の存否認定の資料に用いることは、右調書の法的性質に照らして許容さるべきものではないと解すべきであるから、所論供述調書をたやすく有罪認定の証拠として採用した原審の措置は違法であり。この点に関する論旨は理由があるが、本件は右供述調書を除くその余の原判決引用の証拠により、同被告人が原判示の如く警官隊に対し投石したとの事実を認定できる場合であるから、右の違法は未だ原判決に影響を及ぼすものとはいえない。

つぎに所論は、原判決は補強証拠なく同被告人の自白のみで同被告人の原判示投石行為に関する事実を認定したと非難するが、原判決は、右原判示事実認定の証拠として、所論同被告人の自白調書及び原審証人石堀昭一の証言のほかに、原判決総論(一九四)の認定事実をも挙示引用しているのであり、右の証言並びに総論認定事実は、同被告人の検察官に対する右自白調書と相まつて、自白にかかる同被告人の原判示行為の真実性を保障するに十分と認められるから、同被告人の自白に補強証拠がないとする論旨は理由がない。

第二被告人星谷榮一の控訴趣意中事実誤認の主張について

所論は原判決の有罪認定を非難し、「私にしてみれば、大会に参加して皇居前広場に入つただけのことである。」というのであるが、右は原判決の同被告人の具体的所為に関する事実認定の誤りを主張するものと解される。

そこで検討してみるのに、原判決が挙示引用する関係各証拠(但し同被告人の少年調査官補に対する供述調書を除く。)を総合すると、同被告人は、原判示当日、自由労務者仲間の石堀昭一とともに祝田橋から皇居外苑広場に入り、同人とともに南日比谷土堤上祝田橋寄りの松の木に登り、二重橋前砂利敷十字路付近で警官隊と対峙した原判示集団員が、右警官隊と接触乱闘に及んだうえ、警官隊による拳銃発射や催涙ガス使用が行なわれる中を、銀杏台上の島上を警官隊に対抗しつつ後退して来る状況を望見したこと、その後同被告人は、右松の木を降り、楠公銅像島西縁に沿つて北進し、同西縁中央部付近から中央自動車道路に出て、同所付近で右石堀と別れたが、折から警官隊に圧倒された銀杏台上の島上の原判示集団員が、一部は祝田橋の方向へ、一部は馬場先通りの方向へ算を乱して逃げ始めたのを目撃するに及び、自らもまた右中央自動車道路を祝田橋の方へ向かつて逃げ出したこと、ついで同被告人は、右逃走の途中、原判示楠公銅像島南西角と南日比谷土堤下芝生の北西角との中間付近路上に到つた際、たまたま逃走する集団員の中に警察官の方へ石を投げる者がいるのを見て、同地点に立ち止り、付近の小石をわしづかみに拾うや、逃げ腰で体を後に向け、追いかけてくる警察官の方へ二回続けて投げつけたこと等の諸事実が認められる。なお原判決は、「警官隊が、おおむね銀杏台上の島の集団員を一応祝田橋ないし楠公銅像島方向に後退させた後においても、集団員多数が勢を盛り返し、その中には棒などを振り上げたり投石したりするものをまじえながら二重橋方向に前進して来て、その方面を前進した警察官の相当部分を桜田濠沿い砂利敷道路まで後退させたこともあつた。」とし、「その際、同被告人は、これらの集団員の最後尾の方に加わり、銀杏台上の島の中央付近まで前進して行つた。」と認定しているが、同被告人の原判示右動静については、原判決が挙示する同被告人の昭和二七年五月二一日付検察官に対する供述調書(第二回)、及び昭和三六年七月三一日の原審公判期日における供述によつても、あるいは、中央自動車道路から銀杏台上の島に入ろうとした時、デモ隊が列を乱して逃げ始めたので、驚いて祝田橋の方へ逃げたと述べ(右検察官調書)、また、中央自動車道路の付近まで行つたことはないとも言い(右公判供述)、さらに同被告人の同年一〇月五日の原審公判期日における供述に至つては、一方、土堤をおり中央自動車道路に出てから銀杏台上の島の芝生の方へは全然行つていないと述べながら、他方、中央自動車道路を越えて銀杏台上の島の芝生の中へ半分位入つたと思うと述べる等、同被告人のこの点に関する供述はその変転が甚だしく、加えて原判決引用の原審証人石堀昭一の証言も、中央自動車道路を渡り切つたところまで行つたら、デモ隊の後の人がこつちへ逃げて来たので、同被告人とはそこで別れ馬場先門の方へ逃げたというのみで、他にこの点に関する証拠はなく、以上の各証拠をもつてしては、前示の如く、せいぜい同被告人が楠公銅像島側から中央自動車道路に進出したという限度の事実が認められるにすぎず、とうてい原判示の如く、同被告人が集団員の最後尾に加わり銀杏台上の島中央付近まで前進したとの事実を認定することはできないものというべきである。

はたしてしからば、まず、同被告人は、原判示南日比谷土堤にあつて、二重橋前砂利敷十字路付近から銀杏台上の島に及んだ原判示集団員と警官隊との接触乱闘の推移を望見認識したうえ、中央自動車道路まで進出したものではあるが、折から警官隊に圧倒され算を乱して同島上から逃げ出した集団員を見て、自らも祝田橋の方へ逃走するに至つたものであり、以上の同被告人の所為を目して、同被告人が右原判示集団員に加担すべくこれと一体となつたものと認めることは困難というべきである。さらに、原判決引用の証拠(但し、前記同被告人の少年調査官補に対する供述調書を除く。)によれば、同被告人が祝田橋方向への逃走途中投石行為を行なつたことは認められるが、記録を精査検討してみても、その際同被告人の周囲にあつて警官隊の方へ投石した集団員の数や、投石の程度、態様をも含め、銀杏台上の島から祝田橋方向へ算を乱して逃走した原判示集団員の具体的状況を詳らかにするに足りる適確な証拠はなんら見当らず、なお原判決は、「同被告人が路上の石を二重橋寄り約二〇メートル前方に前進して来た警官隊の方へ投げつけた。」と認定しているが、当裁判所がさきに証拠能力を欠くと判断した同被告人の少年調査官補に対する供述調書を除いては、他にこの点を明らかにする証拠はない。したがつて、同被告人が、原判示の路上からわしづかみにした小石を、どのような周囲集団員の状況下で、いかなる意図をもつて、いかなる位置、態勢にあつた警察官の方へ投げつけ、それが集団員及び警官隊に対していかなる影響を及ぼすに至つたのか等の諸点は、証拠上いずれも不明確であるばかりでなく、同被告人が二重橋前砂利敷十字路付近から銀杏台上の島上にかけての原判示集団員の暴行、脅迫に協力したと認めるに足りる証拠もない。そうである以上、同被告人の原判示投石行為をもつてたやすく騒擾罪にいう暴行に当るものとし、同被告人が原判示集団員と一体となり、これら集団員に加担する意思で率先助勢したものと認めた原判決の事実認定には、なお合理的な疑いを容れる余地が多分に存するものといわなければならず、論旨は結局理由がある。

以上の次第で、原判決は、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つたものというべく、原判決のこの点の瑕疵は、判決に影響を及ぼすことが明らかであり、弁護人及び同被告人のその余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

よつて刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔一三〕 被告人中川吉兵衛、同増田敏夫、同中西朗二、同町田信彦、同車台洙、同村越保子、同小池美津子関係

第一弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原判決の挙示する各証拠のうち、原判決が犯罪事実認定に必要不可欠のものとして用いている内田清以下六名の奥山組労働組合員の各検察官調書には、特信性及び任意性が存在しないから、これら調書を採用して犯罪事実を認定した原判決には、訴訟手続の法令違反があると主張する。

しかし、所論に鑑み記録を精査検討してみても、原審が所論の右各検察官調書に証拠能力を認めてこれを証拠に採用したことにつき、所論の如き瑕疵があるものとは未だ認められないから、論旨は理由がない。

第二弁護人及び被告人中川吉兵衛、同中西朗二、同村越保子、同小池美津子の各控訴趣意中事実誤認の主張について

弁護人の所論は、原判決が、被告人中川吉兵衛、同増田敏夫、同中西朗二、同町田信彦、同車台洙、同村越保子、同小池美津子(以上の被告人七名を以下日本教具被告人らと総称する)につき、騒擾助勢ないし附和随行の原判示事実を認定したことについて、同被告人らの騒擾意思、並びに当該の具体的所為に関する事実誤認を主張するにあり、前記各被告人の主張するところも、結局弁護人の右所論と同旨に帰着する。よつて以下右論旨について順次判断する。

一  日本教具被告人らについて騒擾意思を認定したことが事実誤認であるとの論旨について

所論は要するに、騒擾罪の成立を認めるためには、まずもつて同被告人らが騒擾状態を認識していたことが前提となるべきところ、当時、祝田橋上から二重橋前砂利敷十字路付近の状況を見渡すことは、距離的にも地理的にも不可能であり、同被告人らについて認定し得るところは、せいぜい人が集まつて乱闘している状況を左に見てことさらその者達を避けて祝田橋上右側に停止した程度の事実にすぎず、しかも押送係警察官が祝田橋上に駆けつけた際には、同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らは、「ポリ公が来た」との声とともに、祝田橋上からばらばらに逃げ散つてしまつたものであり、たとえ同被告人らが見た同橋上の乱闘が、原判示広瀬分隊長ら警察官に対する原判示集団員の暴行であつたとしても、同警察官らがいかなる目的で同橋上にきたものであるかについてその間の事情を理解するに由ない同被告人らにおいては、一部のデモ隊員が棒を振り回したりして警察官に立ち向かつているとの事実を認めたにすぎず、その事実を認識したからといつて原判示の騒擾状態を認めたことにはならないものであり、騒擾状態の認識がない以上、同被告人らには騒擾意思を欠くものというべく、原判決はこの点において事実を誤認しているというのである。

そこで検討してみるのに、原判示事実を原判決引用の証拠と対照して読めば、原判決は所論騒擾意思の点について、「二重橋前砂利敷十字路付近の警官隊が、その前面の集団員排除の行動に移り、桜田濠沿い砂利敷道路から祝田橋方面に進出した広瀬分隊長ら第一方面予備隊第三中隊員を主とする二、三十名の警察官の先頭部分が、同橋の祝田橋交差点側たもと付近等に達し、右警察官中巡査上村敏夫らが集団員に取り囲まれたりして、棒などで殴る、蹴る、さらには濠に落して石や棒切れを投げる等の暴行を受けたこと、東京地方検察庁構内から同巡査らの救助に駆けつけた警部山田栄治ら押送係警察官が、祝田橋上において集団員から暴行を受けたこと、及びそれらの状況」につき、原判決総論において認定したところを引用したうえ、「同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らが祝田橋交差点に到つたのは、右押送係警察官などが集団員から暴行を受けていた右総論認定の事象の頃」であつたとし、「その頃同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員の方からは、祝田橋上において他の集団員が棒を振り回したりして警察官に立ち向かつている模様が看取された」ことをもつて、まずその根拠としているものと認められる。そして、右の事実は、原判決引用の証拠によつて認定できるものというべきである(もつとも、前記押送係警察官が祝田橋上に駆けつけたのは、所論のとおり、同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らが祝田橋上に足を踏み入れた後の時点と認めるべきである。)。そして、この同被告人らが認識したところと、原判決引用の証拠によつて認定できるつぎの事実、すなわち、同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らが、「人民広場へ行こう」と盛んに叫ぶもののあるうちを日比谷公園桜門を出て祝田橋交差点に到り、その間通行人らから広場の状況につき注意されたりし、さらに同交差点においてプラカードを破壊して棒に仕立てたりなどしたものもある等の状況を経たうえ、皇居外苑広場に向け祝田橋に足を進めた事実、並びに記録上窺われる祝田橋から皇居外苑広場にかけての地理的状況を総合すると、同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らにおいて、当時祝田橋上で他の集団員が警察官に立ち向かつている状況を認識していたのはもとよりのこと、たとえ、皇居外苑広場内において原判示各集団員と警官隊との間に生じていた接触乱闘について、その具体的内容は認識できなかつたとしても、両者の間に接触乱闘を生じており、それが祝田橋にも及んで騒然たる状況を呈していた事実をも、未必的にもせよ認識していたものと認められる。してみれば、同被告人らが、皇居外苑広場内から祝田橋にかけての原判示各集団員と警官隊との乱闘の状況につき、毫も知るところがなかつたとの所論は採るを得ない。

二  同被告人らの具体的所為に関する事実誤認の論旨について

所論は要するに、原判決の挙示する証拠によつては、同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らが、「喊声をあげ、棒を振り上げたりしながら、祝田橋上に一団となつて駆け進み、この中には反対方向から駆けて来る態勢の数名の警察官の方に棒を振り回したりしながら立ち向かつて行つたりした者があつた。」旨の原判示事実を認定することはできないというのである。

そこで検討するのに、原判決の挙示引用する証拠によれば、同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らが、原判決の判示する経緯を経て祝田橋交差点に到つたうえ、喊声をあげ棒を振り上げたりしながら、祝田橋上に一団となつて駆け入つた外形的事実は、優にこれを認定できるところである。しかしながら、「同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らが祝田橋上に進んだ際、その中には反対方向から駆けて来る態勢の数名の警察官の方に棒を振り回したりしながら立ち向かつて行つたりした者があつた。」旨の原判決認定部分について、これを裏付ける証拠としては、所論も指摘するとおり、原判決が挙示引用する多数の証拠のうち、僅かに小島弥三郎の昭和二七年六月一日付及び同月九日付各検察官調書が存するだけであるが、右各調書にあるように、被告人中川や、めがねの男すなわち被告人増田(右小島は、その昭和二七年六月九日付検察官調書で、めがねの男は被告人増田であると述べている。)が、棒を振り上げて警察官に殴りかかつたとの事実は、原判決も右被告人らの所為として認定しなかつたところであるばかりでなく、右被告人らの所属する日本教具分会の隊列の後方から、これに続いて祝田橋に駆け進んだ奥山組労働組合所属の右小島が、当時皇居外苑広場突入を目指す先行の集団員と警官隊との乱闘により喧騒混乱していた前認定の状況の中で、前方にいて、平素それほど交際もなかつた右被告人らの行動を、しかく識別してよく認識し得たかどうかについては疑問があるばかりでなく、前記小島の供述内容は、祝田橋上に駆け進んだ日本教具分会の者の行動について記されている原判決引用のその他の証拠と彼此対照してみて、にわかに信用し難いものがある。したがつて、日本教具被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らが、祝田橋上において、原判示の警察官に所携の棒の振り回したりしながら立ち向かつていつたとの事実は、とうていこれを認めるに由ないものというべきである。

つぎに、原判決総論引用の当該関係証拠によれば、広瀬分隊長ら第一方面予備隊第三中隊員が祝田橋に進出して集団員から暴行を受けているとの事実が、当時東京地方検察庁構内にいた押送係警察官山田栄治ら、及び桜田土堤下道路を中央自動車道路の方向へ前進中であつた第一方面予備隊第三中隊長井上公耳らに、それぞれ急報され、時を移さず、皇居外苑広場の内と外からほぼ同時に、右被害警察官の救出活動が行なわれたことが認められるところ(原判決総論(二〇七))、原判決の挙示引用する関係各証拠を総合すれば、同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らが、皇居外苑広場内に入ることを志向して祝田橋に足を踏み入れ、現に他の集団員が同橋上桜田門寄り歩道辺において警察官に暴行を加えているのを左に見ながら、その右側を若干進んだ際、「後からポリ公だ」などの声があがり(この声に照応する警察官は、後方から救出活動に臨んだ押送係警察官であると認められる。)、同橋上の車道右側に押され列が乱れるとともに、さらに前方皇居外苑広場の方から警察官が押し寄せてくる姿を認めたため(これが井上公耳中隊長以下の第一方面予備隊第三中隊の救出活動にあたるものと認められる。)、同被告人らその他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らは、同橋を渡り切る前に、たちまちばらばらに四散するに至つたものであることが認められる。

以上によれば、同被告人らの具体的所為として証拠上認定できるところは、同被告人らが、その他の日本教具分会員、奥山組労働組合員らとともに、皇居外苑広場内に入ることを志向して、喊声をあげ棒を振り上げたりしながら祝田橋上に一団となつて駆け入つたが、前方から押し寄せてくる警察官の姿を認めて、ばらばらに四散して散げ出したという事実のみであつて、論旨も指摘するとおり、同被告人らにおいて警察官に対し棒を振りかざして立ち向かつていつたとの原判示事実は、これを認めることができないのである。

ところで、騒擾助勢ないし附和随行の罪が成立するためには、多衆集合して暴行、脅迫をなしつつある際、これを認識認容したうえ、これに加担する意思をもつて、客観的に多衆の一員としてこれと同一の集団を形成することを必要とするものであるところ、以上同被告人らの所為として認定したところに徴すれば、同被告人らが前記の如く祝田橋上に駆け入つたとの一事をもつて、ただちに、同被告人らが祝田橋上の他の集団員の暴行に加担する意思をもつてこれを支持認容する所為に及んだり、さらには皇居外苑広場内で警官隊と接触乱闘中の他の集団員と同一の集団を形成したりして、これら集団員に率先して騒擾の勢いを増大し、ないしは附和随行したものと認めるには、なお合理的な疑いの余地があるものというべきである。たとえ、同被告人らにおいて前記の如く、当時祝田橋上で他の原判示集団員が警察官に立ち向かつている状況を認識し、かつ皇居外苑広場内から祝田橋にかけて原判示各集団員と警官隊との間に接触乱闘を生じていた事実を未必的に認識していたにせよ、右判断を左右するものではない。論旨は結局理由がある。

はたしてしからば、原判決が同被告人らを騒擾助勢ないし附和随行の罪に問擬したことは、当時祝田橋上及び皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘中であつた他の原判示集団員の所為を騒擾罪としてとらえるかどうかにかかわりなく、すでにその前提において、事実誤認、または法令の解釈適用を誤つた違法があり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、同被告人らに対する原判決は、すでにこの点において失当として破棄を免れない。

よつてその余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人らに対する各公訴事実について、同被告人らを有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人らに対し無罪の言渡をする。

〔一四〕 被告人伊藤新次郎関係

弁護人の控訴趣意について

所論は、被告人伊藤新次郎は、原判示の状況のもとで、原判示の多数の集団員の暴行、脅迫に加担する意思で、原判示星野高明運転の自動車付近にいた事実はないというのである。

所論に鑑み、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみるのに、原判決は、同被告人が原判示白石広治に語つたという事実のうち、同被告人が皇居外苑広場内において、警察官に対し棒を振るつて殴りかかつたり、星野高明運転にかかるトラツクに対し投石したりした事実は認定できないとしながら、同被告人が、前記白石広治の検察官に対する供述調書、及び同人の原審公判期日における証言に見られるような態度、経緯をもつて、同人に対し具体的にかつ克明に右星野高明運転手の遭難の状況を物語つていることは、同被告人が、少なくとも、その頃同広場内において騒擾を惹起せしめている多衆に加担する意思をもつて、右星野高明並びに同人運転にかかる大型六輪貨物自動車が原判示集団員に暴行等の被害を受けたその遭難現場付近にいたことを推認せしめるに十分であるとして、同被告人に対する原判示犯罪事実を認定しているのである。

ところで、同被告人は、昭和二七年八月四日付検察官に対する供述調書(第一、二回)において、同被告人が、本件当日、全木労の労働組合員らとともに、皇居外苑広場に入るべく祝田橋を渡り、同所から約一〇メートル位先の楠公銅像島の芝生に入り、同所で休けい中、催涙弾の煙が流れてきて大勢の群集が押し出されてきたので、同所から逃げ出し、馬場先門から外に出たものであつて、同被告人が白石広治ら大出産業の人々に語つたところも、同被告人が当日見てきた前記の程度のことであると述べているだけであつて、星野高明運転手遭難の顛末について詳細に具体的事実を語つたことを否認している。そればかりでなく、白石広治の検察官に対する供述調書には、同人が昭和二七年七月一〇日の夜大出産業の寮の食堂で同被告人から聞知したこととして、原判決に引用するところと同旨の具体的かつ克明な供述記載があるが、同調書によれば、当時右食堂に居合わせて白石広治とともに同被告人の語ることを聞いた者として、大出産業の社員である秋葉、大石の名前があげられているのであるが、同人らが、同被告人から聞いたところに関してはなんらの資料も存しない。加えて、白石広治は、原審公判期日に証人として、当夜同被告人は、メーデー事件の写真を買つてくれといいながら、冗談まじりに、五月一日当日同被告人が体験したという事実を話していたとして、原判決に引用するところと同旨の内容を語つているのであるが、その供述自体から明らかなように、同被告人が皇居外苑広場内において自らがし、または見聞したところとして、白石広治が同被告人から聞知した事実というのも、白石自身の解釈や注釈を交えた部分もあり、同人がさきに検察官に対し述べた同被告人から聞知した事実というのも、同様、白石自身の解釈を交えて述べた部分も存在するのではないかとの疑問がある。以上の事実をかれこれ考え併せると、同被告人が当夜白石広治らに語つたという事実の内容が、はたして前記の同人の検察官に対する供述調書に見られるとおり、しかく具体的かつ克明なものであつたかどうかについては、疑問なしとすることはできない。さらにまた、記録によれば、同被告人が前示の如く白石広治に対しメーデー事件当日のことについて語つたというのは、昭和二七年七月一〇日、すなわち事件後二月余を経過した後のことであり、当時すでにアカハタ編集局編集にかかる「人民広場血のメーデー写真集」(東京地裁昭和三六年押第五五七号の一)もでき上つていて、同被告人も、その日この写真集を大出産業の労働組合員らに売りにきたのであつて、この写真集の中には、星野高明運転手遭難に関する原判示状況を撮影した写真の印刷物も存在していたことが認められる。したがつて、同被告人がこの状況について自ら体験したこととして白石広治らに語つた事実の内容も、同被告人がこの写真集等から得た知識を、あたかも自ら体験した事実の如くにして語つたところも多分に存在するのではないかとの疑問を容れる余地もある。

以上の次第であるから、同被告人が前記七月一〇日の夜白石広治に語つたという事実の内容を根拠にして、原判決のいうように、同被告人が少なくとも、星野高明運転手遭難の頃、その遭難現場付近にいたということをただちに推認するについては、合理的な疑いが存する。いわんや、同被告人が原判示集団員の行なつている暴行、脅迫に加担する意思をもつて同所にいたという事実を推認するについては、なおさらのことである。

してみれば、原判決が、その挙示引用する証拠により、同被告人に対する原判示事実を認定した措置は、所論の如く事実誤認の瑕疵があるものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があるものというべきである。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔一五〕 被告人李成雨関係

第一弁護人の控訴趣意中、本件は、当時少年であつた被告人李成雨に対し、不法に公訴を受理した違法があり、かつ在日朝鮮人に対する仮借なき弾圧目的に出た不正な政治的起訴であつて、公訴棄却すべきであるとの主張について

まず、所論前段について本件記録を検討してみるのに、本件において、同被告人は当時一六歳の少年であつて、東京家庭裁判所は、検察官から本件の送致を受けた後、少年法一七条一項二号による観護措置決定を行ないながら、その後、同被告人に対し、少年法所定の専門的知識を活用した調査を行なつた形跡の認められないことは、所論のとおりであるが、家庭裁判所が同法二〇条による検察官への送致決定をするについて、常に必ず同法八条二項、九条による調査を経由しなければならないものとは解されない。また本件の検察官への送致決定書記載の罪となるべき事実は、たしかに所論の如く、一般的、抽象的なきらいがないわけではないが、それにもかかわらず、それが本件メーデー騒擾事件に関する事実であることは特定できるのであり、同被告人に対する本件公訴事実との同一性を認めるに支障はないものというべきである。以上いずれの点よりするも、東京家庭裁判所がした本件の検察官への送致決定に所論の違法があるものとは認められず、右の違法があることを前提として、本件は当時少年であつた同被告人に対し不法に公訴を受理したものであるとする所論の主張は、とうてい採用できない。

つぎに、所論後段について本件記録を検討してみても、本件が、所論の如く、在日朝鮮人弾圧のための政治的目的実現のため、朝鮮人たる同被告人に対し公訴の提起がなされたものと認めるに足りる証跡は、毫も認められないのであるから、この点の論旨もまた理由がない。

第二同、事実誤認または法令の解釈適用の誤りの主張について

所論は、同被告人は、原判決にその投石の場所と認定判示されている銀杏台上の島の祝田橋寄り中央自動車道路に面した歩道付近、及び祝田橋口から日比谷土堤付近にかけて当時存在していた集団員と一体となつて、警察官に対し暴行を働く意思をもつて、本件投石を行なつたものでもなく、また、同被告人が投石した場所と当時警察官が所在していた場所とは、優に数十メートルを隔てていたものであるから、その投石行為は、とうてい警官隊に向けられた暴行ということができないものであり、しかも、同被告人の周辺には僅かの投石者が存在していただけであるから、当時、現場付近には騒擾と目すべき事態は存在していなかつたものというべく、同被告人の投石行為を騒擾助勢の罪に問擬した原判決には、事実を誤認したか、または法令の解釈適用を誤つた違法があるというのである。

所論に鑑み、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみるのに、原裁判所が総論事実認定の証拠として引用した証拠、並びに同被告人に対する原判示犯罪事実認定の証拠として引用した証拠、特に、原審証人加藤良一(旧姓上倉)の証言によれば、同被告人が投石した当時、同被告人の周囲の状況が原判示のとおりであつたこと、すなわち、原判示の経緯を経て、銀杏台上の島の警官隊が前進を開始して、楠公銅像島の集団員を排除すべく同島に上がり、その一部の部隊が同島の祝田橋寄り角付近に一旦停止し、祝田橋口から日比谷土堤付近にかけての集団員と相対峙したが、これらの集団員中には、右警官隊の方に石を投げている者がいたこと、一方、同被告人が投石当時所在していた原判示場所付近には、見物人や集団員がいたが、それは混雑していた状況ではなく、集団員中には、投石する者、警官隊に対し喚声をあげている者がいたが、投石する者よりむしろ喚声をあげている者が多い状況であつたこと、以上の事実を認定できるのである。そして、同被告人に対する原判示犯罪事実認定の原判決引用の証拠によれば、同被告人は右状況のもとにおいて、原判示場所において、前記楠公銅像島の祝田橋寄り角付近で集団員と相対峙していた警官隊の方向に向けて、石を拾い何回かにわたつて投石した事実が認められる。そして、同被告人が投石していた原判示場所と前示警官隊のいた場所とは、原判示中央自動車道路を隔てて約五、六十メートルの距離があつたことは、記録上明らかであり、なるほど、同被告人の投げた石が右警官隊に届いたことの証拠はないが、同被告人のした警官隊に向かつての投石行為を、警察官に対する暴行と認めることには毫も支障はないものといわなければならない。

ところで、原裁判所が取り調べた証拠を検討してみるのに、前記祝田橋口から日比谷土堤付近にかけて警官隊と相対峙していた集団員、及び同被告人の投石現場付近にいた集団員が、皇居外苑広場の桜田濠沿い砂利敷道路、二重橋前砂利敷十字路、銀杏台上の島等において警官隊と接触乱闘に及んだ原判示各集団員に属していたとか、あるいはこれら集団員のした暴行、脅迫の事実を認識認容し、その意思を承継し、かつその暴行、脅迫の事態を利用する意思が存するものと認められる状況のもとに、原判示の場所に集合し原判示の各暴行に及んでいたとかの事実を認定するに足りる証拠がないばかりでなく、他にこれら集団員との間に集団の同一性を認めるに足りる資料を見出すことはできないのであるから、これら集団員との間に集団の同一性を認めるに由ないものといわなければならない。つぎに、同被告人と前記の如く当時祝田橋口から日比谷土堤付近にかけて集結し、前面の警官隊に対し投石して暴行を働いていた前記集団員との関係を検討してみるのに、同被告人がこれら集団員の行為を認識認容し、これに加担し、その集団員と一体となり合同力を形成する意思のもとに、本件投石行為に及んだものと認定するに足りる証拠は備わらないのである。

なお同被告人の投石現場付近にいた集団員と同一集団に属すると認められる集団員が、当時他に皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

以上の次第であるから、同被告人としては、その投石現場付近にいた集団員の中にあつてした行為についてのみ責任を問われるにすぎないものというべきである。しかるに、同被告人が投石していた場所の付近に集団員が存在し、そのうち警官隊の方に向かつて投石する者がいたことは前記のとおりであるが、前記原審証人加藤良一の証言によれば、当時同被告人の付近には、右集団員のほかに多数の見物人(いわゆる野次馬)がおり、集団員と見られる者も、口々に何か喚いている者が投石者に比べ多かつたばかりでなく、その投石者の数もはつきり判らなかつたばかりか、警官隊の方もこの投石に対応する行動に出たことを認めるに足りる証拠がないのであり、たとえ、同被告人がこれら投石者と共同して警官隊に対し投石し暴行に出る意思であつたとしても、同被告人を含めて投石に及んだこれら集団員を、騒擾罪にいわゆる「多衆」と認めることには、証拠上疑問があるといわなければならない(そしてまた、前記の如くこれら集団員のうち口々に喚いている者があつても、その行為をただちに脅迫と認めることのできないことも当然である。)。

以上の次第であるから、原判決が、原判示の理由により、同被告人の本件投石行為を目して騒擾助勢の罪に当るものと認定したことは、事実を誤認したか、または法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、この点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔一六〕 被告人中村浩関係

弁護人の控訴趣意について

所論は、原判決は、被告人中村浩が小石六個をポケツトに所持して、原判示の状況下、原判示南日比谷土堤側土堤下道路に所在していた事実をとらえて、刑法一〇六条三号の附和随行の罪に当るものとしているが、当時付近に原判決にいう騒擾状態はなかつたばかりか、同被告人には、もともと多衆集団員が行なう暴行、脅迫を認識認容して、自らもこの多衆集団員に加担するとの意思は、毫もなかつたのであるといい、原審が同被告人の前記小石所持の動機、同被告人が当時認識していた集団員の状況等に関して同被告人について確めなかつたことは、審理不尽の瑕疵があるというのである。

所論に鑑み、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠について、所論の当否を検討してみるのに、原判決引用の関係証拠によれば、同被告人は、当日午後二時過頃、単独で皇居外苑馬場先門から同広場内に入り、先に入つた学生らのデモ隊が白煙のあがる中を警備の警官隊に排除されるのを見て、同広場楠公銅像島に逃げ出し、同所でアイスクリームを買つて食べ休けい中、中年の日本人の女に、「あんたもこれでやんなさい。」といわれて、本件の小石六個(東京地裁昭和三五年証第一九六七号の一)を渡され、これをズボンポケツトに入れ、原判示南日比谷土堤側土堤下道路付近に到つた際、当時付近でデモ隊員を排除中であつた警察官により、警察官に木片を投げつけ暴行した現行犯人として逮捕されたものであり、原判決引用の証拠によるも、同被告人が桜田濠沿い砂利敷道路、銀杏台上の島等において警官隊と接触乱闘に及んだ原判示各集団員の中に加わつていたことは、とうてい認められないわけである。ところで、前記証拠によれば、同被告人が前記南日比谷土堤側土堤下道路に到つた頃、楠公銅像島及びその周辺においては、原判決の認定するとおり、警官隊による集団員の排除活動が行なわれていたのであるが、同被告人のいた南日比谷土堤側土堤下道路付近の状況としては、原審証人小松忠義の証言によれば、土堤上には二、三百人のデモ隊員が群がつていたが、土堤下道路では、第一方面予備隊第三中隊第三小隊員約二〇名位が、三々五々逃走中の右警官隊より少ない人数のデモ隊員を排除中であつたことが認められる。同被告人は、この状況下、前認定のとおり、小石六個をズボンポケツトに所持して右土堤下道路付近にいたのである。

そこで、同被告人が、原判決の認定するとおり、多衆集団員の行なう暴行、脅迫の事実を認識認容し、自らもまた、この多衆集団員の一員としてこれに加担する意思のもとに同所にいたものであるかどうかについて検討してみるのに、同被告人が、桜田濠沿い砂利敷道路及び銀杏台上の島等において警官隊と接触乱闘した原判示の各集団員の中に加わつていたものでないことは、すでに前説明のとおりであるばかりか、同被告人が、これら集団員の接触乱闘の事実を認識認容して、この集団員に加担する意思をもつて、前記土堤下道路付近にいたものであるとの事実については、これを認定するに足りる証拠は存しない。そしてまた、当時同被告人のいた土堤下道路付近の状況は、さきに説明したとおりであつて、同被告人が、当時楠公銅像島及びその周辺において行なわれた原判決認定の警官隊と集団員との抗争の事態を認識していたとの証拠も、これを見出すことができない。したがつて、同被告人が、楠公銅像島及びその周辺において警官隊と抗争した集団員に加担する意思を有していたとの事実も、これを認定するに由ないものというべきである。もつとも、同被告人は、前記の如く小石六個をズボンポケツトに入れこれを所持していたものではあるが、それも同被告人が積極的に拾い集めて所持していたものではなく、さきに認定したように、他人から渡されて所持するにいたつたものであり、しかもこれを用いて警察官に対し投石等の行為に出た事実も認められないから、この小石所持の一事をとらえて、ただちに、同被告人が多衆集団員の暴行、脅迫に加担する意思があつたものと認定するについては、やはり合理的疑いを容れるものというべきである。

してみれば、原判決が、同被告人の原判示所為を目して、たやすく刑法一〇六条三号の附和随行の罪に当るものとしたことは、事実を誤認したものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があるものというべきである。

よつてその余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条、三八二条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔一七〕 被告人戸原駿二、同木村茂雄関係

第一弁護人及び被告人戸原駿二、同木村茂雄の控訴趣意中事実誤認の主張について

所論は、原判決は、原判示の各一団の警察官に対し、原判示の各場所で、被告人戸原が一、二回、被告人木村が一回、それぞれ投石したとの各事実を認定したが、被告人両名にはいずれも投石の事実はなく、また本件において騒擾と目すべき事態は存在しなかつたものであつて、原判決の認定は誤りであるというのである。所論に鑑み、被告人両名について以下順次検討する。

一  被告人戸原について

1 投石事実の有無について

原判決が被告人戸原について挙示引用する関係各証拠、なかんずく、原審証人伊藤昭也、同伊藤寛の各証言によれば、原判決が同被告人につき認定判示した投石の事実は、優にこれを認定できるものというべきである。所論は、原判決がその理由中において、同被告人の投石事実の有無の認定に関連し、同被告人及び被告人木村らの逮捕の場所と順序等、及び右被告人両名の馬場先門付近までの連行状況等、並びに東京地裁昭和三五年証第一一九〇号の三の石六個の出所の諸点について、詳細な証拠説明を加えているのに対して、右被告人両名に対する逮捕の場所、逮捕時の状況、逮捕後の連行状況は、いずれも右原判示説明とは相異しており、また被告人戸原が逮捕時に石を所持していた事実はないというのであるが、所論に鑑み、各関係証拠を検討し記録を調査してみても、原判決の右証拠説明は十分首肯するに足り、同被告人の投石所為に関する原判決の事実認定には、未だ所論の如き瑕疵があるものとは認められない。所論は、結局原判決の採用した関係各証拠の証明力について独自の判断を施したうえ、原判決の事実認定を攻撃するものというべく、採用することはできない。

2 騒擾罪の成否について

原判決は、「集団員を皇居外苑広場から排除する目的で楠公銅像島に向かつて前進した警官隊のうち、第三方面予備隊員巡査伊藤昭也ら一団の警察官が、日比谷土堤角付近の厚生省国立公園部皇居外苑分室、財団法人皇居外苑保存協会(以下分室建物と略称する。)の裏手まで前進して来た際、多数の集団員などが馬場先門方向へ逃げており、その中で一部の者がこれら警察官の方に向かつて投石していた状況下、被告人戸原は、同裏手のあき地から、右一団の警察官に対し一、二回投石した。」と認定しているが、原判決が同被告人の右所為をとらえて騒擾助勢の罪に当るものと判断したことは、原判決に徴して明らかであり、同被告人が原判決にいう騒擾に関与したという行為はこれに尽きる。

そうとすれば、同被告人の原判示投石時点に至るまでの間における、二重橋前砂利敷十字路付近の接触に始まり銀杏台上の島の衝突乱闘を経て楠公銅像島側に及んだ原判決総論判示各集団員と警官隊との接触乱闘の事態について、同被告人が責任を負うためには、まずもつて、同被告人をも含め当時右分室建物裏手に群がつていた集団員などが、右接触乱闘に加担した各集団員といわゆる多衆としての同一性を有し、かつ同被告人がこれら集団員の行動を認識認容し、これに加担する意思を有しているのでなければならない。しかるに、原判決は、右時点に至るまでの同被告人の動静や、前示接触乱闘の事態に関する同被告人の認識内容につき、なんら具体的に判示しておらず、また同被告人の周囲にいた集団員などに関しても、前示の如く、その多数は馬場先門方向へ逃げており、うち一部が警察官の方に向かつて投石していたというのみで、これらの者と従前の接触乱闘に加担した原判決総論判示の各集団員との関連については、全く触れるところがないばかりか、原判決が引用した証拠、特に原審証人伊藤昭也、同伊藤寛の各証言によれば、同人ら約三〇名の警察官が右分室建物裏手に前進した際、同所には二、三百人の集団員などがいたが、そのうち同被告人を含む前面の二、三十人が投石をして抵抗状態にあり、その余はただ警察官の排除活動に応じてひたすら馬場先門方向へ逃げて行くような状態であつたことが認められる。そうである以上、右投石に及んでいた二、三十人と、馬場先門方向へ逃走中の右大多数の者との間に共同暴行、脅迫の意思があるものと認めることはできない。そして、右原審各証言並びに原判決引用の関係証拠によれば、現に投石に及んでいた同被告人を含む右二、三十人の者は、激しい警官隊の一斉排除活動を受け算を乱して逃走する集団員などの中にあつて踏み止まり、受動的、散発的な抵抗行為に出たにすぎないものであることが認められるのであるから、前記原判決総論判示の各集団員と多衆としての同一性を認定するについては疑問を容れるものというべく、のみならず、同被告人が前記各集団員のした行為を認識認容しその行為に加担する意思を有していたものと認定するに足りる証拠もない。してみれば、同被告人の原判示投石所為の時点までの間における前記原判決総論判示各集団員のした行為が騒擾罪を構成すると否とにかかわらず、同被告人が右集団員のした行為について罪責を問われるいわれはない。

なお前記投石に及んでいた同被告人を含む二、三十人の者と同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

つぎに、同被告人の原判示投石の頃、原判示分室建物裏手に群がつていた集団員などのうち、同被告人を含む前記二、三十人の者がした投石が、公共の静謐を害するに足りる程度のものであつたかどうかについて検討してみるのに、その投石の程度については、前記伊藤寛証人において、単にかなりの数の石が飛んできたというにとどまり、同じく伊藤昭也、伊藤寛両証言によつても、警察官中石に当つたり負傷したりした者が出た形跡はなく、しかも前示のとおり、当時周辺の大多数が群をなして馬場先門方向へひたすら逃走している状況下、受動的、散発的に投石したものであつたことや、右両証言によつて明らかなように、同被告人の投石を現認するや、警察官三、四名がただちに前進して同被告人を現行犯として逮捕できたこと等の諸点をかれこれ考え合わせると、とうていこれをもつて公共の静謐を害するに足りる程度の暴行であつたと認めることはできない。

はたしてしからば、原判決が、同被告人のした原判示投石の行為をとらえて、同被告人をたやすく騒擾助勢の罪に問擬したことは、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、原判決のこの点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は理由がある。

二  被告人木村について

1 投石事実の有無について

原判決が被告人木村について挙示引用する証拠のうち、同被告人の投石行為を直接証明するものは、原審証人伊藤昭也の証言を措いて他にはない(なお、原審証人伊藤寛の証言は、右伊藤昭也から、「あいつが投げている」旨を聞いて同被告人の逮捕に向かつたというにすぎないもので、同被告人の投石行為を直接に目撃したことを内容とするものではない。)。しかしながら、右証人伊藤昭也も、同被告人の投石については、さきに逮捕した被告大戸原らを連行して分室建物から馬場先門の方向へ通ずる歩道上を進んでいた際、石が飛んできたので、その方向を見たところ、三、四十メートル離れた分室建物と馬場先門との間の土堤側の松林付近から、被告人木村が石を投げている現場を目撃したが、その表情から自分達の方を狙つたものと感じたと言うのみであつて、その証言内容は極めて抽象的かつあいまいであり、はたして同証人の方へ飛んできた石が同被告人が投げたものであるかどうか確認できないばかりでなく、また同証人が投げている現場を目撃したという石についても、同被告人はどのような態勢で右投石行為に及んだものか、その石はどの方向へ飛びどこまで届いたものか、右投石が同証人ら警察官にいかなる影響を及ぼしたものか等の具体的な点については、同証人はそれ以上なんら述べるところがない。そうである以上、右証言のみによつて同被告人の投石行為を認めるについては、なお合理的な疑いを容れるものと言わざるを得ず、その他記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人の原判示投石行為は、これを認めるに由ない。

はたしてしからば、原判決が、その挙示する証拠により、たやすく同被告人の原判示投石行為を認めたことは、事実の認定を誤つたものであり、右事実誤認の瑕疵は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

2 騒擾罪の成否について

原判決は、「集団員を皇居外苑広場から排除する目的で楠公銅像島に向かつて前進した警官隊のうち、第三方面予備隊員巡査伊藤昭也ら一団の警察官が、分室建物裏手へ進み、付近集団員などの排除等に当つていた際、被告人木村は、すでに人影もまばらになつていた日比谷土堤角に近い東日比谷土堤下付近から、右一団の警察官に対し一回投石した。」と認定し、同被告人の右所為をとらえて騒擾附和随行の罪に当るものと判断している。しかしながら、同被告人について原判示の右投石行為を認め難いことは前述のとおりであるから、右投石行為をとらえて同被告人に騒擾附和随行の罪責を問うことは許されない。つぎに、右投石行為を除いてなお同被告人を右同罪に問う余地があるか否かにつき、さらに考えてみるのに、原判決利用の関係証拠によれば、同被告人が、原判示の頃、原判示東日比谷土堤下付近にいたことは認められるが、記録及び原裁判所が取り調べた証拠によれば、原判示の頃、原判示東日比谷土堤下付近においては、集団員などの大多数が周辺から排除され、すでに人影もまばらな状態になつていたもので、付近にいわゆる騒擾集団と目さるべき集団はなかつたのであるから、同被告人を騒擾附和随行の罪に問うことができないのは当然である。

はたしてしからば、原判決が、同被告人をたやすく騒擾附和随行の罪に問擬したことは、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、原判決のこの点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は理由がある。

よつて刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、被告人両名に対する原判決をそれぞれ破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、各被告事件についてさらに判決する。

第二

一  被告人戸原について

原判決の確定した同被告人の原判示公務執行妨害の所為は、刑法九五条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で同被告人を懲役五月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当と考えるから、同法二五条一項により、本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、原審における当該関係訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但し書に従い、これを同被告人に負担させないこととする。

なお同被告人に対する本件公訴事実中、騒擾助勢の訴因については、すでに前記破棄理由中において説明したとおりであり、結局犯罪の証明がないのであるが、右は原判示公務執行妨害の罪と一罪の関係にあるものとして起訴されたものであるから、特に主文において無罪の言渡はしない。

なお、騒擾助勢の訴因について犯罪の証明がなく無罪となつたからといつて、これと一罪の関係にあるものとして起訴された公務執行妨害の訴因が、ただちに無罪となるものでないことは当然である。

二  被告人木村について

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実についで、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、刑訴法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔一八〕 被告人林恭護関係

第一弁護人の控訴趣意中投石並びに傷害の点に関する事実誤認の主張について

所論は、被告人林恭護の原判示傷害、公務執行妨害並びに騒擾助勢(祝田橋交差点付近における投石等の事実)の各事実について、同被告人は原判示の祝田橋交差点の日比谷公園側において原判示第四方面予備隊所属の警察官に対し投石した事実はなく、したがつてまた、原判示巡査吉井典男に対し原判示の傷害を与えた事実もないというのである。

しかし、原判決が所論の事実を認定する証拠として引用した所論の原審各証人の証言及び医師執行有友作成の吉井典男に対する診断書によれば、この点に関する同被告人の原判示投石並びに傷害の事実は、優にこれを認定することができるのであり、記録を精査してみても、原判決の右事実の認定に誤認を疑うべきかどは認められない。所論は原審の採用した原審証人吉井典男、同宮崎浩、同大竹忠男の各証言の信憑性を攻撃するにすぎないものであつて、とうてい理由がない。

進んで、職権をもつて、原判示公務執行妨害罪についての原判決の当否について検討してみるのに、原判決は、原判示巡査吉井典男の執行していた公務の内容を判示するについて、「第四方面予備隊長西原弘之の率いる同予備隊が桜田土堤や祝田橋上の集団員を排除して皇居外苑広場外に出て云々」と記載し、原判決総論認定の事実を引用したうえ、「右状況の間、同被告人は原判示の投石行為に及び、そのうち一個を同予備隊第一中隊員巡査吉井典男の鼻部に命中させ、因つて同巡査に対し、その鼻頭部に原判示の傷害を負わせ、同巡査の職務の継続を不能にさせた。」というだけであつて、当時右巡査吉井典男がいかなる公務を執行していたかについて、直接これを判示するところがなく、また原判決総論認定の当該部分の事実の摘示をこの部分の事実摘示と対照して読んでみても、ついに原判決の摘示するところをもつてしては、右公務の内容を知ることができない。してみれば、原判決には、この点において、同被告人に対する罪となるべき事実を判示するについて、理由不備の違法があるものというべく、原判決はこの点において破棄を免れないものというべきである。

第二同、本件において騒擾と目すべき事態はなかつた旨の論旨について

そこで所論に鑑み、原判決のこの点に関する判断の当否について検討してみるのに、原判決は、同被告人が、原判示の状況のもとにおいて、祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた集団員などの前の方に位置して、当時右祝田橋交差点の祝田橋たもと付近に集結していた隊長西原弘之の率いる第四方面予備隊員に対し、数回投石した行為をとらえて、騒擾助勢の罪に当るものと判断したことは、原判決に徴し明らかなところであり、同被告人が原判決にいう騒擾に関与したという行為は、これに尽きるのである。そして、同被告人が皇居外苑広場内における原判示の警官隊と各集団員との接触乱闘に直接関与したことは、原判決の認定判示しないところであるから、同被告人が原判示皇居外苑広場内の事態につき責任を負うためには、まずもつて、同被告人を含めて当時祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた原判示の集団員と、前記皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘に及んだ原判示の各集団員とが、すでに〔序〕の第二において説明したとおり、集団としての同一性が認められる場合でなければならない。しかるに、原判決は、同被告人を含めて祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた群衆は、警察官に排除されたりして皇居外苑広場から出て来た集団員や状況見物の一般人であるというだけであつて、右警察官に排除されたりして同広場から出て来た集団員というのが、はたして同広場内における警官隊との接触乱闘に関与した原判示の各集団員と同一であるかどうかについて語るところがなく、当時警官隊によつて同広場から排除され祝田橋から出て来た者の中には、右警官隊との接触乱闘に関与しなかつた大勢のデモ参加者及び見物人を含んでいたことは、原判決が総論において認定判示した事実自体から明らかであり、原判決が引用したすべての証拠及び記録に徴し、〔序〕の第二において述べたところにしたがつて、前記祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた同被告人を含む原判示の集団員と皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘した原判示の各集団員とが集団としての同一性を有していたか否かについて検討してみるのに、その同一性を確認するに足りる資料はない。してみれば、皇居外苑広場内において原判示各集団員のした行為が騒擾罪を構成すると否とにかかわらず、同被告人が右皇居外苑広場内において原判示各集団員のした行為について罪責を問われるいわれはない。

なお前記祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた同被告人を含む原判示の集団員と同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の行為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

つぎに、原判示の祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた同被告人を含む原判示の集団員が、刑法一〇六条にいわゆる多衆に当るかどうか、また同被告人のした原判示投石行為を含めその集団員のした投石等の暴行、脅迫の程度が、公共の静謐を害するに足りる程度のものであつたかどうかについて検討してみるのに、原判決(総論(二七二))はこの点について、「祝田橋交差点に近い日比谷公園内植込地帯や、これに接する歩道上の祝田橋交差点に近い部分には、日比谷公園内に逃げ込んだ者を含めて数百名の集団員がいて、これら集団員などの中には、都電軌道上あたりまで出て来たりした第四方面予備隊員らに対し、石、コンクリート破片等を投げつける者や、『人民広場へ』『警官隊は帰れ』『やつてしまえ』との旨や、『馬鹿野郎』などと叫ぶ者があつた。」というだけであつて、右の暴行、脅迫に及んだ者が、はたしてどの位の人数であつたものか、あるいはその暴行、脅迫の行為に出なかつた者も、それらの行為を認識認容し、これに加担する意思をもつて前記祝田橋交差点の日比谷公園側に集結していたものかどうかについても、判示するところがない。そして、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、右の点については、これを明確にするに足りる証拠はない。この点について、原審証人西原弘之(昭和三二年四月一七日原審公判期日におけるもの)、同高原篤の各証言によれば、当時祝田橋交差点付近で第四方面予備隊員に投石していた者は数千名いたことになつているが、この点に関する同証人らの証言は、原判決も、その摘示事実自体に徴し明らかなように、これを措信していないところである。つぎにまた、前記証人西原弘之の証言によれば、当日の警備活動に際し、第四方面予備隊においては、約一〇六名の警察官が傷害を蒙つた事実が認められるのであるが、その負傷者の数は、当日の同予備隊の警備活動全般を通じてのものであつて、祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた集団員のした原判示暴行により、はたしてどの程度警官隊側に被害を生じたものであるかについても、これを確認するに足りる証拠はない。してみれば、原判示の祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた原判示集団員が、はたして刑法一〇六条にいう多衆に当るものかどうか、そしてまた、同被告人のした原判示投石行為を含めてそれらの集団員のした原判示の暴行、脅迫が、公共の静謐を害するに足りる程度のものであつたかどうかについても、これを判断するに足りる十分な資料を欠くものというべく、同被告人のした原判示投石の行為を目して、たやすく騒擾助勢の罪に当るものと断定することはできない。

つぎにまた、同被告人を含む集団員が、右祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつて祝田橋たもと付近に集結した第四方面予備隊と対向した後、やがて祝田橋交差点、日比谷交差点間の日比谷濠側及び日比谷公園側各車道上において、集団員による駐車中の自動車に対する転覆、放火等の事態を見るにいたつたことは、原判決の認定判示するところであり、この事実は原判決引用の関係証拠により認定できるところであるが、同被告人がこれらの集団員に加担していたとか、あるいは、右自動車に対する転覆、放火等の行為を認識予見して、これらの行為者に暴行の意思を引き継がせる意図をもつて本件投石行為に及んだものであるとかの事実については、原判決もこれを認定していないばかりでなく、記録上これを認めるに足りる証拠もない。

してみれば原判決が、同被告人のした原判示投石行為をとらえて、たやすく騒擾助勢の罪に問擬したことは、法令の解釈適用を誤つたか、若しくは事実を誤認した瑕疵があるものというべく、原判決のこの点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八〇条、三八二条、三七八条四号に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

当裁判所の認定した同被告人に対する公務執行妨害、傷害罪の犯罪事実及び証拠の標目は、原判示第二の二の公務執行妨害、傷害の事実について、第四方面予備隊第一中隊員巡査吉井典男の職務行為として、「当時集団員のなかから、祝田橋たもと付近に集結した第四方面予備隊の警察官に対し、投石等の行為に及ぶ者があり、警察官の身体に危険を生ずる状態であつたから、当時の警察官等職務執行法五条の定めるところによりこれを制止すべく待機中の」という文言を「同予備隊第一中隊員巡査吉井典男」とある前に追加するほか、原判決の判示するところと同一であるから、ここにこれを引用する。

右同被告人の所為中公務執行妨害の点は刑法九五条一項に、同傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に該当する場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い傷害罪につき定めた懲役刑で処断することとし、その所定刑期範囲内で、同被告人を懲役六月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当と考えるから、同法二五条一項により、本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、原審における当該関係訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但し書に従い、これを同被告人に負担させないこととする。

なお、本件公訴事実中騒擾助勢の訴因については、有罪と断ずるに足りる証拠がないのであるが、右は当裁判所の認定した公務執行妨害、傷害の罪と一罪の関係にあるものとして起訴されたものであるから、特に主文において無罪の言渡はしない。

なお、騒擾助勢の訴因について犯罪の証明がなく無罪となつたからといつて、これと一罪の関係にあるものとして起訴された公務執行妨害、傷害の訴因が、ただちに無罪となるものでないことは当然である。

〔一九〕 被告人鵜野恰平関係

第一弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原判決はその判示する被告人鵜野恰平の投石行為を認定するにあたり、なんらの補強証拠のないまま、同被告人の自白だけにたよつて同被告人に有罪の言渡をしたが、右は憲法三八条三項、刑訴法三一九条二項に違反し、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反に当ると主張する。

そこで検討するのに、原判決の挙示する証拠のうち、同被告人が原判示の日時場所において、原判示の第四方面予備隊所属の警察官に向かつて所持の小石数個を連続して投げつけた事実を直接に証明するものが、同被告人の自白(昭和二七年五月一一日付、同月一八日付の各検察官調書と昭和三六年一一月四日の原審公判期日における供述)を措いて他にないことは、所論のとおりである。しかしながら、憲法三八条三項、刑訴法三一九条二項が要求する自白の補強証拠は、必ずしも自白にかかる犯罪組成事実の全部にわたつてもれなくこれを裏付けるものでなければならぬことはなく、自白と相まつて自白にかかる事実の真実性を保障し得るものであれば足りると解すべきところ、原判決は、同被告人の前記自白にかかる投石行為は、「本件当日午後四時過頃、第四方面予備隊が皇居外苑広場内から桜田土堤及び祝田橋上の集団員などを排除して祝田橋交差点の祝田橋たもと付近に集結を始めた頃から、同予備隊が日比谷公園ないし日比谷交差点方向へ前進を始めるまでの時期の間、おりから祝田橋交差点の日比谷公園側角付近から同予備隊に向かつて投石する者がある状況下」で行なわれたものであると判示したうえ、この点について原審が総論において適法に認定した事実(原判決総論(二七二))を証拠に挙示引用しているのであり、右引用の証拠は、同被告人の前記自白と相まつて、自白にかかる同被告人の原判示行為の真実性を保障するに十分と認められるから、同被告人の自白に補強証拠がないとする論旨は理由がない。

第二同、本件において騒擾と目すべき事態はなかつた旨の論旨について

所論に鑑み、原判決のこの点に関する判断の当否について検討してみるのに、原判決が、同被告人が原判示の状況下、祝田橋交差点の日比谷公園側角付近から、第四方面予備隊所属の警察官の方に向かい、持つていた一つかみの小石数個を連続して投げつけた行為をとらえて騒擾助勢の罪にあたるものと判断したことは、原判決に徴して明らかであり、同被告人が原判決にいう騒擾に関与したという行為はこれに尽きる。そして、同被告人が皇居外苑広場内における原判示の警官隊と各集団員との接触乱闘に直接関与したことは、原判決の認定判示しないところであるから、同被告人が原判示皇居外苑広場内の事態につき責任を負うためには、まずもつて、同被告人を含めて当時祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた原判決の集団員と、前記皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘に及んだ原判示の各集団員とが、すでに〔序〕の第二において説明したとおり、集団としての同一性が認められる場合でなければならない。しかるに、原判決は、同被告人を含めて当時祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた群衆は、警察官に排除されたりして皇居外苑広場から出て来た集団員や状況見物の一般人であるというだけであつて、右警察官に排除されたりして同広場から出て来た集団員というのが、はたして同広場内における警官隊との接触乱闘に関与した原判示の各集団員と同一であるかどうかについて原判決は語るところがなく、当時警官隊によつて同広場から排除され祝田橋から出て来た者の中には、右警官隊との接触乱闘に関与しなかつた大勢のデモ参加者及び見物人を含んでいたことは、原判決が総論において認定判示した事実自体から明らかであり、原判決が引用したすべての証拠及び記録に徴し、〔序〕の第二において述べたところにしたがつて、前記祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた同被告人を含む原判示の集団員と皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘した原判示の各集団員とが集団としての同一性を有していたか否かについて検討してみるのに、その同一性を確認するに足りる資料はない。してみれば、皇居外苑広場内において原判示各集団員のした行為が騒擾罪を構成すると否とにかかわらず、同被告人が右皇居外苑広場内において原判示各集団員のした行為について罪責を問われるいわれはない。

なお前記祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた同被告人を含む原判示の集団員と同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

つぎに、原判示の同被告人投石の頃、祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた同被告人を含む原判示の集団員が、刑法一〇六条にいわゆる多衆に当るかどうか、また同被告人のした原判示投石行為を含めてその集団員のした投石等の暴行、脅迫の程度が、公共の静謐を害するに足りる程度のものであつたかどうかについては、当裁判所の判断は、前記〔一八〕の被告人林恭護に対する項で示したところと同一であり、結局原判決総論判示の祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつていた集団員がはたして刑法同条にいう多衆にあたるかどうか、また同被告人のした原判示投石行為を含めそれらの集団員のした原判示の暴行、脅迫が、公共の静謐を害するに足りる程度のものであつたかどうかについても、これを判断するに足りる十分な資料を欠くものというべく、同被告人のした原判示投石の行為を目して、たやすく騒擾助勢の罪に当るものと断定することはできない。

さらにまた、同被告人を含む集団員が、祝田橋交差点の日比谷公園側に群がつて、祝田橋たもと付近に集結した第四方面予備隊と対向した後、やがて祝田橋交差点、日比谷交差点間の日比谷濠側及び日比谷公園側各車道上において、集団員による駐車中の自動車に対する転覆、放火等の事態をみるに至つたことは、原判決総論の認定判示するところであり、この事実は原判決引用の関係証拠により認定できるところであるが、同被告人がこれらの集団員に加担していたとか、あるいは右自動車に対する転覆、放火等の行為を認識予見して、これらの行為者に暴行の意思を引き継がせる意図をもつて本件投石行為に及んだものであるとかの事実については、原判決もこれを認定していないばかりでなく、記録上これを認めるに足りる証拠もない。

してみれば、原判決が、同被告人のした原判示投石行為をとらえて、たやすく騒擾助勢の罪に問擬したことは、法令の解釈適用を誤つたか、若しくは事実を誤認した瑕疵があるものというべく、原判決のこの点の瑕疵は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八〇条、三八二条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないから、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二〇〕 被告人大塚泰次郎関係

弁護人の控訴趣意について

所論は、原判決の事実誤認を主張するものであるが、その要旨は、原判決は、被告人大塚泰次郎が、原判示状況に際し、日比谷公園側から祝田橋交差点の電車軌道上に棒を振り上げたりして押し出し原判示の祝田橋たもと付近の警察官や日比谷濠端寄りを進む警察官に向かつて石などを投げたりする集団員の群れの先頭部に立ち、棍棒を携え警察官に立ち向かう構えを示して押し出したと認定しているが、原判決の挙示する証拠、特に同被告人の行為を認定するについて決め手となる原審証人山崎計雄の証言、及び東京地裁昭和三四年証第一五九〇号の内三〇四号の写真によるも、同被告人の原判示所為を認定することは困難であり、原判決はまずこの点において事実を誤認しているというのである。

そこで、所論に鑑み、原判決が同被告人の行為を認定するについて引用した証拠並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみるのに、原判決の引用する原審証人河井秋源、同平野庫次郎の各証言は、東京地裁昭和三四年証第一五九〇号の内三〇四号の前記写真一葉に写し出された人物(写真向かつてやや左前面中央の電車軌条敷石から踏み出し棍棒を右手に持つた男)が同被告人に相違ない旨の同一性の確認に関するものであり、原審証人山崎計雄の前記証言は、右写真の撮影状況を述べたほか、当時日比谷公園側から祝田橋交差点の電車軌道上に集結した群集の行動や、原判示の集団員の鎮圧排除に向かつた警官隊の行動を語つているが、右写真に写し出された群衆は祝田橋外に排除されたデモ隊員の状況を写したものであるというだけで、この群衆がいかなる行動に及んでいるときのものであるか、そしてまたいかなる行動に移ろうとしている状況を撮影したものであるかについては、触れるところがない。そして、右山崎計雄の証言と前記写真とを対照すれば、僅かに写真向かつて左側の左方に向かつている多数の者が、原判示の日比谷濠端で白色側車付自動二輪車が集団員によつて放火された際、その集団員の鎮圧排除に向かつた原判示警察官の方に向かつて押し出してきたという原判示の集団員に属することは推認できるが、この写真をもつてしては、写真向かつてやや左前面中央の同被告人が、この集団員といかなる関係にあつて、いかなる行動をし、さらにいかなる行動に及ぼうとしているものであるかはもちろん、その余の写真に写し出された多数の者が、同被告人といかなる関係にあり、そしてまた、同被告人を含む右多数の者が、いかなる行動に及んでおり、さらにいかなる行動に出ようとしているものであるかは、とうていこれを知ることができない。そして、この事実を確認できる資料は、原裁判所の取り調べたすべての証拠を検討してみても、これを見出すことができない。

してみれば、原判決が前記の証拠により、たやすく、同被告人が原判示の集団員の群れの先頭部に立ち、棍棒を携え警察官に立ち向かう構えを示しその方向に押し出したとして、同被告人に騒擾助勢の罪責を帰せしめたことは、原判示の事態が騒擾罪を構成するかどうかを問わず、まず同被告人の行為に関する原判決の事実の認定に、事実の誤認を疑うべきかどがあるものといわなければならない。もつとも、右写真に写し出された同被告人及びその周囲の多数の者が、皇居外苑広場に入つた後警察官に排除されて祝田橋交差点を経て同交差点電車軌道上に群がつた者であることは、前記原審証人山崎計雄の証言により認められるところであるが、同被告人を含めこれらの者が、皇居外苑広場内及び祝田橋にかけて警官隊と乱闘した原判示各集団員と同一集団に属することは確認できないばかりか、右写真に写し出された同被告人及びその周囲の多数の者が、当時日比谷濠端で原判示の白色側車付自動二輪車を焼き払う行動に出た原判示の集団員の行為を認容し、この集団員と一体となつて、その集団員の鎮圧排除に向かつた原判示の警察官の方に向かつて押し出したものであることについても、これを確認するに由ないものであるから、同被告人に対しては、右皇居外苑広場内から祝田橋にかけての事態はもちろん、前記自動二輪車放火の挙に出た集団員の行為についても、罪責を問うことは許されないところである。

以上の次第であるから、同被告人について原判示の行為を認定し、これを騒擾助勢の罪に問擬した原判決は、事実を誤認したものというべく、この点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二一〕 被告人村野陽太郎関係

弁護人並びに被告人村野陽太郎の控訴趣意中事実誤認の主張について

所論はいずれも、原判決が、「同被告人は、皇居外苑広場で原判示集団員と警察官とが衝突していることを察知し、これらの集団員に自ら加担し、かつ、原判示全改良労働組合員などをしてこれに加担させる意図のもとに、少なくとも二〇名位の同組合員などを集めて、自らその先頭に立ち、付近の組合員らに対して『人民広場へ行こう』と呼びかけたりして、日比谷公園桜門から同公園を出て、右全改良労働組合員らとともに、原判示集団員の方に向かい同公園側を前進して行つた。」との、原判示事実を認定したことについて、同被告人は、右の如く全改良労働組合員など二〇名位を集めて、自らその先頭に立つた事実もなく、また、同被告人が、原判示の如く、当時皇居外苑広場で原判示集団員と警察官とが衝突していることを察知していたという事実もなく、さらにまた、同被告人が、右全改良労働組合員などをして原判示の集団員に加担させようと意図した事実もないといい、これらの点について原判決の事実誤認を主張する(所論訴訟手続の法令違反の主張は、右事実誤認の主張に帰する。)。

しかし、原判決引用の証拠によれば、右の原判示事実は優に認定できるところであつて、記録を精査検討してみても、原判決がその挙示引用の証拠により右事実を認定したことに、所論の如く事実の誤認を疑うべきかどは認められない。所論は、同被告人とともに日比谷公園桜門を出て、同公園側を前進して行つた全改良労働組合員などは、祝田橋で全員ばらばらになつて逃げ帰つているのであるから、同被告人が、原判示の如く、これら全改良労働組合員などをして、皇居外苑広場内で警察官と衝突している原判示集団員に加担させる意図のなかつたことは明らかであるというが、所論の如く、同被告人と行をともにした全改良労働組合員らが、祝田橋でばらばらになつて逃げ帰つたからといつて、毫も同被告人の原判示加担の意図を否定する根拠とすることはできない。所論は結局独自の主張であつて採るを得ない。論旨は理由がない。

しかし、さらに進んで、職権をもつて原判決の当否を検討してみると、原判決は、同被告人の原判示所為を騒擾助勢の罪に問擬するについて、「多衆集合して、現に、他に対して騒擾をもつて論ぜられるべき暴行と脅迫をなしつつある際、これを察知ないしは認識して、相当多数の者を前示多衆に接近せしめるような行為は、騒擾の勢を増進せしめる有力な行為にほかならぬものであつて、このような行為に出た者は、自ら暴行、脅迫をしないでも、騒擾罪における率先助勢の責を負うべきである。」との見解に依拠している。なるほど、騒擾助勢の罪が成立するについては、自ら暴行、脅迫の行為に出ることを必ずしも必要としないことは、原判決の説示するとおりであるが、同罪が成立するためには、多衆集合して暴行、脅迫をなしつつある際、これを察知ないしは認識して、これに加担する意思があれば足りるわけのものでなく、客観的に、右の暴行、脅迫をなしつつある多衆の一員として、集合した人に率先して騒擾の勢いを増大する行為をするものでなければならない。しかるに、原判決の認定した同被告人の本件所為は、同被告人が、日比谷公園桜門を出た後、原判示の如く警察官に対抗する集団員のいることを認識しつつ、原判示の意図をもつて、全改良労働組合員など二〇名位とともに、これら集団員の方に向かい同公園側を前進していつたというだけのことであつて、他に特段の事実を示すことなく、ただこれだけの事実をもつて、同被告人が現に警察官に対抗する原判示集団員に加わり、これら集団員に率先して騒擾の勢いを増大する行為をしたものとは、とうてい考えられない。してみれば、原判決が、他に特段の事実を示すことなく、ただちに、同被告人の原判示所為を騒擾助勢の罪に問擬したことは、原判示の警察官に対抗する集団員の行為を騒擾罪としてとらえるかどうかにかかわりなく、すでに、この点において、原判決には理由不備の違法があるものというべく、同被告人に対する原判決は、その余の論旨に対する判断をまつまでもなく、失当として破棄を免れない。

よつて、刑訴法三九七条、三七八条四号に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

同被告人に対する本件公訴事実は、同被告人に対する起訴状記載の公訴事実に示すとおりであつて、同被告人については、同被告人が原判示の認識(但し、同被告人において、原判示の皇居外苑広場における警官隊と集団員との衝突抗争の事実については、これを未必的にせよ認識していたことは認められるが、原判示祝田橋交差点付近において、右皇居外苑広場から排除された集団員らが、警官隊に対し暴行、脅迫を行なつていることを認識していたかどうかについては、これを確認するに足りる証拠がない。)のもとに、右皇居外苑広場内の集団員に加担する意図をもつて、原判示全改良労働組合員らに対し、「人民広場に行こう」と呼びかけたりして、右全改良労働組合員ら二〇名位とともに、日比谷公園桜門を出て、皇居外苑広場の方に向かい同公園側を前進して行つた事実は、原判決の挙示引用する証拠により認めることができる。しかし、さらに進んで、同被告人において、これら全改良労働組合員らとともに、前記の如く皇居外苑広場等において警官隊に抵抗し暴行、脅迫に及んでいる原判示の各集団員に加担し、これらの集団の一員と認めるに足りる具体的行為があつたかどうかについて検討してみると、本件において同被告人の行為として証拠上認定できるところは、前記のとおりでそれ以上に出ないものであり、同被告人ら全改良労働組合員らと右皇居外苑広場の各集団員とが相呼応した事実の認められないことはもとよりとして(同被告人が祝田橋交差点付近において警官隊に対し暴行、脅迫を働いている集団員の存在を認識していたとの証拠に欠けることは、すでにみたとおりである。)、原審証人谷信輝の証言によれば、前記の如く、日比谷公園桜門を出て皇居外苑広場に向かつた同被告人及び全改良労働組合員らは、祝田橋入口において隊列を組んだ警察官が進出しているのを目撃し、恐ろしくなり四散して逃げ出している実情であり、記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、他に、同被告人において、原判示全改良労働組合員らとともに、皇居外苑広場において警官隊に抵抗し暴行、脅迫に及んでいる原判示の各集団員に加担し、この集団の一員となる行為があつたことを認めるに足りる証拠はない。のみならず、同被告人が皇居外苑広場内から祝田橋上にかけての原判示各集団員の暴行、脅迫に協力したと認めるに足りる資料もない。

してみれば、同被告人に対する本件公訴事実は、皇居外苑広場内においてした原判示各集団員の行為が騒擾に当ると否とを問わず、すでにこの点において犯罪の証明を欠くものといわなければならないから、同被告人に対しては、同法三三六条に則り、無罪の言渡をする。

〔二二〕 被告人山本朗関係

原判決は、被告人山本朗に対し、騒擾助勢並びに公務執行妨害の罪をもつて処断しているので、原判決の認定判示する事実が、その判示自体に徴し、はたして右各罪の成立要件を充たしているかどうかについて、まず、職権をもつて検討してみる。

さて、原判決は、まず冒頭に、原判示騒擾に際し、祝田橋、日比谷両交差点間の日比谷濠側緩行車道上に駐車中の乗用自動車三台位が、原判示集団員によつてつぎつぎと転覆、放火、焼燬され、当時日比谷交差点西側の日比谷濠側で交通制限を実施していた丸の内中隊第一小隊第二分隊長菅野忠雄らが、右犯行を現認して、これを制止したり、その犯人を逮捕したりするため現場に駆けつけ、続いて堀口中隊長らも、有楽町巡査派出所の方から同様その現場に駆けつけ、付近の集団員などを排除し、また第四方面予備隊員が、祝田橋方向から集団員などを排除しながら前進してきたこと、前示菅野忠雄らが自動車転覆ないし放火の現場に駆けつけるのを認めた右犯人などは、おおむね車道を日比谷公園の方へ逃げ出し、右菅野らは、その犯人を逮捕する目的でこれを追いかけたこと等の事実を認定したうえ、同被告人は、右自動車の転覆、放火、炎上の状況を見ているうち、前記の菅野忠雄らが自動車転覆、放火の犯人を追いかけているという状況を目撃し、かねて警察官に対し不快の感情を持つており、また、当日、皇居外苑広場で行なわれていた警察部隊の集団員に対する制止、解散の状況等を目撃したりしたこともあつて、菅野忠雄の前示犯行の制止、犯人逮捕の行動を妨害しようとの意図から、付近に落ちていた長さ数十センチメートルのプラカードの柄か枠を拾い持ち、菅野のあとを追いかけ、原判示電車軌道の上で、菅野の頭のあたりを殴ろうとして右柄か枠を振り上げたが、その場によろめいたため、現実に殴打するにいたらないまま、他の警察官に逮捕されたとの事実を認定判示し、同被告人の判示所為は、騒擾助勢並びに公務執行妨害の罪に当るとしているのである。

ところで、(一)騒擾罪が成立するためには、多衆が集合して暴行、脅迫を行なうことを要件とし、その暴行、脅迫を行なう者においては、この多衆に加担してその行為を行なうことの意思を必要とするものであることは、もちろんである。しかるに、原判決は、前記のとおり、同被告人が、菅野忠雄の犯行の制止、犯人逮捕の行動を妨害しようとの意図から、原判示の行為に出たと判示するのみで、はたして、同被告人が多衆に加担して行なう意思で原判示の行為に及んだものであるかどうかについては、原判決の判示するところをもつてしては、ついにこれを知ることができない。もつとも、原判決は、当日皇居外苑広場から日比谷交差点にかけて騒擾の事態が発生し、原判示の自動車の転覆、放火、焼燬の行為も、集団員による騒擾行為として認定判示しているのであるが、同被告人が原判示の騒擾行為を行なつた原判示の集団員に属していたとの事実は、原判決の認定しないところであるばかりでなく、同被告人が原判示の如く集団員の行なつている自動車の転覆、放火、炎上の状況を目撃していたとしても、そのことからただちに、同被告人がこれら集団員のした騒擾行為を引き継ぐ意思、すなわち、これら集団員に加担して行なう意思で本件行為に及んだものとすることのできないことは当然である。原判決はこの点についてもなんら判示するところがない。つぎに、原判決は、原判示菅野忠雄が前記自動車の転覆、放火等の犯人を逮捕するため追いかけた際、原判示電車軌道あたりで、棒などを持つ者をまじえた数名の集団員が菅野に対し殴りかかつてきたとの事実を認定しているが、原判決の判示する事実を読んだだけでは、原判決にいう右集団員とは、はたして原判示事実のうちいかなる行為をした集団員を指称するものなのか、そしてまた、同被告人が右集団員といかなる関係にあつたものか、すなわち、同被告人が右集団員の行為を認識認容し、これに加担して行なう意思をもつて本件犯行に及んだものであるのか、以上の事実はすべてこれを明らかにすることができないところである。さらにまた、同被告人が、原判示の如く、菅野忠雄らが原判示集団員による自動車の転覆、放火等の行為を制止しその犯人を逮捕するのを妨害しようとの意図から本件行為に及んだからといつて、特に特段の事実の判示されない本件において、同被告人が右集団員の暴行行為を承継し、これに加担して行なう意思をもつて本件行為をしたものであるとすることのできないことも当然である。

以上の次第であつて、原判決の判示事実をもつてしては、同被告人が原判示集団員に加担して行なう意思をもつて本件行為に及んだとの騒擾罪の成立に必要な要件を示しているものとは、とうてい考えられない。原判決は、同被告人に対する騒擾助勢の罪に当る犯罪事実を摘示するについて、理由不備の違法があるものというべきである。

(二) つぎに、原判決は、同被告人が原判示の意図から、付近に落ちていた長さ数十センチメートルのプラカードの柄か枠を拾い持ち、菅野忠雄のあとを追いかけ、原判示電車軌道の上で、同人の頭のあたりを殴ろうとして右の柄か枠を振り上げたが、原判示の事情から、その場によろめいたため、殴りかかつただけで現実に殴打するに至らなかつたとの事実を、公務執行妨害罪に問擬していることは、前記のとおりである。ところで、公務執行妨害罪にいう暴行は、公務員に対する不法な実力の行使をいうものであるが、原判決が被告人の菅野忠雄に対する暴行として判示するところは、右の如く、同人の後を追いかけ、その頭のあたりを殴ろうとして原判示のプラカードの柄か枠を振り上げたが、その場によろめいたため、菅野に殴りかかつただけで現実に殴打するに至らなかつたというのであつて、同被告人が右プラカードの柄か枠を菅野忠雄の身辺に振りおろしたとの事実は、原判決の判示しないところであり、原判決のいうように、同被告人が菅野忠雄を追いかけ、同人の頭のあたりを殴ろうとして右の柄か枠を振り上げたというだけでは、他に特段の事情の判示されない以上、この行為を目して、公務執行妨害罪にいわゆる暴行に当る行為と認定することは困難である。してみれば、原判決は、この点においてまた、公務執行妨害罪の罪となるべき事実、すなわちその暴行に当る行為を判示するについて備わらないものがあるといわなければならない。

以上の次第であつて、原判決には理由不備の違法があるので、控訴趣意に対する判断をまつまでもなく、とうてい破棄を免れない。

よつて、刑訴法三九七条、三七八条四号に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件公訴事実中騒擾助勢の点については、記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、前示破棄理由の点で説明した、同被告人が原判示騒擾の主体たる集団員に加担して行なう意思で本件所為に出たものであるとの事実については、これを認定するに足りる証拠がないのである。

つぎに、その公務執行妨害の点については、同被告人の昭和二七年五月二日付司法警察員に対する供述調書、同年五月三日付検察官に対する供述調書、同年五月一五日付検察事務官に対する供述調書(なお、これらの供述調書中の同被告人の当該係官に対する供述が任意になされたものでないことを疑うべき事情は認められない。)等によれば、同被告人が、原判示の意図のもとに、菅野忠雄を追いかけ、手にしていた長さ一尺位のプラカードの柄か枠で、同人の頭のあたりを殴ろうとして原判示のとおりこれを振り上げたこと、そのとたんに、原判示の如く、同被告人が履いていた靴の鋲が電車軌条にふれて足をすべらせ、重心を失いその場によろめいたため、現実に殴打するに至らなかつたとの事実は、これを認定できる。右認定に反する原審証人後藤軍吉、同久保田義一の各証言はいずれもこれを措信しない。ところで、右の証拠から認定できるところは、同被告人が、前記長さ一尺位のプラカードの柄か枠で、菅野忠雄の頭のあたりを殴ろうとしてこれを振り上げたところ、そのとたん、その場によろめいて殴打するにいたらなかつたということだけであり、右の事実関係において、はたして同被告人が菅野忠雄の身体に対し不法な有形力を行使したかどうか、すなわち、同被告人が用いたプラカードの柄か枠が、菅野忠雄の身体に当らなかつたとしても、少なくともそれは同人の身体に向け振り下ろされ、その身辺をかすめたものであつたかどうかの点については、これを確認するに由ないものというべく、当裁判所の措信しない前記後藤軍吉、久保田義一の各証言を措いてこの点について確証のない本件では、同被告人の右行為を目して、たやすく公務執行妨害罪にいう暴行に当るものとすることは困難である。

そして、本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し、無罪の言渡をする。

〔二三〕 被告人申熙朝関係

第一弁護人の控訴趣意中、被告人申熙朝に対する本件公訴提起の手続は、当時少年であつた同被告人に対し、少年法所定の保護手続を奪つたままなされた違法なものであり、かつ在日朝鮮人に対する弾圧目的に出た不正な政治的起訴であるのに、原審が右公訴を受理したのは、不法に公訴を受理した違法があるとの論旨については、すでに被告人李成雨に対する前記〔一五〕において判断したと同一の理由により、論旨は採用できない。

第二弁護人並びに被告人申熙朝の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原判決が挙示引用する同被告人の検察官に対する各供述調書、並びに原審証人椿敏夫の証言につき、右各検察官調書には任意性がなく、また右証言は違法証拠として排除されるべきものであつて、いずれも証拠能力がないのに、原審がこれを証拠として採用し原判示事実を認定したのは、訴訟手続の法令違反をおかしたものであるというのであるが、所論に鑑み記録を精査検討してみても、原審が所論の各証拠に証拠能力を認めてこれを証拠に採用したことにつき、所論の如き瑕疵があるものとは未だ認められないから、論旨は理由がない。

第三同、事実誤認の主張について

一  所論はまず、同被告人が、原判示のフオード・セダン一-五〇四一号ほか一台の乗用車を、原判示のとおり、数人ないし一〇人前後の者とともに転覆させた事実はないと主張する。

そこで記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみるのに、原判決がその挙示引用する証拠によつて、右原判示事実中フオード・セダン一-五〇四一号乗用車一台を転覆させたとの事実を認定した措置は、十分首肯できるものというべく、記録上原判決の右事実の認定について誤認を疑うべきかどは認められない。しかしながら、原判示事実中その余の乗用車一台に関しては、原判決もこれを特定していないばかりでなく、原判決引用の原審証人椿敏夫の証言によるも、未だ右その余の乗用車一台に関する同被告人の原判示所為を確認するに足りないものというべきである。そして、原判決の挙示する同被告人の検察官に対する各供述調書(添付図面を含む。)には、同被告人は、まず祝田橋交差点と日比谷公園桜門間の同公園側車道上に駐車中の乗用車一台を、ついで右桜門付近の右車道上に駐車中の乗用車一台(原判決挙示の各証拠を総合すれば、この車がフオード・セダン一-五〇四一号にあたるものと認められる。)を、相ついで転覆した旨の供述記載があるが、同被告人が転覆に加担したとして原判決が認定した乗用車は、その引用する原判決総論認定の、右桜門と日比谷交差点間の同公園側歩道北側緩行車道に駐車してあつて原判示集団員が転覆焼燬させた乗用車四台中のフオード・セダン一-五〇四一号ほか一台というのであつて、同被告人の右供述にかかる祝田橋交差点と右桜門間の乗用車を含むものとは解されないばかりか、右位置に右のような被害乗用車が存在したことは原判決総論もまたこれを認定しないところであり(原判決総論(二六三)、(二八三)参照)、その他記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、右被害乗用車が存在したことを確認するに足りる証拠はないのであるから、右の乗用車転覆に関する同被告人の供述部分は、にわかに信用できないものというべきである。はたしてしからば、原判決が、たやすく原判示フオード・セダン一-五〇四一号以外の乗用車一台について、同被告人の原判示所為を認定したのは、事実を誤認したものというべきであり、右の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかというべく、論旨は結局理由がある。

二  つぎに所論は、本件において騒擾と目すべき事態はなかつた旨を主張するので、この点について検討してみる。

原判決引用の証拠によれば、同被告人が、原判示のとおり、当日南部コースを行進して皇居外苑広場に入り、原判示総論認定の警官隊の排除行動開始後、同広場内で原判示各集団員と警官隊とが接触乱闘している事態の中から同広場外に出たことは、原判決のいうとおり認定できるが、同被告人が前記の如く数人ないし一〇人前後の者とともに前記フオード・セダン一-五〇四一号乗用車(以下本件自動車と略称する。)一台を転覆させる以前に発生したことの証拠上明らかな、皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘に及んだ各集団員、及び祝田橋交差点付近において警官隊に対し暴行、脅迫に及んだ集団員、並びに祝田橋、日比谷両交差点間の日比谷濠側車道に駐車中の自動二輪車、外国人乗用車に対する転覆放火等の行為に出た集団員の中に伍していたとの事実は、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠によるも認められない。もつとも同被告人の昭和二七年五月八日付検察官に対する供述調書には、「祝田橋を渡つて再び日比谷公園の中に逃げ込み、また公園の中から濠端の電車道の方へ出て来て様子を見ると、丁度電車道の公園寄りの車道においてあつた進駐軍の乗用車(これを(1) の自動車と呼ぶ。)をひつくり返して火をつけて燃やしている者があつて、これにならつた労働者風の男五、六名が、その燃えている車の日比谷交差点寄りにあつた乗用車(これを(2) の自動車と呼ぶ。)を倒しかけて、公園の中からのぞいていた私らに対し、『おい、この車をひつくり返すからみな手伝え。』と言つていたので、私はその傍にいた何処かの労働者風の男四、五人とともに、その車の所に行つて、最初の五、六人に加勢してその車を真逆様にひつくり返しました云云」との供述記載があつて、同被告人が本件自動車転覆の行為に出る前、祝田橋、日比谷両交差点間の日比谷公園側歩道北側緩行車道に駐車中の右(1) 及び(2) の各自動車の転覆炎上の事実にも関係していたかのようであるが、右(2) の自動車の転覆に関する同被告人の供述の措信し難いことは前記のとおりであり、また同被告人が本件自動車を転覆させた時期に相接した機会に右(1) の如き転覆炎上した自動車があつたとの事実は、原判決総論も認定しないところであり、その他記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、右の自動車が存在したことを確認するに足りる証拠はないのであるから(原判決総論引用の関係証拠によれば、同総論(二六三)のとおり、祝田橋交差点の日比谷公園側角に近い同公園寄り車道上でダツジ・セダン一-五五一九号自動車一台が転覆炎上した事実が認められるが、右は当日午後三時四四分頃のことであつて、本件自動車の転覆よりかなり前のことと認められる。)、結局同被告人の右(1) の自動車の転覆炎上の点に関する供述も措信し難い。

ところで、同被告人が本件行為に出る前、前記の如く、祝田橋、日比谷両交差点間の日比谷濠側車道においては、駐車中の自動二輪車及び外国人乗用車がつぎつぎに転覆放火され、そのため黒煙が付近一帯に流れ、加えて右公園側歩道やこれに近接する同公園内には多数の人が群がつていて、騒然たる状態にあつたことは、原判決引用の証拠上明認できるところであるが、右外国人乗用車等の転覆放火の行為がはたして何名位の者の所為によるものか、そしてまた、それらの者が人を異にしてその所為に及んだものか、それとも同一の者が反覆してその所為に及んだものであるのか、その行為に及んだ者は証拠上これを確定するに由ないところであり、さらにまた、これら外国人乗用車等の転覆放火の際それらの行為に及んだ者の付近にいた多数の者が、それらの行為を認識認容しこれに加担する意思で同所に集まつていたものであるかどうかも証拠上これを確認することはできないところである。したがつて、これら外国人乗用車等の転覆放火の行為が、はたして刑法一〇六条にいう多衆が集合してしたものといえるかどうかについては、証拠上疑いを容れるものといわざるを得ない。してみれば、前記状態のもとで、前記自動二輪車及び外国人乗用車が転覆放火された後同被告人がしたことの証拠上明らかな本件自動車一台の転覆行為が、騒擾の状態のもとにおいてなされたものということはできないのである。

つぎに、同被告人は、前記の如く数人ないし一〇人前後の者と共同して本件自動車の転覆行為に及んだものであるが、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、同被告人と共同して右行為に出た数人ないし一〇人前後の者が、前記皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘に及んだ各集団員、並びに祝田橋交差点付近において警官隊に対し暴行、脅迫に及んだ集団員、及び外国人乗用車等に対する転覆放火等の行為に及んだ原判示集団員のした右各暴行、脅迫の事実を認識認容し、これを承継し、その各暴行、脅迫の事態を利用する意思が存したものと認められる状況のもとにおいて、本件自動車の転覆行為に出たものと推認するに足りる資料は存しないのであり、結局同人らと右各集団員との間に集団の同一性を認めることはできない。

なお同被告人と共同して右行為に出た数人ないし一〇人前後の者と同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

してみれば、同被告人の本件行為が騒擾助勢の罪に当るか否かは、専ら同被告人が右数人ないし一〇人前後の者とした本件自動車一台の転覆行為それ自体の評価にかかるものというべきところ、右転覆行為を共同してした同被告人を含む数人ないし一〇人前後の者を目して、刑法一〇六条にいわゆる多衆に当るとすることは困難であるといわざるを得ない。

したがつて、同被告人の本件自動車転覆行為を騒擾助勢の罪に問擬した原判決は、事実を誤認したか法令の解釈適用を誤つたものというべく、原判決のこの点の瑕疵は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れず、論旨は結局理由がある。

よつて刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二四〕 被告人吉田稔関係

第一弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、原判決が証拠に引用した保坂六琅の検察官に対する供述調書は、任意性も特信性もないものであるのに、これを証拠として採用した原審の訟訴手続には、法令の違反があるというのである。

しかし、所論に鑑み記録を検討してみるのに、保坂六琅自ら原審公判期日において証人として、同人の検察官に対する供述調書は、当時記憶している事実をそのとおり検察官に対して述べたもので、その供述どおり記載されている旨を証言しており、所論の如く、同人の検察官に対する供述の任意性、特信性を疑うべき事情を認めるに足りる資料はないので、この点の論旨は理由がない。

第二弁護人並びに被告人吉田稔の控訴趣意中事実誤認の主張について

一  所論はまず、同被告人は原判示のプリムス・クラブクーペ一-一七三一号乗用車一台を原判示のとおり一〇人前後の者とともに転覆させた事実はないというのであるが、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみるのに、原判決がその挙示引用の証拠によつて、右原判示事実を認定した措置は十分首肯できるものというべく、記録上原判決の右事実の認定について誤認を疑うべきかどは認められない。この点の論旨は理由がない。

二  つぎに、所論は、本件において騒擾と目すべき事態はなかつたと主張するので、この点について検討してみる。

さて、原判決引用の証拠によれば、当日、同被告人が、原判示中部第二群の集団員に伍して皇居外苑広場内に入り、原判示集団員と警官隊とが桜田濠沿い砂利敷道路等において接触乱闘するにいたつたその前の時点において銀杏台上の島に進んだことは、原判決のいうとおり認定できるが、その後被告人が日比谷交差点付近で本件自動車転覆の行為に出るまでの間、同被告人の行動は証拠上一切不明である。そしてその後、祝田橋、日比谷両交差点間の日比谷濠側車道、及び日比谷交差点、日比谷公園桜門間の同公園側歩道北側緩行車道に駐車中の自動二輪車及び外国人乗用車に対し、原判示集団員による転覆放火等の事態が発生したこと、同被告人の本件自動車転覆の行為が、右日比谷公園側歩道北側緩行車道に駐車中の外国人乗用車に対するものであつたことは、原判決引用の証拠に徴し認定できるところであるが、証拠上明らかな同被告人が本件行為に出る前にそれぞれ発生した前記皇居外苑広場内における警官隊と原判示各集団員との接触乱闘の事態、並びに原判示祝田橋交差点付近における原判示集団員の警官隊に対する暴行、脅迫の事実、及び原判示集団員による外国人乗用車等に対する転覆放火等の事実について、同被告人が右各行為に及んだ当該各集団員の中に伍していたとの事実は、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠によるも認められないところである。

ところで、同被告人が本件行為に出る前、前記の如く、祝田橋、日比谷両交差点間の日比谷濠側車道及び日比谷公園側歩道北側緩行車道においては、駐車中の自動二輪車及び外国人乗用車がつぎつぎに転覆放火され、そのため黒煙が付近一帯に流れ、加えて右公園側歩道やこれに近接する同公園内には多数の人が群がつていて、騒然たる状態にあつたことは、原判決引用の証拠上明認できるところであるが、右外国人乗用車等の転覆放火の行為がはたして何名位の者の所為によるものか、そしてまた、それらの者が人を異にしてその所為に及んだものか、それとも同一の者が反覆してその所為に及んだものであるのか、その行為に及んだ者は証拠上これを確定するに由ないところであり、さらにまた、これら外国人乗用車等の転覆放火の際それらの行為に及んだ者の付近にいた多数の者が、それらの行為を認識認容しこれに加担する意思で同所に集まつていたものであるかどうかも、証拠上これを確認することはできないところである。したがつて、これら外国人乗用車等の転覆放火の行為が、はたして刑法一〇六条にいう多衆が集合してしたものといえるかどうかについては、証拠上疑いを容れるものといわざるを得ない。してみれば、前記状態のもとで、前記自動二輪車及び外国人乗用車が転覆放火された後同被告人がしたことの証拠上明らかな本件自動車一台の転覆行為が、騒擾の状態のもとにおいてなされたものということはできないのである。

つぎに、同被告人は前記の如く一〇人前後の者と共同して本件自動車一台の転覆行為に出たものであるが、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠によるも、同被告人と共同して右行為に出た一〇人前後の者が、前記皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘に及んだ各集団員、並びに祝田橋交差点付近において警官隊に対し暴行、脅迫に及んだ集団員、及び外国人乗用車等に対する転覆放火等の行為に及んだ原判示集団員らのした右各暴行、脅迫の事実を認識認容し、これを承継し、その各暴行、脅迫の事態を利用する意思が存したものと認められる状況のもとにおいて、本件自動車の転覆行為に出たものと確認するに足りる資料は存しないのであり、結局、同人らと右各集団員との間に集団の同一性を認めることはできない。

なお同被告人と共同して右行為に出た一〇人前後の者と同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

してみれば、同被告人のした本件行為が騒擾助勢の罪に当るか否かは、専ら同被告人が右一〇人前後の者とした本件自動車一台の転覆行為それ自体の評価にかかるものというべきところ、右転覆行為を共同してした同被告人を含む一〇人前後の者を目して、刑法一〇六条にいわゆる多衆に当るとすることは困難であるといわざるを得ない。したがつて、同被告人の本件行為を騒擾助勢の罪に問擬した原判決のこの点の事実認定には、事実の誤認を疑うべき瑕疵があるか、若しくは法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、結局論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二五〕 被告人古田宏関係

第一弁護人並びに被告人古田宏の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、本件において、検察官が昭和二七年五月二三日公訴を提起した後、一〇年余を経過した同三七年七月一八日訴因変更の申立をし、原裁判所が右訴因変更を許可したことは、訴訟手続に法令違反があるというのである。

記録を検討してみると、原審において所論の如き訴因変更手続(なお、昭和四〇年五月二一日の同被告人に対する第七回公判期日において、公務執行妨害の訴因並びに同罰条の撤回がなされている。)がとられたことは、論旨に指摘するとおりである。ところで、当初の訴因事実は、「同被告人は、昭和二七年五月一日午後四時四五分頃、日比谷公園桜門付近において、暴徒を解散させつつあつた警視庁警部末松実雄らに対し、石を投げて暴行し、もつて他人に率先してその勢を助けるとともに、同警部らの職務の執行を妨害した。」というのであり、変更後の訴因事実は、右警視庁警部末松実雄らとあるのを、警視庁警察職員からなる制服部隊と変更したにとどまるものであり、両者は、行為の日時、場所、及び同被告人がした投石の行為は同一であるから、もともと公訴事実の同一性の認められる場合であり、特に騒擾助勢の点については(公務執行妨害の訴因は、後で撤回され、審判の対象となつていないことは、前記のとおりである。)、両訴因事実について、同被告人の行為の日時、場所、投石の行為が同一であることはさきにみたとおりであり、異なるところは、その投石の対象が、前者は当時暴徒を解散させつつあつた警視庁警部末松実雄らというのに対し、後者は前同の職務に従事中の警視庁警察職員からなる制服部隊というのであり、昭和二八年九月九日の原審公判期日において陳述された検察官の冒頭陳述書によれば、右末松実雄らとあるのは、同人らを含む警視庁警察職員たる予備隊員からなる制服部隊をいうものであつたことを看取できるのであるから、両者はただその投石の対象となつた警察職員の表示を変更したにすぎなかつたものということができる。してみれば、本件において現になされた訴因変更手続が、公訴提起後一〇年余を経過してなされたとしても、同被告人の防禦権を侵害するものであるとか、実質上公訴時効の制度を蹂躙するものであるとかの非難は当らず、この点の原審の訴訟手続に所論の如き瑕疵が存するものとはとうてい認められない。論旨は理由がない。

第二同、事実誤認の主張について

所論は、(1) まず、同被告人の投石対象となつた警察職員は、その所属部隊や具体的任務も不明であつて、これを特定するに由ないばかりか、同被告人は原判示の如く警察職員に対して投石した事実はなく、原審が原審証人宮内義春の証言を措信した措置は不当であるといい、(2) つぎに、同被告人の投石当時、同被告人の周囲においては騒擾の事態はなかつたものであるという。

まず、所論(1) について検討してみると、原審が被告人高野泰治郎に対する公訴事実を認定するについて、原審証人宮内義春の証言の一部を措信しなかつたことは、同被告人に対する原判決書に徴し明認できるところであるが、右事件と被告人古田宏に対する本件とはもともと別事件であるばかりでなく、右宮内証人の証言内容も、両者につき全然異なる事実に関するものであるから、原審が被告人高野泰次郎に対する公訴事実を認定するにつき、前記の如く、宮内証人の証言の一部を措信しなかつたからといつて、そのことの故に、被告人古田宏に対する本件公訴事実を認定するについて、同証人の証言を措信できないものとするいわれはなく、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討すれば、原判決が、右宮内証言その他原判決の挙示引用する証拠により、同被告人が警察職員に対して投石した原判示事実を認定した措置に、所論の如く事実誤認を疑うべき瑕疵があるものとはとうてい認められない。そしてまた、同被告人の本件投石の対象となつた制服の警察部隊について、その所属や具体的任務を明らかにすることのできないことは、原判決もまた認めているところであるが、同部隊の存在したことについては、原審証人宮内義春、同末松実雄の各証言に徴し疑う余地のないところであり、同警察部隊が原判示の事態に関し原判示桜門付近を行動中のものであつたと認定できることは、原判決に説示するとおりであるから、この点をとらえて、同被告人の本件行為を否定する理由とすることはできない。この点の事実誤認の論旨は理由がない。

つぎに(2) の論旨について検討することにする。さて、同被告人が当日いかなる経路をたどつて原判示投石場所に所在するにいたつたものかについては、本件記録上ついにこれを明らかにすることができないばかりでなく、証拠上明らかな、同被告人の本件投石行為前それぞれ発生した、前記皇居外苑広場内における警官隊と原判示各集団員との接触乱闘の事態、並びに原判示祝田橋交差点付近における原判示集団員の警官隊に対する暴行、脅迫の事実、及び原判示祝田橋交差点と日比谷交差点間の路上における原判示集団員による外国人乗用車等に対する転覆放火等の事実について、同被告人が右各行為に及んだ当該各集団員の中に伍していたとの事実は、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠によるも認められないところである。そして、原判決認定の本件騒擾に関し、同被告人が関与したところとして証拠上認定できる事実は、同被告人が原判示状況のもとにおいて、原判示の制服の警察部隊を取り囲むようにして群がつていた二、三百人の人だかりの中に混じつて投石していたという事実だけである。そして、この人だかりの中に相当数のデモ隊員の存在していたことは証拠上認定できるところであるが(原判決はこれを集団員と呼んでいる。)、これらの者が当時暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の認定しないところであるばかりでなく、これらの者が原判決にいう本件騒擾に際しはたしていかなる行為をしたものであるかも、本件証拠上これを知ることができないところである。しかも、原審証人宮内義春、同末松実雄の各証言を総合すれば、同被告人がその中に入つていたという前記二、三百人の人だかりのうち、警官隊に対し投石行為に出た者の数はその人数としては不明であり、ただバラバラと警官隊の方に石が飛んでくるという状況であつたことが認められるのである。そして、右投石行為のほかに、右人だかりしていた二、三百人の者の行為として、原判決はなんらの事実も認定判示していないのであり、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠によるも、同被告人及び前示相当数のデモ隊員を含めこれら二、三百人の者が、共同して暴行、脅迫を働く意思をもつて原判示の場所に集合していたものと認めるべき資料はない。したがつて、これら二、三百人の者を、前記皇居外苑広場内等において暴行、脅迫に及んだ原判示各集団員と同一集団を構成するものと認めることのできないことはもとよりである。

なお同被告人を含むこれら二、三百人の者と同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

してみれば、同被告人の原判示所為が騒擾助勢の罪を構成するか否かは、専ら同被告人のした投石行為それ自体の評価にかかるものというべきところ、すでに見たように、同被告人の本件投石行為の当時、原判示場所において他にも投石行為が行なわれた事実はあるが、その投石行為に出た者の数はその人数としては不明であり、ただ警官隊の方にバラバラと石が飛んでくるという状況であつたわけであるから、たとえ、同被告人が右投石者と共同して暴行する意思のもとに本件投石行為に出たものとしても、それが多衆集合して暴行をした場合に当るものとはとうてい認められない。したがつて、原判決が同被告人の原判示所為を目してたやすく騒擾助勢の罪に当るものとしたことは、事実を誤認したか、若しくは法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨(2) は結局理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二六〕 被告人小原正三関係

第一弁護人並びに被告人小原正三の控訴趣意中事実誤認の主張について

所論は、同被告人は原判示帝国ホテル前において警官隊に対し原判示の投石行為をした事実はない、このことは、同被告人が当時から異常な近視であつて、眼鏡をかけなければ事物を認識することが不可能な状態にあつたにもかかわらず、原判決が有罪認定の証拠として引用している原審証人高木実の証言によれば、同被告人は、眼鏡をかけず、再三にわたつて石を拾い、一〇メートル位の距離をおいて前面の警官隊に対し投石したというのであり、同被告人がかかる行為に出ることは、前記同被告人の視力に徴するも不可能である、警察官たる右高木証人は強いて虚構の事実を語つているのであるという。

そこで検討してみると、同被告人に対する原判示の投石行為を認定する証拠としては、所論のように、原審証人高木実の証言(昭和三五年一一月一〇日及び同三六年二月九日の原審各公判期日におけるもの)を措いて他に証拠はない。そこで、右証人高木実の証言を検討してみるのに、同証言の趣旨は、同被告人が原判示状況のもとにおいて、原判示帝国ホテル前歩道から車道にはみ出した約五〇名位の集団員のなかにいて、これと対面する警官隊に対し、前面に進み出て投石しては後へさがり、また前面に出てきて投石する行為を三回位繰り返したというのであるが、同被告人の投石行為及びその前後の状況に関する同証人の供述内容は、詳細かつ具体的であるうえ、同証人は同被告人の投石行為を至近の距離から現認していることに徴しても、右証言の信用性は十分であり、右証言によれば、原判示事実を優に認定できるものというべきである。そして、同被告人が所論の如く異常な近視で眼鏡をかけなければ事物の認識ができないものであり、右高木証言にいうように投石行為の当時眼鏡をかけていなかつたとしても、同証言に徴し、同被告人が原判示の投石行為をすることが不可能であつたとはとうてい考えられない(なお、高木証人も、同被告人が前進後退のつど石を拾つていたとは述べていない。)。所論は独自の見解に立つて、原判決が採用した高木証人の証言の信用性を非難攻撃するものであつて、採用に値しない(なお、弁護人の控訴趣意中理由不備を主張する点もあるが、原判決が所論の同被告人の異常近視の点について特に判断を示さなかつたからといつて、原判決に理由不備の瑕疵があるということのできないことは説明をまたない。)。記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、原判決の右投石行為に関する事実の認定に誤認を疑うべきかどは認められない。

第二弁護人の控訴趣意中本件において騒擾と目すべき事態は存在しなかつたとの主張について

原判決は、原判示皇居外苑広場内の騒擾が、同広場周辺に波及し、日比谷公園から帝国ホテル前付近に及んだこと、同ホテル側歩道には、集団員や一般人などがおおむね識別できない状態で群がり集まつており、また、原判示モータープールから同ホテルの前あたりにかけて学生を主とする相当数の集団員などがおり、それら集団員などの中に、原判示の警官隊などの方に盛んに投石するものがあつた状況のもとにおいて、同被告人が、右警官隊に対し、同ホテル前歩道から車道にはみ出した約五〇名位のうちの投石する集団員のなかに伍し、原判示の投石行為をした事実をとらえて、所論の如く騒擾助勢の罪に当るものと判断しているのである。

ところで、同被告人が、当日それ以前の段階において暴行、脅迫を働いた原判示各集団員、なかんずく皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘に及んだ各集団員に属していたとの事実は、原判決の認定しないところであるから、同被告人に対し、同被告人が現に関与しなかつたそれ以前の段階における各集団員の暴行、脅迫について騒擾助勢の罪責を問うためには、それ以前の段階における原判示各集団員による暴行、脅迫、なかんずく右皇居外苑広場内の原判示各集団員の警官隊との接触乱闘の所為が騒擾罪を構成すると否とにかかわらず、まずもつて、原判決上それ以前の段階において暴行、脅迫に及んだとされている各集団員と、同被告人が原判示行為の当時伍していた前記投石する集団員とが、いわゆる多衆として集団の同一性を有することが前提とならなければならない。

しかるに、この点については、原判決は、帝国ホテルから日比谷交差点にかけての同ホテル側歩道には、集団員や一般人などがおおむね識別できない状態で群がり集まつていたと判示するだけで、右多衆としての集団の同一性を認定するに足りるなんらの事実関係を示していないばかりでなく、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、同被告人が原判示投石行為当時伍していた集団員が、それ以前の段階において暴行、脅迫に及んだ各集団員、なかんずく皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘した原判示各集団員に属していたとか、あるいは、それら集団員のした暴行、脅迫の事実を認識認容し、これを承継し、その暴行、脅迫の事態を利用する意思が存するものと認められる状況のもとに原判示投石行為に及んだとかの集団の同一性を確認するに足りる資料は存しない。してみれば、まずこの点において、同被告人としては、同被告人の現に関与しない本件以前の段階における原判示各集団員による暴行、脅迫の事態について、罪責を問われる所以はないものというべきである。

なお同被告人が原判示投石行為当時伍していた集団員と同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく証拠上もまたこれを認めることはできない。

つぎに、しからば、同被告人が原判示投石行為当時伍していた帝国ホテル前歩道から車道にはみ出していた投石する集団員の行為は、同被告人の右投石行為をも含めて、騒擾罪を構成するといえるであろうか。原判決はこの点について、同被告人は約五〇名位のうちの投石する集団員のなかに伍していたというだけであつて、はたして投石行為に及んだものがどの位の人数であつたかを明らかにせず、また、当時同ホテルから日比谷交差点にかけて相当数の者が集まつていたとしても、それは、原判決もいうとおり、集団員や一般人などがおおむね識別できない状態で群がつていたものであつて、これら集まつていた群衆と同被告人の伍していた前記集団員とが一個の集団を構成していたものとは、原判決引用の証拠上とうてい考えることはできない。そして、原判決が引用した原審証人高木実の証言によるも、前記五〇名位のうちの投石者の数及び投石の程度は、これを詳らかにすることができないところであり(右高木証人は、投石が間断なく続いたと述べているが、どの位の者が現実に投石していたかは語つていない。)、結局原判決の挙示するすべての証拠によるも、前記五〇名位のうちの投石者の数及びその程度については、これを確認するに由ないものである。

してみれば、原判決にいう同被告人の伍していた投石する集団員を含む原判示の集団員が、刑法一〇六条にいわゆる多衆にあたるかどうか、そしてまた同被告人を含めての右集団員の投石行為が、公共の静謐を害するに足りる程度のものであつたかどうかについては、これを明らかにすることができないものというべきであり、原判決が同被告人について騒擾助勢の罪に当るとしたのは、この点において、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二七〕 被告人笹川慶治関係

第一弁護人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、被告人笹川慶治を逮捕するにあたり、金沢一郎ほか一〇人前後の警察官が、無抵抗の同被告人に対し暴行陵虐の限りをつくしており、右はとうてい適法な逮捕行為とはいえず、これを前提とした同被告人に対する公訴提起の手続は、法令に違反し無効であるから、公訴棄却すべきであるというのである。

そこで検討してみるのに、所論の点については、原判決も、「同被告人を逮捕した警察官が、同被告人の身体を拘束するために相当と認めるべき実力行使の限度を著しく超えて、同被告人に対し有形力を行使しているものといわなければならない。」として、同被告人逮捕の際に違法な実力行使のあつたことを認めており、その挙示する証拠によれば、右の事実はこれを肯認できるが、逮捕の際犯人に対して警察官による暴行陵虐の行為があつたとしても、そのため当然に公訴提起の手続が無効となるものとは解されないから(昭和四一年七月二一日最高裁判所第一小法廷判決・刑集二〇巻六号六九六頁参照)、論旨は採用できない。

第二弁護人並びに同被告人の控訴趣意中事実誤認の主張について

弁護人の所論は、原判決は、同被告人に投石の事実があり、かつそのときの現場の状況は騒擾状態であつたと認定したうえ、同被告人の行為を騒擾助勢の罪に当るとしているが、被告人には投石の事実がなかつたばかりか、そもそも当時警察官による群衆に対する乱暴はあつても群衆による騒擾状態はなかつたものであるというのであり、同被告人の所論も、結局は、同被告人に騒擾助勢の罪に当るような行為はなかつたというものであつて、弁護人の右所論と同旨に帰着するものと認められる。

一  まず、同被告人の投石行為がなかつたとの主張について検討してみるのに、同被告人の原判示投石行為を認定する証拠としては、所論のように、原審証人金沢一郎の証言を措いて他に証拠はない。そこで右証人金沢一郎の証言を検討してみるのに、同被告人の投石行為及びその前後の状況に関する同証人の供述内容は、詳細かつ具体的であり、同証人が、私服警察官として至近距離から同被告人の動静を注視観察した挙句、その投石行為を現認していることに徴しても、右証言の信用性は十分であり、したがつて右証言により、同被告人が原判示のとおり、「日比谷映画劇場前交差点付近の旧都電引込線を同劇場の方へ向かつて進んだ右側角付近歩道上から、折から、集団員や群衆を付近一帯から排除するため同交差点付近車道上まで進出していた警官隊の方に向かつて一回投石した」事実は、優にこれを認定できるものというべきである。所論は、金沢証人が警察官の乱暴を知らぬ存ぜぬといいとおし、またその供述のすべてを通じて、同証人が同被告人逮捕直前頃までそれを背にして立つていたというブロツク塀の位置を特定できなかつたことに徴しても、同被告人の投石に関する同証人の証言は偽証であると主張する。しかし、同証人も、同被告人の投石を二メートル位真後から現認し、同被告人に対し後から腰に抱きつき、五、六メートル車道上に押し出して大腰で投げつけた、同被告人は背中辺に怪我をしたと思う、逮捕の際警察官一〇人位が来て同被告人を取り巻いてくれたので手錠をかけた旨の供述をし、少なくともこの限度においては逮捕時の有形力行使を自認しているのであり、さらに、所論のブロツク塀の所在については、日比谷映画劇場の位置とも関連して、証言中かなりの記憶混乱が窺われるけれども、その証言が事件後長年月を経た時点における証言であることからして、行為の背景にすぎない地形地物に関する右程度の記憶混乱はやむを得ないところというべく、以上をもつてしては、未だ同被告人の投石に関する金沢証言を採用した原審の措置を不当とすることはできない。所論は、独自の見解に立つて原判決が採用した金沢証人の証言を攻撃するものであり、採用に値しない。記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、原判決の右事実認定に誤認を疑うべきかどは認められない。

二  進んで、本件当時現場の状況は騒擾と目すべき事態になかつたとの主張について検討する。原判決は、まず騒擾の成否に関する原判決総論判断を引用したうえ、集団員を追つて日比谷交差点付近から引込線のある道路を進んだ警官隊は、右道路と日比谷映画劇場から日活国際会館方向に通じる道路とが交わるあたりに相当の厚みをもつて集まつた集団員や一般人の群れと相対するうち、右集団員などからの投石もふえていく状況下で、集団員などを分散排除すべく押し進め、集団員、一般人の群れの中から盛んに石が投げられるうちを一進一退を繰り返した挙句、実力をもつて分散排除したと判示し、この間同被告人が原判示の右日比谷映画劇場前交差点付近の歩道上から原判示の警官隊の方に向かつて一回投石した事実をとらえて、騒擾助勢の罪に当るものと判断している。

ところで、同被告人が、当日それ以前の段階において暴行、脅迫を働いた原判示各集団員、なかんずく皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘に及んだ各集団員に属していたとの事実は、原判決の認定しないところであるから、同被告人に対し、同被告人が現に関与しなかつたそれ以前の段階における各集団員の暴行、脅迫について騒擾助勢の罪責を問うためには、それ以前の段階における原判示各集団員による暴行、脅迫、なかんずく右皇居外苑広場内の原判示各集団員の警官隊との接触乱闘の所為が騒擾罪を構成すると否とにかかわらず、まずもつて、原判決上それ以前の段階において暴行、脅迫に及んだとされている各集団員と、同被告人をも含めて当時日比谷映画劇場周辺で警官隊に対抗していた集団員とが、いわゆる多衆として集団の同一性を有することが前提とならなければならない。

しかるに、この点については、原判決は、相当多数の集団員や一般人が、日比谷映画劇場、国策パルプビル側からその前の車道をうずめて、旧CIE図書館、三信ビル東側へかけて、おおむね馬てい型をなし相当の厚みをもつて連なつていたと判示するだけで、右多衆としての集団の同一性を認定するに足りるなんらの事実関係を示していないばかりでなく、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠を検討してみても、同被告人をも含めて当時日比谷映画劇場周辺で警官隊に対抗していた集団員が、それ以前の段階において暴行、脅迫に及んだ各集団員、なかんずく皇居外苑広場内において警官隊と接触乱闘した原判示各集団員に属していたとか、あるいは、それら集団員のした暴行、脅迫の事実を認識認容し、これを承継し、その暴行、脅迫の事態を利用する意思が存するものと認められる状況のもとに右劇場周辺に群がつていたものであるとかの集団の同一性を確認するに足りる資料は存しない。してみれば、まずこの点において、同被告人としては、同被告人の現に関与しない本件以前の段階における原判示各集団員による暴行、脅迫の事態について、罪責を問われる所以はないものというべきである。

なお同被告人をも含めて当時日比谷映画劇場周辺で警官隊に対抗していた集団員と同一集団に属すると認められる集団員が、当時皇居外苑広場内並びにその周辺において、暴行、脅迫の所為に及んでいたとの事実は、原判決の毫も認定判示しないところであるばかりでなく、証拠上もまたこれを認めることはできない。

つぎに、同被告人の原判示投石行為当時、原判決にいう日比谷映画劇場周辺に群がつていた集団員や一般人の行為は、同被告人の右投石行為をも含めて、騒擾罪を構成するといえるであろうか。原判決は、右の集団員、一般人の群れの中から、対峙している警官隊に向かつて投石があり、さらに、分散排除のため警官隊が右の集団員や一般人の群れを押し始めるや、その群れの中から盛んに石が投げられ、そのため警察官が後退するとこれを追つて前に出、さらに警察官が前進すると後退するなどのことが繰り返されたというだけであつて、はたして警察官に対する投石や前進行為がどの程度のものであつたのか、またこれら行為に及んだ者がどの位の人数であつたのかを明らかにしないばかりでなく、原判決引用の証拠、特に原審証人金沢一郎の証言によれば、同被告人が投石した頃、三、四百人の者が日比谷映画劇場前の歩道上等にいて、警察官の方を向き投石したり、「ばかやろう」と言つたりしていた者がいたことは認められるが、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠によるも、同所にいた右三、四百人の者の中には一般の通行人も含まれていたのであり、それらの者が、原判示の警官隊に対し、暴行、脅迫を加える意思をもつて、あるいは、その現に投石行為に及んでいる者の行為を認識認容しこれに加担する意思をもつて、同所に集合していたものと認めるに足りる証拠はない。さらに、右金沢の証言も、現実に投石行為に及んだ者の数やその程度については、これを明らかにするところがなく、かえつて原判決の挙示するワーナーパテニユース映画フイルム33場面(東京地裁昭和三二年証第五六号の一)や、原審証人が加藤剛の証言(昭和三三年二月二四日原審公判期日におけるもの)に徴すると、現に投石している者の数は僅かであり、また投石の程度は、さしたるものではなかつたと認められる。してみれば、日比谷映画劇場前交差点付近において、原判決にいう警察官に対する投石行為に出た者を含む原判示の集団員が、刑法一〇六条にいう多衆にあたるかどうか、さらにまた、その際における同被告人を含めての投石行為が公共の静謐を害するに足りる程度のものであつたかどうかについては、これを明らかにすることができないものというべく、同被告人の所為をたやすく騒擾助勢の罪に当るとした原判決は、事実を誤認したか法令の解釈適用を誤つたものというべく、原判決のこの点の瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、論旨は結局理由がある。

よつて刑訴法三九七条、三八二条、三八〇条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二八〕 被告人綿貫幸一関係

弁護人の控訴趣意について

所論は、原判決の事実誤認並びに法令の解釈適用の誤りを主張するもので、その要旨は、まず事実誤認につき、原判決は、被告人綿貫幸一が数名の集団員に立ちまじり所持していた棒で伊藤捷雄巡査を殴打したと認定したが、その証拠としている吉野平左衛門の検察官調書は他の引用証拠に対比して信用できず、右の認定は誤りであるというのであり(所論理由不備の主張は結局事実誤認の主張に帰する。)、さらに法令の解釈適用の誤りにつき、原判決は、同被告人の前示認定行為をとらえて公務執行妨害罪に当るとしたが、伊藤巡査の当時の職務の適法性には疑問があり、また同被告人が暴行について共同正犯の立場にあるとしたうえで公務執行妨害罪に問擬したのは誤りであるという。そこでまず、原判決の事実認定の当否について検討する。

原判決は、同被告人に対する判決理由第三の一の3において、中部第一群集団が二重橋前広場に到着後間もなく、同広場の同集団員とこれを追つて前進して来た第一方面予備隊第二中隊の警察官との間に衝突がおき、続いて右第二中隊に後続した同第四中隊の警察官がこれに加わり、右両中隊の警察官は激しく抵抗する集団員を馬場先門方向に押し下げるべく排除活動を行ない、やがて催涙ガス筒が使用されるに至つたとの原判決総論認定事実を引用したうえ、同被告人は、右のようにして集団員の行動を制止すべく前進していた警察官のうち第四中隊第三小隊第一分隊員伊藤捷雄巡査に襲いかかつた数名の集団員に立ちまじり、所持していた棒で同巡査を殴打したと認定している。

ところで、原判決が、同被告人が右のように伊藤巡査に暴行を加えたとの事実を認定した根拠として挙示する証拠のうち、同被告人と右暴行との結びつきを証明するものは、吉野平左衛門の検察官調書及び同人の原審における証言のみである。そして右検察官調書及び証言の内容は、二重橋前付近で警官隊とデモ隊が衝突し、警官隊から催涙ガス筒が投げられデモ隊集団が後退した際、右集団からとり残された形で、自由労務者風の鉢巻の男を含む数名のデモ隊員の一団が、一人の警察官に暴行を働いていたが、ついで右一団は後方のデモ隊集団の中へ逃げ入ろうとし、そのとき、右鉢巻の男の顔が見え、同人がかつて(同証言は、その時期を、「昭和二三年、四年、五年、もつと前かもわからない。」と述べている。)警視庁でともに勤務したことのある綿貫幸一であると思つたので、同人に当時私服でいた吉野自身の警察官たる身分をさとられることを虞れて顔をそむけたところ、同人は後方のデモ隊集団の中に入つて見えなくなつたというのであるが、何をもつて、右吉野が、右の予期しない場面で意外な自由労務者風の風体で出現した鉢巻の男を被告人綿貫と見極め得たのか、その具体的根拠はあいまいであり、要するに、右吉野は、右のような警官隊とデモ隊との衝突混乱の経過の中で、鉢巻の男の顔を瞥見したのみで、その男が被告人綿貫であると直感したというにすぎないものというべく、同被告人の同一性に関する右吉野の認識自体にも、誤認の可能性なしとすることはできない。

のみならず、原判決総論が適法に認定したところによると、中部第一群集団員が二重橋前広場に到着し始めたのは、午後二時三十数分頃であり、これを追つて第一方面予備隊第二中隊が右広場に到着したのは、その数分後であると認められ(原判決総論〔一〇五〕)、以上によると、第一方面予備隊第二中隊に後続した同第四中隊所属の前記伊藤巡査が右広場において原判示の如く集団員から暴行を受けたのは、早くても午後二時四〇分過頃とならざるを得ない。他方また、原判決総論が適法に認定したところによれば、中部第二群集団の先頭部が日比谷公園霞門を経て同公園桜門内側十字路付近に達したのは、午後二時四〇分過頃であつたと認められるところ(原判決総論〔一三三〕、〔一三四〕)、同被告人に対する原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、台東労組員が中部第二群集団のうち比較的先頭部近くに位置していたことが窺われる点を併せ考えると、右台東労組員が日比谷公園霞門付近に達したのは、午後二時四〇分の前後頃であつたと認められる。そして、原審が昭和二九年二月三日にした検証の結果に徴すると、二重橋前広場と日比谷公園霞門とは、かなりの距離を隔てていることが明らかである。してみれば、同被告人が同一時刻頃、一方二重橋前広場において伊藤巡査に暴行を加えるとともに、他方日比谷公園霞門付近において台東労組員の隊列に加わることは、その時間的、場所的関係からみて容易に両立し難いものというべきところ、原判決引用の証拠中、田中裕(昭和二七年五月二二日付、同月二七日付、同年六月六日付)、鈴木幸吉(昭和二七年五月一七日付、同月二八日付)の各検察官調書によれば、台東労組員が前示のように日比谷公園霞門付近に達した際、同被告人がこれに合流し、同公園内を経て祝田橋に到つた旨の供述記載が存し、右両名はいずれも同被告人とは上野公共職業安定所玉姫分室登録の自由労務者仲間であり、右各供述は事件後間もない時期になされ、その内容も具体的かつ詳細で格別作為の跡も窺われない点に徴すれば、その各供述の信用性は高いものというべく、以上はまた反面において、前示吉野の検察官調書及び同人の原審における証言の信用性を低からしめるものであるのみならず、もし原判示認定のように、二重橋前広場における警官隊と集団員との衝突の際、同被告人がその乱闘場面中に身をおき伊藤巡査に暴行を加えたのであれば、日比谷公園霞門付近で台東自由労組員に合流した際に、右仲間の自由労務者らが同被告人の言動からその状況とか原判決にいう二重橋前広場における衝突の状況とかを聞知ないし察知するのが自然であると思われるのに、前記田中、鈴木両名の各検察官調書には、この点につきさらに触れるところがなく、なおまた、二重橋前広場から日比谷公園霞門付近に退いて来た同被告人が、おびただしい数にのぼる中部第二群集団員の中から、あたかも符節を合するかの如く、たちまちにして、総勢五〇名位の台東労組員の隊列を発見してこれに合流するのは、まことに偶然がすぎるものというべきであり、以上の諸点をかれこれ考え合わせると、前示吉野の検察官調書及び同人の原審における証言の信用性には疑問があり、これを唯一の証拠として、同被告人が原判示の時刻、場所にあつて伊藤巡査に暴行を加えたと認めるには、なお合理的な疑いをさしはさむ余地があるものといわざるを得ない。

してみれば、以上の点において原判決の事実認定には誤認の疑いがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、諭旨は理由がある。

よつてその余の論旨についての判断を省略し、刑訴法三九七条、三八二条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔二九〕 被告人福中照明関係

第一弁護人の控訴趣意並びに被告人福中照明の控訴趣意二の事実誤認の主張について

所論はいずれも、原判決が、同被告人は、集団先頭近くの左側に加わつて桜門から押し出し、桜門よりやや祝田橋寄りの車道上において、集団の祝田橋方向への行進を阻止しこれを日比谷交差点方向へ流そうとしていた警官隊員巡査部長福井康光の右手を所携の棒で殴り、もつてその職務の執行を妨げたとの原判示事実を認定したことについて、同被告人は当時右の如く棒を持つていたことはなく、したがつてまた原判示のように所携の棒で福井巡査部長を殴つたという事実もないばかりか、当日同被告人を含むデモ隊が桜門を出て祝田橋方向へ進行しようとして警官隊の阻止にあい、桜門方向へ一時後退した際、警察官が逃げ遅れた同被告人に背後から襲いかかり、警棒で頭部、背中、手足等を強打して不当に同被告人を逮捕したのが事の真相であるといい、原判決の事実誤認を主張する。

しかしながら原判示事実は、原判決が挙示引用する各証拠によつて優に認定できるものというべきである。

所論はまず、原判決が挙示する原審証人谷田兼高、同増渕仁一の各証言によれば、桜門から出たデモ隊は、先頭が竹の棒を横にしてスクラムを組み、これに続くデモ隊員も密集して列を組み進行していた状況にあつたと認められるところ、右各証言は、右の状況下で同被告人が先頭から二列目左翼の横あいから棒を振り上げて福井巡査部長を殴つたと述べているが、右の状況に照らすと、スクラムを組んだまま右ききの同被告人が左手に棒をもつて殴ることも、また右手のスクラムを外し右手に棒をもつて殴ることも、いかにも不自然であり、経験則上首肯し難いと主張する。しかし、原判決引用の関係各証拠によれば、同被告人の属する神田橋公共職業安定所登録の自由労務者を含む中部第二群集団が、日比谷公園桜門内側十字路付近から、自由労務者らを先頭にして前方に長い棒を横たえ七、八列となり、おおむねスクラムを組み掛声をかけ喊声などをあげながら、だ行して前進を開始し、桜門を出て祝田橋に向かい、その際、右集団先頭部と、これに対し祝田橋方向へ進もうとするのを阻止しようと桜門の祝田橋寄り門柱から車道にかけ日比谷交差点方向に向く横隊形の態勢をとつていた約六〇名の丸の内警察署の警官隊との間に、接触、小ぜり合いがあつたことは、原判決総論が適法に認定しているとおりであるが(原判決総論〔一三二〕、〔一三八〕)、所論が引用する原審証人谷田兼高、同増渕仁一の各証言に、原判決が挙示する原審証人福井康光の証言、並びに仲林幸夫の昭和二七年五月二八日付検察官調書を総合すれば、中部第二群集団先頭部と右警官隊との接触、小ぜり合いの際には、集団先頭部のスクラムは切れ入り乱れた状況となつたもので、同被告人は、かかる状況下で、集団の左翼先頭近くにあつて、その前に相対し集団員の祝田橋方向への前進を制止していた巡査部長福井康光の右手を所携の棒で殴打したことが認められるのであり、集団員側が終始スクラムを組んだままの状況にあつたことを前提とする所論は、その前提を欠き、とうてい首肯するに由ない。

つぎに所論は、前記証人谷田兼高、同増渕仁一の各証言は、福井巡査部長が殴られたとき同被告人がプラカードの柄または棒を持つていたというが、逮捕時に同被告人がそのようなものを持つていなかつたこともまた両証人の認めるところであり、しかも両証人によれば、同被告人の右殴打後その棒がどうなつたかわからないというのであり、かかる場合証拠としてその棒を探すことは捜査の常道であり、その発見も容易であつたと思われるのに、その挙に出ていないことは、かえつて同被告人が当日棒を持つていなかつたことを裏付けるものであると主張する。なるほど、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠を検討してみても、福井巡査部長の被害直後、現場で同被告人の逮捕にあたつた前記証人谷田兼高、同増渕仁一らをはじめ居合せた警察官側において、逮捕に際し、同被告人が犯行に使用したという棒を捜索ないし差押えしておらず、またその棒が証拠物として原審において取り調べられた形跡のないことは所論指摘のとおりであるが、当時の警官隊と集団員との接触状況は、原判決総論がその〔一三八〕、〔一三九〕において適法に認定しているとおりで、喧騒混乱を極める該状況の中にあつて、圧倒的多数の集団員に相対した少数の警察官が、犯行に使用したという棒の捜索ないし差押えにまであたる如きは困難のことというべく、そのことがなかつたからといつて、同被告人が当日棒を所持していなかつたと結論することは甚だ不当であり、しかも同被告人が福井巡査部長を殴る際棒を持つていたことは、前記両証人のほか原判決の引用する原審証人福井康光も一致して証言しているところであり、所論は独自の議論というべく、結局採用に値しない。

さらに所論は、同被告人逮捕時の四囲の状況について、逮捕にあたつた前記証人谷田兼高、同増渕仁一の各証言の間に矛盾対立があり、また同被告人が逮捕された際、無抵抗であるのに警察官に背後から襲いかかられ、頭部、背中、手足等を強打され、頭部二個所から出血し白ワイシヤツが血にそまつた状況があるのに、右両証人は警察官による右暴行事実を否定しているというが、右はいずれも本件犯行後の事情に属することがらであるばかりか、逮捕時の四囲の状況について右谷田、増渕両証言の間に所論の如き矛盾対立があるとは認められず、さらに逮捕時同被告人に対し所論の如き警察官の暴行が加えられたとの事実については、未だ証拠上これを確認するに足りず、以上をもつて右両証言の信憑性を攻撃し、ひいて原審の犯罪事実認定を不当とすることはできない。

以上を要するに、論旨は、結局においてすべて理由がない。

第二同被告人の控訴趣意一の事実誤認の主張について

所論は、原判決が、同被告人は日本民主青年団神田橋職安班に属していたと判示したのは、石島政雄、仲林幸夫の各検察官に対する虚言に基づき、事実を誤認したものであるというのであるが、原判決は所論の事実を同被告人に対する原判示犯罪事実の犯情を示すために記載したにすぎないものであり、この事実の存否いかんがただちに同被告人に対する原判示犯罪事実の認定を左右するものでないばかりか、原判決引用の仲林幸夫の検察官調書によれば、所論の原判示事実を認めることができるものというべく、同人がことさら虚偽を述べたと認めるに足りる証拠はなく、これをもつて原判決に対する事実誤認の理由とはなしえない。

第三同、控訴趣意三について

所論は、原判決が同被告人に対する騒擾助勢の訴因について犯罪の証明がないとしながら無罪を言い渡さなかつたのは不当であるというのであるが、騒擾助勢の訴因について犯罪の証明がなく無罪となつたからといつて、これと一個の行為で二個の罪名に触れるときに当るものとして起訴された公務執行妨害の訴因が、ただちに無罪となるものでないことは当然であり、公務執行妨害の訴因について有罪である以上、騒擾助勢の訴因につき主文で無罪を言い渡さなかつた原判決の措置もまた正当であるから、所論は理由がない。

以上の次第で、弁護人及び同被告人の論旨はすべて理由がないことに帰するから、刑訴法三九六条に則り、本件控訴を棄却する。

〔三〇〕 被告人青木肇、同柳健助関係

弁護人の控訴趣意について

所論は、原判決は、中部第二群集団が祝田橋から皇居外苑広場へ進入しようとして同橋入口付近にさしかかつた際、同集団に属していた被告人青木肇、同柳健助は、集団員の同広場進入を制止すべく同橋入口に阻止線をひいていた警察官に対し、被告人青木において所携の旗を押しつけ、被告人柳において二回ほど投石してそれぞれ暴行したとの事実を認定したが、原判決の挙示する原審各証人の証言は、いずれも被告人両名の暴行事実を証明するものではなく、原判決認定の事実にそう証拠は、その挙示する飯川彦四郎の各検察官調書のみであるところ、右各検察官調書は特信性を欠き証拠能力がないばかりか、その供述内容自体にも矛盾があつて証明力がないのにかかわらず、右各検察官調書を証拠に採用したうえ、これを信用して被告人両名の原判示各暴行事実を認定した原判決には、事実誤認並びに訴訟手続の法令違反があるというのであるが、所論を検討するに先立つて、被告人両名に対する原判決の暴行事実の判示の当否について、職権をもつて調査する。

原判決は、被告人両名の具体的所為に関する部分の判断として、その多罪となるべき事実を判示するについて、まず、「被告人らが祝田橋入口付近に差しかかつたところ、祝田橋付近に阻止線をひいていた警官隊の一部が、その頃なお同入口警視庁寄りの方にいたほか、数名の警察官が同入口の日比谷交差点寄り角に近い電車軌道付近にあつて、祝田橋の日比谷交差点寄り歩道及びこれに近接する車道上を通つて祝田橋に入りつつあつた集団員の後続部分に対し、集団の進行方向左側から、警棒を振りまわしたり、これを横に構えて押したりして、集団の皇居外苑広場への進入を制止しようとしており、これに対してその付近の隊列の中から旗やプラカードを持つた数名の集団員が進み出て、それらの警察官ともみ合つたり、また、列外に飛び出して、右の祝田橋入口警視庁寄りの方にいた警官隊の方へ投石したりする者があつた。」として四囲の状況を述べたうえ、右の際、「被告人青木は、所持していた旗を両手で斜めに構え持ち、これを集団員の同広場への進入を制止しようとしていた右警察官の方へ押しつけて暴行し、」「被告人柳は、隊列から飛び出して警視庁寄りの方へ若干進んだうえ、祝田橋交差点中央近くの都電軌道付近において路上の石を拾い、右祝田橋入口警視庁寄りにいた警官隊の方へ二回ほど投石して暴行した。」とそれぞれ判示して、被告人両名を各刑法二〇八条の暴行罪に当るものとした。

しかしながら、以上の原判示をもつてしては、被告人青木が旗を押しつけた相手方とは、祝田橋入口の日比谷交差点寄り角に近い電車軌道付近にあつて集団員の皇居外苑広場への進入を制止しようとしていた数名の警察官中のどの者であり、それは一人なのか複数なのか(このことは罪数にも影響するところであるが、原判決適条には、刑法五四条一項前段等の摘示はない。)について特定するところがなく、また所持していた旗を両手で斜めに構え持ち警察官の方へ押しつけたとは、具体的にどのような状況をいい、それは積極的攻撃意思に出たものなのか、あるいは単に消極的に警察官の接近に対し身をもつて集団員を庇い支えたにすぎないものなのか等のことがすべて不明であり、さらに、被告人柳が投石した相手方として原判決が判示する祝田橋入口警視庁寄りにいた警官隊の一部とは、何名位の警察官をいうのか(このことが罪数に影響することは前同様である。)、また同被告人はどのような石をどのような態勢で投げ、その結果その石が目標とした警官隊の誰かに当るとかその身辺をかすめるとかしたことがあつたのかどうか等の点についても一切詳らかにすることができない。

ところで、刑法二〇八条にいう暴行とは、人の身体に対する有形力の不法な行使をいい、同条は人の身体に対する安全という個人的法益を保護の対象とするものであるから、暴行罪の罪となるべき事実を判示するにあたつては、すべからく相手方たる人を具体的に特定したうえ、当該の人に対してその身体の安全を害するに足りる程度の有形力の行使があつたことを明らかにすべきであるのに、前示のとおり原判決の判示するところをもつてしては、未だ暴行行為の相手方及びその具体的行為の内容を知るに由ない。してみれば、原判決には、この点において、被告人両名に対する罪となるべき事実を判示するについて理由不備の違法があり、所論について検討するまでもなく破棄を免れない。

よつて刑訴法三九七条、三七八条四号に則り、被告人両名に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

被告人両名に対する本件各公訴事実について、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠(弁護人は、原審が飯川彦四郎の各検察官調書を証拠に採用したことを訴訟手続の法令違反であるとして非難するが、記録を精査検討してみても、未だ所論の如き瑕疵があるものとは認められない。)のすべてを精査検討してみても、原判示の被告人両名の各所為について、さきに破棄の理由とした諸点を明らかにするに足りる証拠は存しない。そして、本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、被告人両名に対する本件各公訴事実について、被告人両名を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、被告人両名に対し無罪の言渡をする。

〔三一〕 被告人竹田武関係

第一弁護人の控訴趣意中、被告人竹田武に対する本件は、検察官が公訴権を乱用して起訴に及んだものであるばかりでなく、同被告人に対する本件裁判は、板切れ一枚を投げたという単純暴行罪による裁判であるのに、不当に長期の審理期間を費やし、この間の同被告人の蒙つた精神的肉体的辛苦を考えれば、余りに権衡を失するものというべく、当審においては同被告人に対し免訴の裁判をすべきであるとの主張については、すでに前掲〔序〕の第一の三、四において判断したとおりであつて、所論は理由がない。

第二同、法令の解釈適用の誤りの主張について

所論は、同被告人の原判示所為は、原判示の如く、後退中の警察官の側面をめがけて原判示の板切れを投げつけたというだけであつて、右板切れが前示警察官の身体に当つたとの事実は原判決の認定しないところであるから、同被告人の原判示所為は刑法二〇八条の暴行罪に当らないものであるのに、この行為について原判決が同条を適用して処断したのは、法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。

さて、原判決は、同被告人が原判示の事情から警察官に対し怒りを抱き、原判示の銀杏台上の島東南角から一〇メートルないし十数メートル北に進んだ中央自動車道路寄りの同島芝生上において、当時祝田橋土堤下十字路付近を左折して桜田土堤下道路や同道路寄りの右上の島上を走つて桜田門方向へ後退中の十数名の警察官の側面目がけて、同被告人が手にしていた長さ約五〇センチメートル、幅六、七センチメートルの板切れを投げつけたとの事実を認定し、同被告人の右行為は刑法二〇八条の暴行罪に当るとしていることは、所論のとおりである。

ところで、刑法二〇八条にいう暴行とは、人の身体に対する有形力の不法な行使をいうものであつて、その有形力は、必ずしも被害者の身体にとどくことまでは必要としないが、同条が人の身体に対する安全を保護法益とするものであることを思えば、ここにいう有形力の行使は、単に人に向かつて有形力を行使したというだけでは足りず、人に対するものとして、その身体の安全を害するに足りる程度のもの、たとえば、人の身辺をかすめるとか、その身体に当る危険が大きいものでなければならない。したがつて、同被告人の投げつけた板切れが原判示の警察官のうちの何人の身体にも当らなかつたからといつて、同被告人の原判示所為が右の暴行に当ることを否定する理由とはなし難いところであるが、同時にまた、後退中の警察官の側面目がけて右板切れを投げつけたというだけで、それがこれら警察官の身体の安全を害するに足りる程度のものでなければ、同被告人の行為をとらえて暴行罪として律するわけにいかないことは、前にみたとおりである。しかるに、原判決は、同被告人が前記の場所から、前記の場所を走つて後退中の十数名の警察官の側面目がけて、前記の板切れを投げつけたと判示するだけであつて、引用の証拠を検討してみても、同被告人がこのようにして投げた板切れが、右後退中の警察官の身辺をかすめるとか、その身体に当る危険が大きいものであつたとかの事実は、これを確認するに由ないものである。してみれば、原判決が、同被告人の原判示所為を、たやすく刑法二〇八条の暴行罪に当るとして処断したことは、法令の解釈適用を誤つたか、事実を誤認した瑕疵があるものというべく、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八〇条、三八二条に則り、同被告人に対する原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但し書に従い、被告事件についてさらに判決する。

本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討してみても、同被告人に対する本件公訴事実について、同被告人を有罪と断ずるに足りる証拠がないので、同法三三六条に則り、同被告人に対し無罪の言渡をする。

〔三二〕 被告人小池清雄関係

弁護人及び被告人小池清雄の控訴趣意について

弁護人の所論は、原判決が、「三田警察署巡査部長石谷素準、巡査関根忠夫、同大槻正俊、同高校清一、同岸田荘実ら警察官が、被疑者小池清雄に対する騒擾、公務執行妨害被疑事件の逮捕状に基づき、同被告人を逮捕するにあたり、同被告人は、関根巡査から示された右逮捕状を見ていたが、やにわに右逮捕状を破つたりもみくちやにしたりして、これを自己の着用するズボンのポケツトに押し込み、さらに同巡査らが同被告人を逮捕せんとするや、大槻巡査の下腿部を蹴つたり、関根巡査の胸をひじで突くなどの暴行を加えたものである。」との原判示事実を認定したことについて、原判示警察官の行為は、適法な職務の執行に該当せず、また原判示逮捕状の毀棄も、同被告人が意識的に故意になしたという事実関係にはないといい、これらの点について原判決の事実誤認を主張し、同被告人の主張するところも結局弁護人の右所論と同旨に帰着する。よつて以下右論旨について順次判断する。

一  職務執行の適法性を認めたことが事実誤認であるとの論旨について

所論はまず、刑訴法二〇一条一項が、「逮捕状により被疑者を逮捕するには、逮捕状を被疑者に示さなければならない。」と規定しているのは、逮捕理由告知の方法の一つとしてであり、同条は被疑者がその内容を知り得る程度に逮捕状を示すことを要請しているものと解すべきところ、原判示逮捕状の被疑者の記載には、「住所不定、二一歳、小池清雄」とあるのみであつたため、当時明確な住所をもつて職業安定所に登録稼働中であつた同被告人としては、はたして自己に対する逮捕状であるか否かにつき右逮捕状の内容について納得のゆくよう検討を加えることを要求したのに対し、関根、大槻両巡査ほか同被告人の逮捕にあたつた原判示警察官らは、その余裕を与えようとせず、前記法意を無視または曲解して、単に形式的に逮捕状を示したのみで、遮二無二逮捕を強行したものであり、かかる逮捕行為が適法な公務の執行にあたらないことは、論をまたないというのである。

そこで検討してみるのに、原判決が挙示する本件逮捕状(東京地裁昭和三七年押第七四四号の内一号-逮捕状請求書を添付引用している。)によれば、被疑者の記載に住所不定としてあることは所論のとおりであるが、氏名小池清雄、年令二一歳、職業人夫とそれぞれ記載があつて、被疑者の特定として欠けるところがあるとはいい難いばかりか、原判決引用の原審証人関根忠夫、同大槻正俊の各証言を総合すれば、右逮捕状の執行に際し、同被告人において被疑者不特定の故をもつて争つた形跡は窺われず、さらに被疑事実の内容についても、同被告人の「内容をよく見せろ。」との要求に応じ、関根巡査において逮捕状の被疑事実記載部分を示したところ、同被告人はこれを見たうえ、「こんなもので逮捕される理由はない。」と言いながら右逮捕状を破つたという経過であることが認められるのであり、刑訴法二〇一条一項の法意はまさに所論主張のとおりと解すべきであるが、以上説示の諸点に照らせば、関根、大槻両巡査ら警察官の原判示逮捕行為は、右法意に叶つた適法な公務執行行為であるというべく、論旨は結局理由がない。

つぎに所論は、本件逮捕状は、内容的に被疑事実が全然存在しなかつたばかりでなく、手続的にみても、メーデー事件に騒擾罪を適用して弾圧するという政治的意図を実現する手段としての逮捕状の執行であるから、適法な職務の執行ということはできず、このような逮捕行為に抗議することは当然であると主張する。

なるほど、原判示逮捕状の被疑事実に関し、同被告人が騒擾助勢の罪として起訴された結果、原審において無罪の判断が示されたものであることは、記録に徴して明らかであるが、このことからただちに右逮捕状自体が不適法なものであり、その執行に際して生じた本件公務執行妨害、公文書毀棄の訴因が当然に無罪となるものといえないことはもちろんであり、また、右逮捕状の執行が政治的弾圧意図を実現するための手段であると論難することは、当を得ないところであるばかりか、記録並びに原審が取り調べたすべての証拠を検討してみても、右所論の如き事実を認めるに足りる証拠は見当らず(騒擾罪適用が政治的弾圧意図によるものである旨の所論主張については、なお〔序〕の第一の三において示した判断参照)、論旨は理由がない。

二  逮捕状の毀棄を認めたことが事実誤認であるとの論旨について

所論は、本件逮捕状の毀棄は、警察官が一方的に且つ暴力的に同被告人の身柄を拘束しようとして不当な逮捕行為を遂行する混乱状況の中で発生したものであり、同被告人が意識的に右逮捕状を毀棄した事実は全くなく、この点に関する原判決挙示の原審証人関根忠夫、同大槻正俊の両証言は信用できないと主張する。

しかし、原判決が挙示する各証拠を総合すれば、原判示の逮捕状毀棄の事実は、優に認められるものというべきである。所論指摘の原審証人関根忠夫、同大槻正俊の多証言を検討しても、特にその信用性を否定すべきふしは見出し難く、右各証言によれば、同被告人が関根巡査から示された原判示逮捕状を見ているうち、やにわにこれを破つたりもみくちやにしたりして自己の着用するズボンのポケツトに押し込むや、その直後、これを見た関根、大槻両巡査ら原判示警察官において、同被告人に手をかけて取り押えるべく逮捕行為に及んだものであることが認められ、同被告人による逮捕状毀棄は、所論の如く逮捕行為の混乱状況の中において行なわれたものとは認められないばかりか、原判決の挙示する逮捕状ないし写真二枚(東京地裁昭和三七年押第七四四号の内一、二号)に明らかな原判示逮捕状の毀損状況に徴しても、同被告人が無意識のうちに故意なくして右逮捕状を毀棄したものとはとうてい認められない。論旨は理由がない。

以上の次第で弁護人及び同被告人の論旨はすべて理由がないことに帰するから、刑訴法三九六条に則り、本件控訴を棄却する。

よつて、いずれも主文のとおり判決する。

(裁判長判事 荒川正三郎 判事谷口正孝 判事 柳瀬隆次)

別紙

第一原判決言渡年月日並びに被告人氏名

一 昭和四五年一月二八日言渡

被告人 内田宇平 同 福井久彦 同 近藤彰利

同 守随房子 同 高野隆一 同 渡辺昭次

同 古屋千在 同 山田民雄 同 橋本芳富

同 浮田洋一 同 李正一 同 林根祚

同 李博 同 内田健次 同 浅野昇

同 天野新一郎 同 田中頼章 同 涌井久義

同 涌井宏策 同 尾身哲司 同 南隆

被告人 尾沼巖 同 由比信 同 片岡暉夫

同 北澤春雄 同 近藤隆 同 金慶哲

同 岩田英一 同 江口常平 同 矢田忠昭

同 権相寧 同 小檜山林三 同 渡邊義光

同 川端彌太郎 同 緑川勝也 同 佐藤政春

同 伏間ミヨ 同 山崎良一 同 山田岩太郎

同 藤田八郎 同 萩谷明 同 長畑喜一

同 岡田精吉 同 金福根 同 柴山康夫

同 熊坂孝 同 岡本光雄 同 荒井菊男

同 金子武治 同 渡辺兼雄 同 松原忠雄

同 土屋マサ子 同 秋准洙 同 安永守

同 李舜街 同 卓太信 同 鄭祥祐

同 洪仁欽 同 李東起 同 尹仁奎

同 呉公哲 同 金雲燮 同 朴燦正

同 金徳還 同 小鹿原キヌ子 同 星谷榮一

同 中川吉兵衛 同 中西朗二 同 町田信彦

同 車谷洙 同 村越保子 同 小池美津子

同 伊藤新次郎 同 中村浩 同 戸原駿二

同 木村茂雄 同 林恭護 同 鵜野恰平

同 大塚泰次郎 同 村野陽太郎 同 山本朗

同 吉田稔 同 古田宏 同 小原正三

同 笹川慶治 同 綿貫幸一 同 福中照明

同 青木肇 同 柳健助 同 竹田武

同 小池清雄

二 同年二月一三日言渡

被告人 大峰晴 同 小島実 同 宮尾健治

三 同年二月一四日言渡

被告人 森田良三 同 朴在魯 同 増田敏夫

同 李成雨 同 申煕朝

四 同年三月一〇日言渡

被告人 小川政昭

第二控訴申立人

一 被告人 浮田洋一 同 林根祚 同 田中頼章

同 李舜街 同 鄭祥街 同 洪仁欽

被告人 竹田武

を除く各被告人

二 被告人 浮田洋一 同 林根祚 同 田中頼章

同 金慶哲 同 大峰晴 同 秋准洙

同 守永守 同 李舜街 同 鄭祥祐

同 洪仁欽 同 尹仁奎 同 呉公哲

同 竹田武

の各原審弁護人

第三控訴趣意書提出被告人

被告人 内田宇平 同 福井久彦 同 近藤彰利

同 守随房子 同 高野隆一 同 古屋千在

同 山田民雄 同 橋本芳富 同 浮田洋一

同 内田健次 同 浅野曻 同 天野新一郎

同 涌井宏策 同 尾身哲司 同 南隆

同 尾沼巖 同 北澤春雄 同 近藤隆

同 岩田英一 同 江口常平 同 矢田忠昭

同 小檜山林三 同 森田良三 同 緑川勝也

同 大峰晴 同 伏間ミヨ 同 山崎良一

同 山田岩太郎 同 藤田八郎 同 長畑喜一

同 岡田精吉 同 金福根 同 柴山康夫

同 小島実 同 宮尾健治 同 熊坂孝

同 岡本光雄 同 金子武治 同 渡辺兼雄

同 松原忠雄 同 土屋マサ子 同 安永守

同 小鹿原 キヌ子 同 星谷榮一 同 中川吉兵衛

同 中西朗二 同 村越保子 同 小池美津子

同 中村浩 同 戸原駿二 同 木村茂雄

同 村野陽太郎 同 山本朗 同 申煕朝

同 吉田稔 同 古田宏 同 小原正三

同 笹川慶治 同 福中照明 同 小池清雄

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